心臓に一番近い世界3 | ナノ




ジタンは皆の顔が見える位置まで、目線を上げることが出来なかった。
恐ろしかった。
とてつもなく。
育て親以外に観賞奴隷印を暴かれたことも、逃げ出した後に捕まったことも、連れ戻されたことも、ましてやその全てをされてなお、奴隷倉庫に戻されていない、等という経験は今まで無い。
無いからこそ、これから先に何が起こるのか、何をされるのか。
それらがある程度予測出来て恐ろしかった。
そしてその予測に怯え、仲間と自ら称していた者達を、その会話を、その心を、信じられない自分が酷く惨めで情けなかった。
ジタンは口を開いた。
紡いだ言葉は妙に切れ切れで、喉に引っ掛かったような声の出し方しか出来なかった。
「…俺、の、同類も、逃げて…捕まって」
呟くような、首を絞められているような声色に、皆真剣に耳を傾けた。
焚火が1度だけ大きく音を立て、何人かが肩を跳ねさせた。
そしてそれ以上に、ジタンの身体が大きく跳ねた。
「…逃げて…どうなった…?」
驚いて、焚火を見開いた目で凝視し、硬直したジタンにバッツがそっと訊いた。
ジタンは今度は、見開いた目を、焚火を凝視する視線を、元に戻そうとはしなかった。
そのままの状態で、声色を同じく、言葉を綴る。
「連日…水、責め…されて、たんだ…」
もう2度と逃げ出さぬと誓うまで。
汚水に頭を浸けられ押さえ付けられて。
何度も何度も。溺死寸前まで追い込まれていた。
「働、く、為の、奴、は…、逃げ…て、暫、く…戻って、来なかっ、た…」
しかし数日後、友となったのであろう人々に捕えられ、引き摺られて戻ってきた。
「その、時、の、あいつ…あいつの、言った、こと…」
それが今でも、耳に焼き付いている。

