哀願2 | ナノ




…完全には躱し切れなかった。
短いマントの裾に、水晶が放った閃光が擦ってしまう。
その裾が。
重く硬い灰色の石に変わった。
それが重力に従い、下に落ちようとしてバッツを引き、彼の身体の均衡を崩す。
その間にも、重く硬く、冷たい灰色は、擦った部位から他の部位へと、急速に侵食を開始していた。
…どこかで見たことのある光景だった。
硬く冷たく、自分では決して癒すことが出来ない石へと変わってゆく、短くて小さなマントを。
自分は、どこかで。
いつか、見て…いた。
…悲鳴を上げたのはセシルだった。
渾身の力で水晶の大樹から剣を引き抜くと、その大樹を踏み台にバッツへと飛び、振り上げた細い剣の切っ先でマントの侵食部分を切り落とした。
切り落とされた部分は、まだ布だった部分を侵食しながら床に落ちてゆく。
床に着けば割れるだろう。
だがしかし、そんなことにはもう、関心が無かった。
バッツに視線をやれば、侵食はされていない様子。
それが、何よりも重要。
セシルはそれを確認するなり、水晶の大樹に振り返った。
それは今正に足元に発光する環を描き、こちらに向かおうとしているところ。
だが…遅い。
セシルは黒姿となり、黒へと色を変えた細剣を投槍の要領で突き出した。
切っ先から深紫色の波動が伸び、水晶を砕く。
砕けたことが判れば充分と、セシルは直ぐに踵を返して水晶製の道化に向き直った。
細剣を振り上げて床に突き立てれば、闇色の波動が噴き上がりそれへと向かう。
水晶の道化が波動に砕かれたことを確認するや、セシルは白姿となって、天井近くまで舞い上がった。
「――――ッ!!」
バッツが何かを叫んでいた。
だが聞こえなかった。
耳鳴りで、聞こえなかった。
ほら…。と…。
セシルは思う。
自分がしゃんとしなければ、仲間は容易く喪われる。
今のバッツの件は、運が良かっただけだ。
運は果てるもの。
最も、頼ってはならないもの。
なればこそ、例え僅かな時間でさえも、気を抜く等ということがあってはならない。
気を散らす等もっての他。
許されない。
許されてはならない。
況してや、自分の不手際が原因で喪う…喪った、等。
…。
…許されてはならない。
天井近くまで浮き上がったセシルは、仲間達が闘っている様子を一瞥。
底の見えない場所に、唯一設けられた足場の上で、苦戦を強いられていると見られるティナへと急降下した。
水晶が、混沌の戦士の誰を模倣しているか等、そんなことはもう、どうでも良かった。
急降下中に黒姿となり、水晶の真上から降下。叩きつける様に剣を垂直に水晶へと突き立てて瞬時に白姿へ。水晶を、引き抜いた剣を返す力で空中へと弾き出せば、それは空中で四散した。
…眩暈がする。
…酷い眩暈がする。
水晶が四散した場所へと再び飛翔したセシルは眼下に、元々複数と戦っていた仲間へ、新たな敵として向かおうとしている水晶を見付けて空中から斜めに切り込み宙へ掬い上げ、床に叩きつけ破砕して黒姿となり床へ降りた。
破砕音で、1体の水晶がこちらに気付く。
その水晶へは、細剣を床に突き立て、噴き上がる闇色の波動を向け破砕した。
背後に水晶の圧力が出現する。
それを感じた瞬間、セシルは床に突き立てた剣を抜く勢いのまま振り返り切り捨て、その後ろから迫り来る別個体にも闇色の波動を叩きつけ白姿となり、自分ではない別の誰かへ空中から襲い掛かろうとしている水晶へと急上昇し斬り掛かった。
…眩暈がする。
酷い眩暈がするのだ。
護れた筈の仲間。
護れた筈の仲間が、少なくとも5人。
5人もだ。
5人も、自ら命を断つ決断をさせてしまった。
内2人は子供だった。
あの小さい手は、きっと子供だった。
…自分はきっと、罪も無い人を沢山殺めてきたのだと思う。
それは、もう記憶として覚えていなくとも、身体に染みついた感覚がそうと自覚させる。
ましてや騎士。
きっと沢山斬っただろう。
きっと愛した者を喪った人々は、自分を深く憎んだだろう。
数え切れぬ程の人々に、死を、苦痛を、願われていることだと思う。
もう覚えていない、なんて、許されることではない。
今現在、そういった自分の所業を全て、記憶では覚えていない、だなんて。
許されない。決して許されることではない。
だからそんな自分が「喪いたくない」だなんて、「もう2度と喪いたくない」だなんて、きっと傲慢にも程があるのだろう。
…けれど。
宙で水晶を切り砕いたセシルは、先程までの戦闘からは考えられない程に頼りない飛行で近くの赤い壁に寄り…壁に背を付け…そのまま滑り落ちるように壁を擦って赤い床に降りた。
床に着いた反動を殺し切れず、ふらついて片足が半歩、前に出る。
