「辛いな」 | ナノ

風の強い夜だった。

ホームと定めている深い森の中に、その日、張ってあったテントは3つだった。
ごう、と、風が吹いてきて、テントを揺らした。
すきま風で寒い訳では無かったが、その音で、ティーダとティナは寝付けなかった。
「…良く眠れんな〜…」
「…凄い音なのにね…」
最早眠ることを諦めた2人は、こんな風の音を全く意に介さずに眠っている年上の仲間を、敷布の上に頬杖を付いて取り留めの無い話をしつつ、ふと気が付いた時に、こうやって半ば呆れた心持ちで見やるのだった。
2人の視線の先で眠っているのはバッツだった。
普段飄々とした、悪戯な風のようなこの男も、眠っている時には年相応に落ち着いて…というよりは旅慣れた者の厳しさと猛々しさが垣間見える表情をしていて。
いくら普段から楽観的で悪ふざけに乗り気なティーダも、自分が眠れないからというだけで、悪戯っ気を出して起こしてしまおう等という気にはなれなかった。
「ねぇ、ティーダ。それで、その大会っていうのは、出るのが難しいの?」
「もちろんっス! 出たいって奴がむちゃくちゃ多いから、もう凄ぇ大変で――」
2人の話は、取り留めもなく続く。
そんな2人の会話を寝音楽に、バッツは深く浅く、寝入っていた。



