森の外れにて | ナノ


セシルは仲間のいるホームから離れ、1人、森の外れに立っていた。
利き手には黒の細剣。
剣を握った手は、肩から真直に、水平に前方へと伸ばされていた。
剣は、伸ばされた腕と同じ高さ、同じ方向に伸びていて。
切っ先に、角を落とした石。
細められた目は、その石以外を映していない。
セシルの格好は身体を締め付けない薄手の余裕のある装いだったが、既に薄手の布は汗で肌にべったりと貼りついていた。
癖のある銀糸の髪が、同じく汗で首に絡んでいる。
セシルは一切を無視した。
今の彼に見えているのは、切っ先の石のみ。
それ以外は、闇。
足元でさえ、地面なのかどうか認識出来ていない。
和いだ水の上に立っているような感覚だった。
…鍛練の一環だった。
剣の切っ先に石を乗せ、肩と同じ高さに腕を伸ばして剣を構え、石を落とさずに耐える。
胆力、精神力、集中力、体力、持久力、腕力、忍耐力を必要とする、動きの無い、しかし厳しい部類に入る修行だ。
腕や身体の振れだけでなく、心の振れも、即、切っ先の振れに繋がる。
平静。凪。停滞した水。
心身ともに、そうであり続けなければならない。
…いつからその体勢を保っていたのか。
額に浮かんだ汗が、次々と頬を伝い、顎で僅かに留まり…地面に落ちて静かな音を立てていて。
セシルの耳に、その音が聞こえ始めていた。
視界には相変わらず、闇に浮かぶ様に見える石しか映ってはいなかったが、セシルは水滴の音が聞こえているその状態を、集中の乱れと捉えた。
敵の発する害意を感じた訳でもなく、天災の気配もない。
だが、己の耳は…意識は、若干でも、確実に外に向き始めてしまっている。
…ここが限界だろうか。
…否。
限界を越えられなくてどうする。
そう思考したのは僅かな間だったが、やはり「考える」こと自体、心が振れることなのだろう。
切っ先が僅か、振れたのを感じた。
…いけない。
そう思って、考えることを止める。
…同時に。
凪いだ水の上に立っている感覚の、その停滞した水面、その遠くないところで、波紋が広がったように感じた。
人には、他人を意識しないでいられる距離と、意識せざるを得ない距離というものがある。
その、意識せざるを得ない距離に踏み込まれたのだ、と、セシルは遅く理解した。
暗闇の世界の、水の足場。その上をそっと歩く侵入者の足取りを、セシルは交互に連続する波紋と認識した。
…様子を伺っているのだろうか。
波紋は先ずセシルの後方に周り…続いて前方に周り…。剣を持たない腕の側に移動し…。
…切っ先が振れる。
敵意を感じた訳ではないが、止めてくれ、と、嘆願する気持ちになった。
波紋が交互に、ゆっくりと近づいてきて…。
…と。
別の方向から大きく波紋が広がった。
別の誰かに踏み込まれた、と、今度は直ぐに理解した。
制止を叫ぶ、言葉という音が聞こえる。
同時に、身体の横に垂らした腕が誰かに触れられた。
集中が途切れる。
切っ先の石以外は暗闇だった世界が、石を中心に急激に晴れてゆく。
同時、今まで石に集中させていた全神経が拡散した。
切っ先が振れ、石が落ちる。
身体が過労に悲鳴を上げているのを聞いた。
思わず、剣を取り落とし、身体を前に屈めて両膝に両手を付く。
上がった呼吸に眉を寄せて喘いだ。
落とした剣は地面に届く前に、闇色の霧となり空気に溶ける。
顎から、鼻先から、髪から、汗が滴り落ちて音を立てた。
聞こえていた音はこれだったのか、と。
セシルは地面に染みが出来る様を見ていた。
上顎の奥と喉がひりつく。
セシルは息苦しさと喉の痛みに唾を飲み込んだ。
…が、楽になれない。
触れられた腕の側に、顔だけを向ける。
驚いた様な、食器を割ってしまった現場を見られた子供の様な顔で、手をセシルの腕に触れた形にしたまま硬直したオニオンと、そのオニオンを止めようとしたのだろう、オニオンの肩を引いたまま、やはり硬直したウォーリアが見えた。
セシルは再度唾を飲み込み、苦笑する。
「…こら、オニオン…」
オニオンの肩がひくりと跳ねた。
邪魔をした自覚があるのだろう。みるみる表情が叱られているそれになっていく。
「ごっごめん…」
「済まない…止めようとはしたのだが…」
オニオンに続き、ウォーリアもそう詫びてきて。
2人が申し訳なさそうに言うその様が、何だか珍しく。
少し得をした気分になる。
セシルは自然、笑みを浮かべていた。
「っはは…、仕様が無いな」
疲労に背を丸めたまま、セシルは落ちた石を拾いに行き…身を屈めて石を拾おうとし…石の隣に手を着いて身体を反転させ、その場に腰を下ろす。
そうしてやっと石を拾い上げた。
額に貼りついた髪を掻き上げて2人を見上げると、2人も硬直した状態を解いた。
