「幼馴染みってさ、なんだか不便だね、」
また、無理に作った笑顔を私に向けたタカ丸は、再び唇を重ねることなく、体ごと私と距離を取った。視界が広がることによって橙色の夕暮れだった空が、気付けばもう紺色に染まっているのが分かる。
「早く行かないと晩御飯食べ損ねちゃう」
そんなことを言いながら私を起き上がらせてくれた。あれ、なんだろう。なんだろう、この感じ。拍子抜け?今までのやり取りなんてものが無かったかのような口調のタカ丸に、私の感情が拍子抜けに似たものを主張し始めた。
「じゃあ、僕は先に行くねぇ。なまえちゃんも、ちゃんとご飯食べないとだめだよ〜?」
そう、いつもののんびりとした口調で言って、開けっ放しになっていた入り口から部屋を出ていった。数歩歩いてその後に走ってこの場から遠ざかって行くのが分かる。
座った状態のまま唖然とタカ丸の背中を追い、見えなくなったことにも気付かずに私はただタカ丸の姿を見つめていた。
この、変に虚しいのは、なんなんだろう。
「お前、…大丈夫か?」
そう声を掛けられて、ハッと我に返る。周りを軽く見回し、把握したのは自分がどうやら食堂に居るということ。目の前には定食。右手には箸、左手には湯呑み。正面に座る食満留三郎が箸とご飯茶碗を手にこちらを見ている。
「……これは、夕食?」
「お前まさか、今の今まで意識が無かったのか?」
とりあえず私は左手の湯呑みをお味噌汁と取り換えてありがたくいただく。
「おい、」
味噌汁を飲んで一息ついて、今日の出来事を考えたがどうも思い出せない。しかし、あれから一日は経過していることはなんとなく自覚している。
「なんだ、またか?」
「ああ、仙蔵。なんとかしてくれ」
あの日、三郎の発言には腹が立ったのは確かだけれど、平手打ちはさすがに大人げなかっただろうか。歳は一つしか変わらないから大人も子供もないかもしれないが、やっぱり、平手打ちは、悪い事をしたなぁ。今更ながら、自分のカッとなって行った行動を後悔する。
彼は彼なりに、きっと心配してくれたのだろうに。あの日はお互いに変に感傷的だったのだろう。お互いに。でも、なんであの時三郎は私に…。
「…あれ、仙蔵?」
ハッと顔を上げると、食満の隣に仙蔵が座っていて、おかしなものを見たような顔をこちらに向けていた。しかし、この際どうだって良い。あの日に出くわした六年生が揃いそうな予感がするなぁ、と心のどこかで思った。はぁああ、たしかあそこには滝や五年生もいなかっただろうか。とんだ失態だ。恥ずかしいとかそんなんじゃなく。先輩としてあるまじき。
「…また飛んだな」
「あぁ。しかし久しぶりだな、コイツがこんなんなの」
「たしか入学して二、三年はずっとこうだったな」
「ボーッとしてんのかしてないのか分からん顔をしていた」
「…お!留三郎に仙蔵!探したぞ」
「おぉ、小平太」
さすがに後輩の前であんな…、あれ、待て待て待て、三郎も後輩じゃないか。私は後輩を打ったのか?
「なまえはどうかしたのか?」
「…小平太?」
「?おう、私だ!」
いつの間にか私の隣に小平太が自分の分の食事を持って座っている。顔が近い気がするのは、気のせいだろうか。
「ああ、なるほど。再発したのか!」
「なんのこと?」
「あれ、違うのか」
「いいや、正解だぞ小平太」
仙蔵が呆れたような顔で「自覚なしか」と呟く。隣の留三郎も似たり寄ったりの顔をしている。
「ってことは、うーん…鉢屋と接吻したことを気にしているんだな?」
「な…!?」
「ばっ!小平太!」
「まさに、いけいけどんどんだな」
接吻、した。ああ、したさ。いや、したのではなくされたのだ。不意だ。不可抗力だ。なんと言うことだ。打ったのは私だがこれでチャラだ。もう、どうだっていい。
これでも僕達はまだあの頃みたいな"幼馴染み"のまま?