バッツには両親が居た。
母は病弱だった。
父は母を病弱と知っていて、それでも留守にしがちだった。
父が母を、母が父を、互いに深く愛していて、自分も慈しまれていたのだということは、幼心に理解していた。
だから留守にしがちな父に対して怒りは無かった。
父には、母を家に置いても、旅をしなければならない理由があるのだと思っていた。
自分は病弱な母を支える為、割りと早熟で達観な子供に育った。
幼い頃、その母が他界した。
父は、幼くはあるが丈夫な自分は家に置かず、旅に連れて村を出た。
その父も、旅の途中で病を患い、その頃には旅に慣れていた自分を残して他界した。
父を母の眠る場所に連れて帰る為、遺体を焼いて、骨の一部を旅の道連れにした。
途中、羽根と足に怪我をしたチョコボの雛を見付けた。
雛という程に小さくはなかったが、騎獣と呼べる程成長はしていなかった。
獣として賢い証に、酷く警戒心が強いチョコボだった。
怪我の手当ての為、暫くその場所に留まった。
鋭い嘴で、何度も突かれた。
だが手当てを重ねるごとに、その攻撃の回数は減っていった。
もう、放っておいても大丈夫だと判断出来る頃、荷物を纏めて軽くチョコボを撫で、歩きだしたその後をチョコボは着いてきた。
旅の道連れが増えた。
1人と1匹で、行けるところはどこへでも行った。
途中、チョコボが騎乗出来る程に成長したので、騎獣として慣らした。
頭が良く、良く懐いて可愛かったから、チョコボのボコと名付けた。
安直ではあったが、解りやすくて自分では気に入っていたし、チョコボも直ぐに自らの名前として受け入れ、呼べば返事までするようになった。
ある、風の無い朝。
轟音で目が覚めた。
遠くない場所にある森の上に、昨日までは見覚えのない巨大な岩の上辺が見えていて、それが煙を上げていた。
慌ててそちらへ向かうと、ゴブリンに襲われ、連れ去られていく女性が見えて、思わず飛び出した。
ゴブリンを退けた後、煙を上げる巨大な岩の側に老人が倒れているのを見つけた。
老人は記憶を失っていた。
2人は自分には解らない会話を少しだけした。
2人は互いに共に行くことになったらしかった。
自分はどうするのかと問われたが、この一連の出来事を、旅先で起きた些細な事件と思い、同行はしなかった。
後、ボコにそれを抗議され、2人の後を追い、旅の仲間となった。
成り行きで海賊に捕まり、後にその海賊頭も仲間になった。
風の神殿と呼ばれる場所へ赴き、目の前で風のクリスタルなるものが砕け散る様を見た。
世界は、クリスタルで成り立っていたことをその時に初めて知った。
世界を自分の足だけで回っても、人と関わらなければ知ることが出来ないことがあることを知った。
もっと世界を知りたくなった。
父が旅した、父と旅した、この世界を知りたかった。
同時に得体の知れない痛みを胸に覚えた。
その後、水のクリスタルが砕ける様も見た。
まるで仕組まれたように、おとなしい生き物の気が振れて、クリスタルは砕けた。
阻止しようとしていた、見知らぬ人物は、目の前で果てた。
老人の仲間らしいが、老人の記憶はその時は戻らなかった。
胸の痛みは増した。
火のクリスタルが砕ける様をも見た。
善良な女王が操られて、クリスタルは砕けた。
阻止しようとした、見覚えの無いウルフを巻き込んで。
そのウルフも老人を知っていた。だがその時も老人の記憶は戻らなかった。
胸の痛みは旅愁に変わった。
懐かしい風を、クリスタルの前で散っていった見知らぬ者達に感じて。
だが何故かは解らなかった。
そう言えば、父が何を目的に旅をしていたのか、自分は聞いていなかったことを、今更ながら思い出した。
旅愁は増した。
空を飛ぶ船に乗ることになった。
老人の記憶が戻った。
老人は違う世界から、この世界のクリスタルを守るためにやってきた戦士だった。
何故異世界の住人が、自分達の世界を守ろうとしたのかは、その時は解らなかった。
土のクリスタルは砕けた。
それも、目の前で見ていた。
その後、恐ろしいものを見た。
その恐ろしいものはクリスタルで封印されていた。
クリスタルは砕け、封印は解かれ、恐ろしいものは老人の世界に戻った。
老人は助太刀に来た孫の少女と帰っていった。
旅愁に、自分は村へ帰り、父の骨を母の墓に埋めた。
…父は、この世界の理を知っていたのだろうか。
クリスタルに封印されていた、あの恐ろしいものを知っていたのだろうか。
旅の目的は、世界だったのだろうか。
全て推測の域を出なかった。
…老人のことが気になった。
戦う為に彼等は戻ったのだと知っていたから。
クリスタルが砕けたこの世界は、ゆっくりと死んでゆく。
そんな大きなことに触れたことが無かったため、実感は無く、今一つ身に迫った問題に思えなかった。
自分にとって大切だったのは、老人が敵としたあの恐ろしいものが恐ろしかったこと。
老人はその恐ろしいものと戦うのだということ。
だから老人を追って生まれた世界を後にした。
恐ろしいものが生まれた世界は恐ろしい場所だった。
大地は概ね人が住めなかった。
恐ろしいものを恐ろしいと認識している人ばかりだった。
だからこそ、その恐ろしいものと命を掛けて戦おうとしていた。
自分達の道を敷く為に、何人も犠牲になっていった。
その過程で、父がこちらの世界の人間だったこと、この世界の恐ろしいものを、自分達の世界のクリスタルを使って封印した者の1人であること、彼等の世界の驚異を別世界へ擦り付けるそれに反対した唯一の人物だったこと、ただ1人自分達の世界に留まり、世界を監視し続けて責任を負おうとしていたことを知った。
…そして父は、その負い目から、自分にその目的を最後まで告げられなかったことを。
「世界を見て回れ」と言われた。
それは酷く遠回しな表現。
父は、父の世界の驚異を擦り付けた世界の住民から、自身の責務を継ぐ者を見いだすことが最後まで出来なかった。
ましてや、父達が驚異を持ち込まなければ、父が来ることも無く、故に生まれることも無かった、異世界人との混血児である自分になど、言える筈もなかったのだろう。
怒りは無かった。
恐ろしいものの恐ろしさを知ったその時には、もう、仕方ない、と思えるようになっていた。
クリスタルでも力を消しきれなかった恐ろしいもの。
その恐ろしいものの力が自分達に向けられたなら、その力を避ける為にはどんなことでもしたいだろうと思ったから。
もし、今その力を向けられたら、どんな手段を講じれば避けられるだろうか?
そもそも避けられるだろうか。
…その恐ろしい想像は直ぐに現実になった。
老人が恐ろしいものの手に掛かった。
自分には助けることが出来なかった。
孫の少女の前で、老人は他界した。
恐ろしい現実に震えることも出来なかった。
恐ろしいことはそれだけでは終わらなかった。
その世界と、元居た世界が一つにされた。
人ならざる、異常な力。
時空を歪め、地形を変え、時すら止め、世界の理を変える恐ろしい力。
恐ろしかった。だがもう逃げることは許されなかった。
止めたかった。もう誰にも死んで欲しくなかった。
止められなかった。自分は異常な力に対して異常な程弱かった。
父と歩いた大地が、仲間と過ごした町や村が、協力をしてくれた心優しい人達の住む場所が、仲間達の大切な人が居る場所が、そこに居る人々ごと、闇に飲まれ、引き千切られて、無抵抗に失われてゆく。
平原が、山が、川が、森が、海が、城が、町が、村が、人が、父と母の眠る墓標が。
千々に千切れた人と同じだけ千々に引き裂かれた心で絶叫した。
――何故。
――何故、自分は無力だ。





