ふと触れた自分の指の冷たさに驚き、両手を擦り合わせる。
あれからと言うもの、食満の言った言葉が頭から離れようとしてくれない。だからかやたらと"斉藤タカ丸"の名が耳に入る。いや、正しくは相談を受ける、だろうか。私とタカ丸が幼馴染みであると言う事実がいつの間にか広まったことが要因だと思われる。
それは噂だったり、髪結いの話だったり、忍者としてや一人の男としての彼の話だ。
一人の男としての、タカ丸。
男っておとこで、男の子で、男性。つまり、男の子としての対象というのは、恋愛対象である。
「…それで、斉藤タカ丸さんのことなんですが」
「えーっと…つまり私はどうすれば…?」
私は今、どうしようもなく、もやもやしている。後輩にこうやって気迫負けする日がくるなんて。いや、本心はそうじゃない。
「先輩に助けて欲しいんです…!」
助けてって。溜め息が出そうになるのを喉の奥でぐっと抑える。彼女の助けて欲しいことはどうやら彼女の恋愛事情のようで、その中身はこうだ。
斉藤タカ丸が編入して以来の一目惚れで、何度か髪結いを頼んだことがあるとか。会えば普通に話をするくらいに仲良くなったのだけれど、最近はなんだか避けられている。自分が何かをしてしまったのかと思っていたが、聞くにしても、周りの斉藤タカ丸を取り巻いていたくのたま達も似たような状況らしく、原因も分からない。
「先輩、何かご存知ないですか…?」
「…え?」
そんなの知るわけないじゃない…!正直言うと私は私のことで精一杯だ。あれからろくに顔を合わせていないし、っていうか演習だとか実習だとかが立て込んでいて顔を合わせる機会がなかっただけだけど…。もともとくのたまと忍たまなんて接点ないんだし、避けられているっていうのはどうだろう。
仙蔵だとか食満の相談の時も思ったけど、自分が会う機会が減ったからって。私に彼らの休日の予約をしてくれみたいな、なんだよ自分で休日誘えよみたいな。私だって、そんなに暇じゃないのに。実際、彼らと会う機会だって周りの皆と対して変わらないのに。
でも、一番彼らと話をするのは多分私だし、使えるものは使えっていう忍びの性分なんだろうな、とも思う。私達はくのたまだし、先々のことを考えたら、仕方ないのかなあ。彼女らはそれに悩み、よく葛藤している。ならば今は、今だけはと一時の情に身を委ねていることを私は知っている。結果的にそれが良くも悪くも、彼女らにとっては少なくともプラスとなることも、知っているつもりだ。今までが、そうだったから。
すると、先ほどから落としていた視線をこちら向けられ、いま初めて彼女と目が合う。意を決した、そんな強い意志を持った目だ。
みんな、こんな力強い目をしていたな、と今までを振り返る。
「私、タカ丸さんのことが――」
重量感のある鈍器で殴られたような、変な衝撃を受けた。そんな中、私に向ける純粋で真っ直ぐな目が、苦しかった。
一人になって縁側に座り込み、膝を抱えた。なんだろう、この苦しいのは。ぐるぐるぐるぐるとお腹の辺りに黒い何かが渦を巻いて、ずんっと重みを増していく。膝に顔を埋めてただそれに絶えた。
なんだよ、あれくらい。
わかっていたことだ。食堂で初めて、いや、久しぶりに顔を合わせた時だって、くのたまの皆が噂していたじゃないか。かっこいい髪結いが編入して来たらしいって。噂になっていたのだから、くのたまの誰かが、好きになることだって、あるはず、のに。
わかっていたことなのに、私は何に対してこんな気持ちになっているのだろう。
そんな思考さえ、煩わしくなってきて、気付いたら黒い何かがさらに大きな渦を作っているように思えた。苦しい、な。
しばらくして、とすん、と隣に誰かが座った気配がした。誰だろうとは思ったけど顔を上げる気力がない。首だけを動かせば、胡座の上に器用に頬杖を突く鉢屋三郎だった。
「久しぶり」
「…謝りませんよ」
「…?」
「先輩と唇重ねたこと、後悔はしてないんで」
「そ、れは」
「でも、あれから、雷蔵のヤツがうるさくて」
「…私がお前を打ったから、その仕返し、でしょう?なら、仕方ない」
ずっとそっぽを向いている三郎が、目だけを動かして私を捉える。その頭に手を伸ばして、撫でてやろうとしたら、掴まれて阻止されてしまった。心なしか不満気な顔をしている。手を引けば、思いの外簡単に三郎の手から脱け出せたが、追い掛けられてまた捕まった。三郎の手が、暖かい。
「…なんで、私に接吻したの」
気付いたら口が動いていて、なんで聞いたのだろうと後悔した。
「……ビンタの、仕返し」
少しだけ動いた眉間。そうか、とだけ呟いて、私は結構酷いことをしているのではないかと、思った。急に後ろめたくなって、また三郎の手から脱け出す。やっぱり簡単に脱け出せたが、私の手には三郎の手の温かさが残っていた。でも、すぐに私の体温と溶けて分からなくなった。
変なの、タカ丸の熱はあんなにも根付いていたのに。
右手がずっと冷たいのは
私は知らない内にあの日の、あの時の熱を探しているのかも、しれない。
それから、三郎の手が追ってくることはなかったし、これといって言葉を交わすこともなかった。ただ、三郎は私の隣で呼吸を繰り返している。その静かな呼吸を私はただ見ていた。
なんでだろう。苦しいよ。
ひどく、会いたいよ。
title/確かに恋だった
← 20121127
prev next