そして不意に甦るタカ丸の熱が頬を温めた。あれは、あれも、不可抗力だったのだろう、か。不可抗力。
「まるで茹で蛸みたいな顔をしているぞ」
「放っておけ小平太」
「だが、仙蔵」
「なんだ。いい加減に自分の飯を」
「私もなまえと接吻したい。ああ、もちろん唇にだ」
カキン、凍り付く音が聞こえた。
「ま、待て小平太。あまりバカを言うんじゃない」
「なぜだ。私もなまえを好いている」
「お前のそれは、意味が違うだろう…?」
留三郎が必死に宥めるのを尻目に小平太は唇を尖らせて、まるで子供のように駄々をこねた。
「なぜだ!鉢屋は良くて私はダメなのか?」
「お前なぁ、一から十まで説明させる気か?」
「だったらしてみせてくれ」
まるでよく切れる包丁のようにスパンッと斬り込みを入れてくる小平太に食満は箸を握り締めることで堪えた。誰もが心の中で、彼の歯止め役と言っても過言ではない長次の登場を待っている。しかしそう簡単にはいかないのが人生だと誰かが言っていたなぁとぼんやり思った。
幼馴染みってさ、なんだか不便だね
そしてまた脳裏を過っていくタカ丸の表情、声、温度、すべてが鮮明で思わずお茶に手を伸ばす。
幼馴染みに戻れないのでは、と私は心の何処かで怯えていた。でもタカ丸は唇を重ねてもなお、自分達は幼馴染みのままなのかと聞いてきた。もちろん私は何も答えることが出来なかったし、自分の涙によって歪んでしまったタカ丸の顔を正常に戻す術も分からなかった。
このままだと幼馴染みのままじゃいられなくなる。私は少なくともそう言う風に思っていた。だってそれをタカ丸が望んでいると思ったから。
「なまえお前、鉢屋以外ともしたな」
「…は?」
「なに、三角関係か!」
突拍子のない、見事的を射ぬいた発言に勢いよく仙蔵を見る。奴の整った顔が意地悪な、まるで何かを知っているかのような顔をして私を見ていた。いや、探られている。しかしそう理解した時には、仙蔵の口は先ほどよりも嫌味につり上がっていた。
「…ほぅ」
「な、なに?」
頬杖を突いて目を細めてくるもんだから、私はたじろいだ。気のせいだろうか、真っ黒な何が仙蔵の背後に見える。
「昨日の夜、お前食堂に来なかったろう」
「…会わなかっただけでしょう?」
「そう言えば、斉藤も見なかったな」
もしかして尋問されようとしている?ならばどうにか回避しなくては、そう思った時に、食満が何気なしに言う。すると何かに気付いたような顔をした食満本人と小平太が私の顔を凝視した。
仙蔵は相変わらず、性格の悪そうな笑みを浮かべている。
そうやって無言で私の逃げ道を塞ぐ気なのか。
「…フン」
仙蔵が小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「お前、分かっていないんだろう?」
「な、にをよ」
「ハンッ」
「なんなの?」
「鏡を見てから出直すんだな」
空の食器を乗せたトレーを持ち、席を立った仙蔵は自慢のサラストヘアーを靡かせながら食堂を後にした。残された私達はただ呆然と片手に箸を握ったままだ。
いや、私だけが呆然と仙蔵を目だけで追っていたようだ。視線を戻せば食満と小平太と目が合う。それぞれが違う顔をしていて、見すぎだと文句の一つでも言ってやろうかと口を開いたが、私が言葉を発しようとしたら、ふと、食満が目を細めた。
「お前ひょっとして、斉藤との"幼馴染み"やめたいんじゃないか?」
指に巻きつく熱情
しんぞうのどまんなかをいぬかれたきがした。
title/ことばあそび
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