――友達になれたと思ったのに――

「…で…も」
しかしそれに返った言葉は。
「まだ…まだ、耳…、耳、抉られた…みたい、なんだよ…」
穿ち跡を残す、決別の言葉。

――俺達は物ではない――

「何でっ…!!」
叫んだのはティーダだった。
先程の焚火よりも大きなその音に、ジタンの身体が跳ね、恐怖に染まる目がティーダを見た。
だがティーダが見ているのはジタンではなかった。
「何で…何でだよっ!」
立ち上がったティーダが向かった先はセシルだった。
顔を伏せ微動だにしないセシルの傍らに片膝を付き強引に肩を引いて目を合わせ、骨が軋む程に力を入れてセシルの両肩を掴んだ。
「なあ、セシル多分この中で地位は1番高かったんだろ? こういうこと、全部知ってたんだよな? なぁ、何で放っておくんだよ? いくら国民が生活する為でももっとどうにか出来たんじゃないのかよ?!」
「止せ、ティーダ!」
「セシルはジタンと同じ世界じゃないだろ!」
スコールとクラウドが止めに入る中、セシルは揺すられるままティーダを見つめ、ティーダの叫びを聞いていた。
が、ティーダが叫び終わると、今度は強い力で自分の肩を掴むティーダの、両の二の腕を掴み返した。
爛と光る目が、ティーダを射っていた。
「『どうにか出来る筈だ』と、思ったことが無い…とでも、思ったかい…?」
ティーダは怯んで手を引いた。
「…ましてや、『どうにかしよう』と、動いたことが無い、と…思ったか…?」
ティーダが手を引けば、セシルもティーダの腕から手を離した。
そうしてセシルは、怯えたようなティーダから、ばつが悪そうに顔を逸らす。
「…奴隷は…便宜上…所有者が明確な物品なんだよ…。保護したら…国から窃盗を働いたことになってしまう…」
元の様に顔を伏せながら、セシルは言った。
きしり、と。
セシルが握り締めた拳から音が鳴った。
「奴隷市の根は深く広い。1国だけじゃなく、その世界全体に及ぶ市だってあるんだ。悪くすれば、1人保護しただけで、世界各国全てから窃盗を働いたことになる…」
「…そんな…」
ティーダが呟き、肩と首を落とした。
「…そんな世界なんだ」
セシルの声も、初めにティーダに言い返した際の強さを失い始めていた。
「…そんな…そんな世界の仕組みの中…。僕1人で、こうすれば『どうにか出来る』という手段があるなら…」
そう言った、その言葉の終わり頃には、セシルの声は言うというよりも寧ろ、呟きに近い声になっていた。
「…教えてくれ…。…頼むから…」
「…ごめん…」
ティーダも、その問いに返した言葉は、ウォーリアの話に返す言葉を持たなかったクラウドのそれと同じだった。
ジタンは再び視線を落とした。
視界の隅で、フリオニールが拳を握ったのが見えた。
彼らが憤っているのは、自分に対して加えられた仕打ちと、その制度に対してだと、頭では解っていた。
しかし心はそれを、いっそ頑ななまでに信じようとはしなかった。
胸に形として刻み付けられた己の存在意義と立場は、胸に印の無い人々と自分を、印と同じ色をした溝で分かつ。
――俺達は物ではない――
彼らは、奴隷ではない。
自分は…―
「…怖い、ん、だ…」
再び、ジタンが呟いた。
ティーダ達に逸れていた視線がジタンに集中する。
ジタンは身を縮めた。
「…絶対…逃げたら…連れ、戻さ、れんだ…」
奴隷という物になった自分は、もう人には戻れない。
人は物を仲間にはしてくれないのだ。
…そんな同類を、何度も見た。
見る度に、そう、思い知った。
削られる精神。
痩せていく心。
思考は散漫になり、気力は底をつく。
弱っていく意識。弱っていく自我。
生き物であるという自覚が失せ、目の前を死という文字がちらつく。
「…でも…俺、逃、げた…」
何故逃げたのか。
恐怖と苦痛の中、何故逃げ出せる気力が湧いたのか解らない。
ただ、死ぬと思った。
あの場所に居たら、死ぬと思った。
…死にたかったのに、死にたくなかった。
病気で処分された同類を見て、訳が解らなくなった。
胸に焼かれた印が剥き出しの状態で、手に枷を嵌めたままで、腰布1枚を巻いただけで、ジタンは走って逃げたのだ。
…直ぐに追っ手が掛かった。
目にする全ての人々が怖かった。
人の居ない場所を求め、発展した大きな城下町の中、足の裏が赤剥けになってもなお走った。
漸く辿り着いた、悪臭と塵芥ばかりの、
「…狭、い、路地、裏…の、隅…」
そこで…力尽きた。
せめて生き物として生きたいと、足掻く心にしかし、身体はもう微塵も動かず。
塵に塗れて転がっていた、そんなジタンを拾ったのが、ジタンが所属する盗賊団の頭であり、育ての親でもある、獣頭の大男だった。
胸の印を見た筈なのに、団に置いてくれたことが信じられず、未だに信じ切れていない。
そんな自分がやはり酷く惨めで最悪で、人が出来る、人を信じるということが自分には出来ないのだから、やはり自分は人にはもうなれないのだと…。
そんな…気がした。
胸の印を。
育て親が頭を張っていた盗賊団の仲間にさえ、見せたことは無い。
見せてしまえと。
育て親には何度も言われたけれども。
「…俺の仲間にな…」
バッツの…声がした。
「…女海賊頭がいてさ…」
「…え…」
バッツの言葉に、フリオニールが顔を上げて発した声は、多分、ジタンにしか聞こえなかったのだろう。
バッツはフリオニールの声には反応せずに焚火に近付き、小さくなってしまった火を緩慢な動作で起こし、薪を組み直し始めた。
「…男勝りで…本当に男装してやがってさ。屈強な海賊達を纏め上げてて、海竜まで手懐けててさ。内海じゃあ1番名の売れた海賊だった…」
バッツは薪を組み終えると、元の場所に戻った。
バッツが視線を上げなかったから、ジタンはバッツを目で追うことが出来た。
「その海賊の中にさ」
バッツは元の位置に腰を下ろした。
「何人か、胸とか背中に抉れたような傷跡がある奴が居たんだよ…」
表情は僅かに歪んでいて…。そこから察するに、とても…とても話し辛い様子で…。
