「クリームが入ったパンが食べたいです」

だから何故わざわざ下級生の教室まで来てこんなことを言うのだろうかこの先輩は。お昼を食べる前に終わらせようと思っていたプリントの上にペンを置いてから、前の席に居座られては私も困るし席の主も困るだろうと思い一先ず立ち上がる。クラスメイトからの意味ありげな視線をひしひしと受けながら廊下へ出た。

「……メロンパンが食べたいんですけど買ってもいいですか」

後ろからついてきたオペラ先輩からお金を受け取るかわりにふと思い付きでそう言ってみると、先輩はぱちりと瞬きをしたあと「いいですよ」、とくすりと笑った。

ここのところ、私はまた元のようにカルエゴ同様パシリ扱いされる日々が続いている。触られることが無くなったので心臓に悪いことは減ってほっとしているけれど、逆にこの先輩のことだから何か企んでいるのではないかという警戒心は抜けなかった。

視界の端にカルエゴがこそりと教室を抜け出すのが見えたのでとりあえず横目で睨み付けておく。今までなら何かしら後で文句をつけていたのだが、最近は諦めの気持ちと、何となくそんな気分にならないのとで、私はすっかり奴を咎めることもしなくなってしまったのだ。





「………どうぞ」
「ありがとうございます」

談話室で待っていたオペラ先輩にパンと飲み物の入った袋を渡すと、ぽんぽんと自分が座るソファの隣を叩くので少し間を空けて先輩の横に座った。どうせそのまま先輩とお昼の時間を過ごすことになるのだろうと思っていたので私も持参した自分のお昼ごはんと買ってもらったメロンパンを取り出した。
そもそもこんなに食べきれるだろうかと袋をつまんで持ち上げてみる。最初は先輩のパシリから脱したかったはずなのに、この流れも日常と化したせいですっかりと慣れてしまっていた。


「そういえばこの間の課題はどうでしたか?」
「………一応、合格ラインでした」
「そうですか、よかったですね」

この間の課題、とは言わずもがな誘惑学授業の課題のことである。私の頭をぽんぽんと撫でる先輩を見上げて私は少し気恥ずかしくなった。一応、オペラ先輩には協力してもらったことにはなるのだけれど、ありがとうございましたと言うのも何だか違う気がするし、あの時のことを思い出してしまうと嫌でも頬が熱くなるのを抑えられない。おまけにここは現場となったソファである。

合格ラインでした、なんてさもギリギリであったかのように先輩には言ったけれど、実は一緒に授業を受けているメンバーの誰よりも魅力度が上がり思いがけず高評価を貰ってしまったのだ。そしてサキュバス族の先生からは向上に努めるようにと上級テキストを頂いてしまったのだが、既に精神的にギリギリの私にこれ以上何をしろと言うのだろうか。

それに高評価は貰えてもいまいち実感がない。魅力度が上がったと言われても、オペラ先輩はあの日から私に触れてこないのだから。

「………先輩、最近セクハラしてこなくなりましたよね」

どうせ興味が無くなったからなのだろうが、何となくもやもやしたものを感じて私は考えていたことをそのままぽつりと口に出した。それを聞いたオペラ先輩が目を丸くしたのを見てはっと気が付く。ちょっと待った、これじゃあまるで私が先輩にセクハラされたいみたいに聞こえないだろうか?

案の定、オペラ先輩の猫耳がピンと立ち上がった。それからにやりと意地悪く笑った後、しっかりと空いていたはずの距離を少しずつ詰めてくるので私は慌てて横にずれる。しまったと後悔するももう遅い、こうなると嫌な予感しかしないのだ。

「触ってほしかったのですか?それならそうと言ってください」
「……っ違います!そういう意味じゃないです……!」
「顔が赤いですし説得力ないですね」
「……これはオペラ先輩が近付いてくるからで、」
「なるほど、オペラ先輩がちっとも触ってくれなくて寂しかった、と」
「私の話聞いてますか!?」

じりじりとソファの端に追い詰められてついに逃げ場が無くなってしまう。真横も後ろも壁だ。さらに近付いてくる先輩を腕で押し退けようとするもオペラ先輩に私が力で敵うはずもない。

「ちょ、っと待ってください……!」

不意に、私の手首を掴んだオペラ先輩がぴたりと動きを止める。

「これは聞いた話なのですが、」
「……はい?」
「靡かない相手には引いてみることも大切だそうです。なまえさんも覚えておくといいですよ」
「…………え、」
「私の性には合いませんが、案外効果があるものですね」

そう言ってから、ふ、と口元を緩めてオペラ先輩はゆっくりと笑った。
ああ、興味が無くなったから、だから私に触れてこなくなったんだと思っていたけれどそれは違うんだ。先輩は間違いなく、わざとそうして私が心に引っかかりを覚えるように仕向けたのだ。


「……安心してくださいね、私はちゃんとなまえさんが好きですよ」

柔らかな表情をしたオペラ先輩に、きゅう、と心臓を締め付けられるのはこれで一体何回目だろうか。感情が顔に出ないのだと思っていた先輩は案外よく笑う。
ゆっくりと顔を近付けてきたオペラ先輩のキスを拒めなかったのは、私が高位階の悪魔に逆らえないからなのであって、それ以外の理由なんて存在しない筈なのだ。

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