「何してたの?」
傍に寄り、訊いてくるオニオンを見上げる。
「鍛練の1つだよ」
やってみるかい? と、掌に石を乗せて、オニオンに差し出した。
オニオンは不思議そうに石を取り、暫く手の内で転がしていたが、やがて剣を抜いた。
「えーと?」
「オニオンの剣は幅広の両刃だね。じゃあ、刃は上下に、石は切っ先」
「うん」
オニオンは頷いて、石を切っ先に乗せる。
が。
何かの先に物を乗せて均衡を維持することは得意らしく、オニオンは切っ先を小刻みに振って、均衡を保ってしまう。
セシルは思わず、ウォーリアと顔を見合せて、軽く吹き出した。
「それも鍛練にはなるが」
ウォーリアはオニオンに近付き、先ず切っ先の石を摘む。
「セシルが行っていたものとは違う」
次に剣を持つオニオンの腕の、肘に手を添えて地面と平行にさせた。
「この状態を維持する」
「はい」
オニオンが返事をしたのを合図に、ウォーリアはオニオンから離れて。
瞬間、辺りの空気が張り詰める。
オニオンが全神経を集中したのだと、セシルは息を潜めた。
…が、オニオンのその状態は長くは続かない。
「っぶはぁっ!」
盛大に息を吐いて、石と剣を同時に取り落とした。
額には珠の汗が滲み、呼吸は上がっている。
「何これ?! こんなの続かないよ?!」
「初めてにしては相当長く続けられていたと思うよ。大丈夫」
大きく声を上げたオニオンに、セシルは再び軽く吹き出して言った。
同じく、僅かに楽しそうに口元を綻ばせたウォーリアが、オニオンの剣と石を拾い上げた。
「…ありがとうございます」
ウォーリアから剣を受け取り、オニオンがセシルの傍に座る。
「疲れる!」
「それはそうさ」
長く続かなかったことが相当悔しいのか、足を投げ出して叫んだオニオンにセシルは笑った。
呼吸は大分収まった。
だが、今日中にもう1度は無理だろう。
セシルはそう思いながら、未だ立ったままのウォーリアを見上げる。
ウォーリアは剣を抜き、石を切っ先に乗せて腕を水平に構えた。
…瞬間。
空気が硬直した。
セシルは思わず呼吸を止める。
地面を水と捉えるなら、その水さえも硬直している。
絶対の凪。
ウォーリアが口を開く。
「先ず、剣を振らずに支え続けるだけの、腕力と忍耐力」
セシルは目を見開いた。
あの状態を維持したまま話が出来ることが、信じられない。
ウォーリアは続けた。
「次に、この状態を維持し続ける為の体力、持久力」
オニオンは、ぽかんとウォーリアを見ていた。
「切っ先を振らずにおく為、石へ向ける意識以外を無心にする集中力」
ああ、やはり。
と、セシルは思う。
この人は、強い。
それはもう、嫉妬等する気にもなれない程に。
「他にも、疲労を感覚から遮断する精神力や、感覚に動じない胆力が必要になってくる」
ウォーリアはここで剣を僅かに上へ振り、石を跳ね上げた。
石はそのまま宙に放物線を描き、セシルの上へと落ちてくる。
セシルは片手で石を受け止めた。
ぱしり、と、小さな音がした。
「…厳しい修行だ」
セシルは笑った。
「だからこそ、でしょう?」
ウォーリアは軽く頷いて、剣を収めた。
「僕にも出来るようになる?!」
隣で、身を乗り出して言ってくるオニオンにも、セシルは笑みを向ける。
「勿論。さっき出来ていたじゃないか」
「ふむ…。後は持続が目標か」
セシルに続けて、ウォーリアもそう言ってきたので、ほら、と、オニオンに首を傾ける。
よし! と腹に力を溜めたオニオンを、セシルは微笑みながら見ていた。
そんなセシルに、
「しかし」
と、ウォーリアは言う。
「どんな状況であれ、動じない心は確かに大切ではあるが」
セシルはウォーリアを見上げた。
ウォーリアは顔を引き締め、誰かを叱る時の様に眉を釣り上げて見せた。
…だが口元は微かに笑っていた。
「誰にも、他人を意識せざるを得ない警戒領域というものがあるだろう。その内へ踏み込まれたにも関わらず、触れられるまで微動だにしないのは、感心しない」
口調まで叱るそれだったが、口元の所為で笑っているのだと知れて。
セシルは苦笑して肩を竦めた。
「済みません。仲間を警戒するのはどうにも苦手で」
言えばオニオンも、皆を警戒してたら同じテントでなんて眠ってられないしね、と言う。
それを聞いたウォーリアは、2人の傍に歩み寄った。
「…奇遇だな」
そして、そう言いながらオニオンの隣に腰を下ろす。
「私もだ」
セシルとオニオンは顔を見合せ…。
2人同時に吹き出した。

ウォーリアに出来ないことが、僕らに出来る訳ないなぁ。と言ったのは…。
この際どちらでも良いだろう。


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