バッツは頭を乱暴に掻いた。
「…何でかって、そいつに訊いたらさ…」
バッツは大きく息を吸い、吐き出した。
「…奴隷市から逃げ出してきた奴らなんだって。奴隷印を消す為に、海竜に噛ませたんだっつって…」
ジタンはバッツから目を逸らし、視線を地に落とした。
ジタンも何度も、焼印を消そうと、上から切傷を足そうとしたり、焼こうとしたりしていた。
けれど、出来なかった。
自分の胸にある印が大嫌いで。
大嫌いで、大嫌いで、大嫌いで大嫌いで、自分で触れても嘔吐するくらい大嫌いで。
だから自分では出来なかった。
だから育て親に頼んだ。
消して欲しいと。
育て親は言った。
消す必要は無い。…と…。
「…なんで噛ませんのかとも訊いた」
ジタンは身を震わせてバッツを見た。
バッツは言った。
「…セシルが言った通り…。内海を所有する国だけじゃあなく、世界中の国から窃盗したことになっちまう。内海の海賊ごときじゃあ、竜に噛ませてでも印を消さないと守ってやれない。…そう、言ってた」
…。
…ジタン、は…。
その言葉に、育て親が印を皆に見せてやれと言った理由を、どんなに頼みこんでも、印を消さなかった理由を、見た気が…した。
期待が生まれる心。
は…、と顔を上げれば、いつの間にかこちらを見ていたバッツと目が合った。
「…笑える話だって、奴は言ったよ」
期待を止めよと言う心。
セシルを見た。
セシルとも目が合った。
「…人の法から外された奴は、人の法から外れた奴しか拾えない。情けねぇよな。そういって、遠くを見てた」
期待をしたい心。
止せと叫ぶ心。
「…そうさ」
バッツの話の後、隣で声がした。
驚いて肩を跳ねさせ見てみれば、焚火に照らされたフリオニールの横顔が見えた。
今夜の見張りの為、1人武装したその甲に、赤い炎が映り込んでいた。
「俺の仲間にも女海賊頭が居た」
海賊。
盗賊。
行動する場所は違えど、両者とも人の世界から自らを切り離した者。
自分は、人の世界から切り捨てられた者。
その共通点。
フリオニールはジタンを見た。
その視線の強さに、ジタンは思わず座ったまま後退りしようとした。
フリオニールの手が伸びてきて、ジタンの手を掴み、後退りを阻んだ。
…枷の嵌められていた、手首、では、ない。
手…を…。
「あいつも、胸に背に、奴隷印の付いた奴らを大勢仲間に抱えていた」
「…奴隷、商人から…盗んだ、か?」
「盗んだという言い方を止めろ!」
怒鳴りつけられ、ジタンは身体を硬直させた。
低く、低く、燃えた声でフリオニールは言った。
「商人から直接奴隷を連れ出すことは出来ない。彼らは逃げ出して捕まった際の報復や教育の恐ろしさを叩き込まれている。だから秘密裏に連れ出そうとすれば、暴れて抵抗する。そうだったな?」
ジタンは怯え、見開いた目でフリオニールを凝視したまま頷いた。
身体の震えが止まらなくなっていて、早く手を放して欲しかった。
強く握られていて、痛いというよりも、何だか酷く辛かった。
けれど手を引いても、フリオニールは放してはくれなかった。
「あいつは印のある彼らを、大事な仲間だと言った。印が見えれば誰もがそれと気付くのに、消せとも言わず、消そうともせずに仲間に加えていた」
身体を引き気味にするジタンにしかし、フリオニールは掴んだ手を強く引いてそれを許さなかった。
引かれたジタンは、がくんと大きく身体を揺れさせた。
ぐわん、と。1度大きく頭の中が揺れた。
人ではない自分。
人ではない自分を人として育てた育て親。
人ではない自分を人として扱った仲間の盗賊達。
人ではない自分を人として扱い仲間と呼び、真なる意味で人ではなかった自分でさえも人と呼んだかつての仲間。今の仲間。盗賊仲間。育て親。
…今も、仲間。
「あいつは笑って言っていた。国が何だ。世界がどうした。自分が声を掛けて、自分に、自分の意思で付いて来た連中だ。なら自分の仲間だろう。誰か文句があるか」
は…、と。
ジタンは大きく口を開けて息を吐き出した。
叫びたい言葉が胸でつかえて、息だけが漏れた様な音だった。
ぐわん、と。もう1度頭の中が揺れた。
人でない自分。
人として呼ばれた自分。
人とされたいのは自分。
なのに自分を人と認めないのは自分。
「あいつは仲間の海賊が居ない場所で俺に言った。逃げ出して来た奴ら、全員仲間に出来たら、最強の海賊に成れるのに、と」
フリオニールは、掴んだジタンの手をそのままに、もう片方の手でジタンの肩を掴んだ。
「さぁもう解っただろう」
ジタンは抵抗した。
頭の中がぐちゃぐちゃで、もう訳が解らなかった。
「聞け、ジタン」
ジタンは強く首を横に振った。
泣きたかった。
胸の印が焼ける様で。
抑えつけられ、自分の胸に降りてくる焼きごてと灼熱。
自分の皮と肉が焼ける音と臭いと煙。
あの時自分を焼き世界と自分を隔てた熱が、今度は内側から自分を焼く。
「聞け!」
怒鳴られて、再びジタンは身体を硬直させた。
己を掴むフリオニールを見上げた時には、ジタンの呼吸はもう、千々に乱れていた。
「…世界は優しくない。オニオンが言った様に、人が生きる為に人が苦しむなんて馬鹿な話を許容しなければ俺達の世界は成り立たない!」
そんなの知ってる。
でも納得出来なかった。
「そんな馬鹿な世界だから、歪みが生まれる。歪んだ人の世界で生きていけなくなった者が、自分を人の世界から切り離して海賊や盗賊が生まれる!」
それも知ってる。
肌で、学んできた。
「だからこそ、人の世界から切り捨てられたジタン達みたいな奴らを助けられるのは海賊や盗賊だけだった。それでも、そいつらでさえ、逃げ出して来られるような根性のある奴らの内の、ほんの1部しか救えないんだ!!」
さぁ考えろ! と、フリオニールは再び抵抗を始めたジタンを揺すり、視線を合わせさせて怒鳴った。





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