壁と背の間に開いた隙間に、壁に擦れて上に上がってしまったマントが力無く垂れた。
完全に上がった呼吸。
不必要に震える足。
割れた様な頭痛の中、感覚だけがいやに鋭くて。
…自分の傲慢な思考が気持ち悪い。吐き気がする。
乱雑な呼吸のまま、セシルは顔を上げた。
視界に、誰かと戦い、引いてきたのであろう水晶が映る。
セシルは反射で飛び出そうとした。
手が軋む程に細剣を握り締める。
1体でも、1撃でも、仲間達の被害を減らしたい。
それがどんなに傲慢でも。
身勝手でも。
…護りたい。護りたいのだ。
だが、しかし。
…剣を手に飛び出すことは出来なかった。
飛び出そうとした瞬間、胸甲が何かで激しく打たれ、背後の壁に打ち付けられたのだ。
敵かと思った。
また、感知出来なかった。
また、集中を欠いたのだと。
しかしセシルの胸甲を打ったのは仲間だった。
「クラ、ウド…?」
「止まれ、セシル!」
彼は自分の得物である大剣の峰をセシルの胸甲に押しつけて壁に押さえ付け、自分の方へ刃を向けていた。
利手は柄を、もう片方の手は刃を掴んでいた。
仲間が傷付くことを嫌うセシルの性格を解ってのことだろう。
薄い緑を基調とした不思議な色の虹彩に下から覗き込まれ、また、自分が動けば仲間が傷を負うという恐怖から、セシルは硬直した。
…自分を見上げてくる、その不思議な虹彩。
昔、どこかで…。
どこかで見たことのある、優しい魔法の色に…どこか、似ていた。
止まれ、と、クラウドは言う。
何を思った、と。
「止まれ。…どうしたんだセシル。何が恐いんだ」
言われて。
セシルはその時初めて、自分が荒れたことを自覚した。
喪う恐怖で。
味わったことのある恐怖を、喪失を、繰り返すことが嫌で。
その恐怖は、今まで忘れていたことなのだけれども。
…身体から、思考から…力が抜けていった。
武器を離せ、と、言われた。
…良いのだろうか。
今は戦闘中の筈。
武器を手放して良いのだろうか。
セシルは2、3度瞬き…。
ふ…と。
ゆっくりと目を伏せ…閉じた。
目を閉じていたのは短い間だった。
だが次に目を開いた時には、セシルの目に荒れた際の揺れる色は、もう、無かった。
戦士であることが欠片も感じられない弱い光の目で、つと顔を上げ、先程見とめた水晶を見やる。
ジタンとオニオン…最年少の2人が、水晶を砕いたところだった。
セシルの利手から細剣が落ちた。
床に着いて音を立てる前に、剣は青白く瞬いて霧散した。
視線を緩く辺りに巡らせば、もう水晶は無くて。
代わりに、不安そうな、心配そうな…緊張した面持ちの仲間が周りに集まっていた。
最後の水晶だったのであろうそれを砕いた2人が駆け寄って来る様子が、視界の端に映る。
…クラウドが、セシルを押さえ付けていた大剣を引いた。
セシルは。
壁に背を擦って、その場に座り込んだ。
俯いて頭を抱える。
死を…。
「…選ばないでくれ…」
何故、薄い記憶の中で、見覚えの無いあの5人が死を選んだのかは解らない。
胸にあるのは、いっそ死んでしまいたい程の喪失や苦痛、後悔だけで…。
自分の前からクラウドが身を引いた気配がした。
代わりに誰かが自分の前に腰を落とす気配がして。
頭に手を乗せられた。
「…治せねぇ石化があるんだ?」
バッツだった。
彼は、水晶の道化が放った石化魔法が、セシルの荒れたきっかけだと気付いていた。
顔を上げずに、セシルは頷いた。
…何だか酷く…自分が汚い生き物に思えた。
きっと自分は、多くの人を殺してきた。
沢山の人に憎まれていると思う。
そうでなくとも騎士。敵国の戦士を大勢斬っただろう。
そしてその全てを忘却している。
そんな自分が、仲間の喪失だけは微かに覚えていて。
しかもそれは自分の所為だということも、微かに覚えていて。
人々を斬ったことよりも、仲間に死を選ばせてしまったことを、「許されてはならない」と考えてしまっていて。
それを、繰り返したくない、と思ってしまう。
荒れる程に、嫌だ、と思ってしまう。
…自分が人を殺めた所為で、喪失の苦痛を受けた人々の気持ちを差し置いて。
加えて、自分が傷付いても、仲間が無事ならそれで良い、とも、心の何処かで思っている。
目の前で仲間が傷付く恐怖を知っている癖に。
…汚い。
自分は汚い。
許されない。
自分は、誰にも許されてはならない。
でも。
願わずにいられない。
あわよくば…聞き入れて欲しい。
これがどんなに身勝手か、解っている。
解っているから。
…死、を。
誰も死を、選ばないでくれ…。
「…頼む…」

何て我儘。




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