バッツは、ふ…と目を開けた。
テントの厚布越しに、白み掛けた外の光を感じた。
昨夜の強風はもう止んでいて。
テントの中を見渡せば、雑談の途中で眠ってしまったことが容易に判る格好で、ティーダとティナが眠りこけていた。
薄暗いテントの中だからだろうか、色彩を全く感じないテントの中の、色彩を全く感じない眠りこけた2人に、無表情で掛布を掛け直してバッツはテントを出た。
薄暗い早朝。色彩の感じられない淡過ぎる光の中に、色彩の感じられないクラウドが居て、こちらを見ていた。
互いに片手を上げて挨拶を交わす。
皆が起きだして来るにはまだ間があったが、バッツはクラウドの隣に腰を下ろした。
消えかけた焚火が2人の前で燻っていた。
クラウドは元来喋る性質では無かったし、バッツも今は取り立てて話題も無かったので、2人して黙っていた。
バッツは、今の自分はらしくないなと思っていた。
だが無理に繕おうとする気分でも無かった。
自然、沈黙が続く…。
「…夢見が悪かったか」
ふと。クラウドがバッツを見ずに言った。
「もしかして、バレバレ?」
突然、言い当てられたことを驚きはしなかった。
苦笑して、こちらもクラウドを見ずに返す。
「さあな。そう思っただけだ」
らしくない、とは一言も言わず、淡々とクラウドは呟いた。
だからバッツも多くは言わず、「そうか」とだけ返した。
燻る火にさえ全く色彩を感じなくて、バッツはクラウドの側の片膝を抱える。
「あのさ」
ゆるり…と。切り出したのはバッツだった。
そのままゆるゆると遅いテンポで会話が始まる。
「…ん?」
「…あれさ」
「…『あれ』?」
「…あれ。樹。…エクスデス」
「…ああ、あれ」
「…そ。あれ」
「…あれがどうした」
「…あれさ。…本当は俺、恐いんだ」
「…だろうな」
会話は途切れた。
自重に耐えきれなくなった薪が、からんと音を立てて落ちた。
「…解ってたのか?」
少し、低く小さくなってしまった自分の声。
バッツは心中で苦笑した。
「…というより」
クラウドは答える。
「自分の宿敵を恐れていない奴なんて、ティーダとウォーリアくらいじゃないのか?」
「ティーダはそうかもしれねぇけど」
バッツはクラウドの答えに笑った。
「ウォーリアは恐がってるぜ? ガーランドに対抗できるのが実質自分だけで、自分が居ない時に仲間に手ぇ出されたらって考えると…って意味なら」
「俺とセシルが揃っていれば、まぁ何とかならないでもないが、どちらかが欠けていたら終わるな」
「だな」
きしし、と、バッツは笑った。
普段冷静沈着なスコールも、アルティミシアに対する異常な攻撃性は恐怖の裏返しだ。
セシルも、実兄のゴルベーザを戦闘面では恐れている。
ゴルベーザに掌を向けられた時、ほんの僅かだが怯むのを見たことがあった。
「あんたは」
クラウドが言う。
森の向こうの空がやや白んできた。
だがまだバッツの目に色彩は戻らない。
「ん?」
「あんたは何故エクスデスが恐い」
「ん。ああ」
バッツは溜息を吐いた。
「…世界規模で好き勝手されたって感じだな…」
「わからん」
即答されて、バッツは笑った。
静謐な空気は、しん、とその場に満ちていた。
バッツはもう1度笑った。
「俺にも良く解んねぇんだ。いっきなり別次元の世界に俺が生まれた世界が無理矢理合併させられたと思ったら、今度は強力な重力魔法の100倍は有りそうな魔法をそこらじゅうに叩き落とされて、大地は無くなるわ国は無くなるわ村は消えるわ人は死ぬわでさー。その前には仲間1人が目の前で惨殺もいいとこだったし、それも俺の前でだけだったらまだアレだったけど、他の仲間達も居てさー。最悪なことにそいつの孫娘の前だったしさー。俺助けらんねーしさー」
バッツは言いながら、抱えた膝の陰になるように頭を落とした。
声が震えたり、しゃくりあげたりを調節出来ない程、感情が揺れた訳ではなかったが。
「その前だってあの樹の所為でめっちゃ人死んでるしさー。そもそも考えてみりゃ親父の代から俺あの樹に振り回されっぱなしなんだよ。もー勘弁して欲しいよなー。何なんだよあの樹何だよアルマゲストって意味解んねぇしめっちゃ恐ぇし」
本当はもうあんな恐ろしいものと戦いたくない。
以前だって4人でも退けることがやっとだった相手に、今度は1人でなんて、本当は怖くて仕方がない。
でも本当は、逃げてはならないのだと解っている。
そして本当は、あいつが憎くて仕方がない。
本当は力が欲しくて本当は力だけじゃ駄目だって解ってて本当はあいつのこと痛めつけて苦しめてやりたくてでも本当はあいつみたいになりたくなくて……。
俯いたバッツの顔前に1輪の花が差し出された。
バッツは驚いて目を見開く。
「…それでも」
クラウドの声が聞こえた。
「…まだ、目は見えているんだろう?」
言われて、バッツは花を受け取った。
黄色い、花だった。
自分の手が肌色をしていることに今更…本当に今更気が付いた。
クラウドを見やればいつもの色彩のクラウドが、青く明るくなっていく空を見上げていた。
「へへ…」
バッツは笑った。
手の中の花を、腕を伸ばして空に掲げる。
見上げた空は、記憶にある故郷よりは薄い色をしていたけれども。
黄色が青の中に映えて、周りの木々の緑色が鮮やかで綺麗だった。
「ボコとおんなじ色だ」
クラウドは僅かに肩を竦めた。
バッツはそんなクラウドに、にひ、と。
いつもどおりの快活な笑顔で振り返った


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