最低な世界:少年 | ナノ
 
アルティミシア城。
朽ちかけた螺旋通路が内部を貫く時計塔内部。
明かりのない単純な造りの内装は殺風景ではあったが薄暗く、見通しは悪い。
巨大な歯車が軋みながら回る音や振動が経年で劣化した石煉瓦に響き、具足の裏は始終その振動を伝えてくる。
その感覚が不快極まりなくて、クラウドは大剣を構えたまま、荒々しく舌打ちをした。
此処へは、哨戒で来た筈だったのだ。
…が、気付いた時には、既に乱戦になっていた。
上層で、中層で、下層で。
または歯車の回る機械層で、壁沿いに張り巡らされた狭い作業用通路で。
水晶製の人形を砕く度に、黒い罠が口を開ける奈落の底へ水晶の破片が降り注いでは消えていく。
そんな中。
クラウドは、中層螺旋通路上でアクセサリ強化された『猛者』と戦っていた。
足場は安定した地面とは違い、軋み、腐って、気を抜けば直ぐに抜ける程に軟な木製の板だ。
そしてそんな板でさえ残っている場所は少なく、骨組みを晒した螺旋通路はその殆どの場所で単なる2本のレールに成り下がっていて、否が応でも足元に気が行く。
暗い塔内に光源はなく、割れた壁から差し込む月の光が唯一の明かり。
そんな塔内での乱戦は、見通しが悪いばかりではなく、大剣を扱うクラウドにとってすれば、危機感を覚える程に非常に狭かった。
そんな、場所だった。
クラウドが戦っていたその通路は、前方と後方の足場が抜けた場所で。
猛者を模した人形の剣を受ける度に、足裏で悲鳴を上げる木製の足場にひやりとする。
足場の軋みを全く気に掛けずに強く踏み込んでくる猛者の人形。それに苛ついても仕方ないだろうに、苛立ちを抑えられない自分に、クラウドは短く、溜息を吐いた。
猛者も、クラウドも。
大剣を扱う戦士である。
その上猛者は、厚い甲冑を纏う重戦士だ。
水晶製のこの人形が実物と同じ重量であるかどうかは不明ではあるが、少なくとも、他の人形よりは重量があるだろう。
…だが、ただただ秩序の戦士を攻撃するように作られているらしいこの人形が足場の悪さを考慮することは無い。
足場を考慮することなく力いっぱい足場を踏みしめる『猛者』を、クラウドは歯噛みをして睨み付けた。
手加減なく振り下ろされた『猛者』の大剣を防ぎ、『猛者』が怯んだ隙に自身の大剣を上段から叩きつけて『猛者』を砕く。
…アンデッドやクリーチャー、リビングデッドメイルの様に、本体を破壊しても端末で動き回る、ということが無い分、敵としては益しなのかもしれない…と、大剣の刃が入った場所から全身に亀裂が疾り、砕けていく『猛者』を見遣りながら、クラウドは溜息を吐いた。
その瞬間と上から人形の欠片が降り注ぎ、クラウドは、はっとして上層を見上げる。
今回、探索にクラウドとペアを組んでいた相手、オニオンが、丁度上層通路で大樹の人形を砕いたところだった。
「もうっ! しつこいよこいつら!」
という、彼らしい物言いに少し安堵する。
が、それも束の間。
自分の感情をを口に出すオニオンの精神状態にクラウドは眉根を寄せた。
そうして、不安定な螺旋通路の足場を離れ、すぐ傍の歯車の噛みあう機械層に移動してから額の汗を拭って大剣を持ち直した。
…確かに、しつこい。
と、クラウドは思う。
一体どこから湧いてくるのか。戦闘能力自体はそれ程脅威ではなかったが、立て続けにこうも大量に向かって来られては苛つきもするし疲労も溜まるというもの。
本格的な戦闘をする気が無かったところへ、この大群だから、尚更だ。
当初は、人形の群れを見かけたなら取って返す心積りであった。
クラウドにしろ、オニオンにしろ、それは同じだ。
何せ哨戒。何せ見回り。何せ少人数。
特にアイテムを持ってきているわけではないし、本格的な潜入・先攻を試みた訳でもない。
だが、時計塔内部を通り過ぎ、別の世界の断片へ向かおうとした矢先、いきなり湧いて出た人形の集団に攻撃を受け、現在に至る。
…この戦闘が長引くのは危険だ…。
と、クラウドは思った。
いや、戦闘が開始された時からそれは考えていたが、改めて、強く。そう思った。
1人ならば、そんなことを思う事も無かっただろう。
だが、今クラウドには連れが居る。
その連れ、オニオンの戦闘能力はまだクラウドの域まで達していないのだ。
もう戦闘に入って暫く経つというのに、本格的な戦闘に対する精神的な切り替えが、オニオンにはまだ出来ていないのだ。
「しつこい」という先ほどの発言がそれ。
早くに切り上げて哨戒に戻りたいという気持ちが透けているのだ。
クラウドは突発的な戦闘に慣れている。
慣れている…というよりも、戦闘と平時の思考の切り替えが瞬間的に行えるように訓練されている。
…だがオニオンはそうではないのだ。
戦士、騎士と言ってもまだ子供。
…オニオンが現在よりもう少し幼ければ、適応力が高く急な状況の切り替わりに対応出来ていただろう。
だが彼は、その時期はとうに過ぎている。
幼少よりも適応力が無く、戦士としては経験不足。
「しつこい」と思うこと自体が、今現時点で、この状況に対応できていないことの証なのだ。
…長引くのは、不味い…。
…だが焦るな。焦れば視野が狭くなる。目が曇るぞ…。
クラウドは自分に言い聞かせ、1度、瞬きをし。
螺旋通路上層から中層に移ったところで苦戦を強いられていると見えるオニオンのフォローに入る為、彼を上段から狙っている『旅人』に狙いを定めて足場を蹴ろうとした。
…が。
「っ!?」
足場を蹴ろうとした瞬間、僅か、クラウドは動揺した。
その動揺をなんとか理性で押し殺し、クラウドは改めて、『旅人』に向かい、足場を蹴る。
宙を移動する最中、クラウドは視線で『旅人』を捉え、その視界の端で、螺旋通路中層にいるオニオンを確認した。
正確には、戦闘を強いられている相手を。
…見間違いかと思った。そしてそれは正しかった。
彼が相手にしていた敵はティナ…だった。
そしてそれは見間違いで、ティナを模したいつもの水晶人形だった。
だがその水晶人形は、ティナの姿を模倣しただけの姿ではなかった。
だから始め、クラウドは見間違いをした。
彼女は、否、それは、他の水晶人形達とは違い、塗装、を、されていた。
ティナに見えるよう。
ティナと見間違えるよう。
鉱物製の髪はティナの金髪によく似た黄色で。
同じく鉱物製のローブやマント、ブーツはティナの着ているものとよく似た赤と白で。
手間を惜しんだのか、それともわざとなのか。胸の悪くなるような粗雑さで、乱雑に塗装されていた。
露出した肌はティナよりやや白く、ところどころ塗り残して、或いは塗装が剥げて、下の水晶地が見えていた。
顔だけは塗り残しや剥げが無かった。
しかしその目はティナの美しい紫色の光彩ではなく、斑なく平面に塗られただけの、ただの赤紫の塗料だった。
しかしそれだけ粗雑に塗装された人形相手であっても、オニオンの太刀筋は明らかに鈍っていた。
素人が目にしても解る程に。
空振りをする。踏み込みが甘い。防御できない。呪文詠唱を最後までできない。
攻撃をする度に顔が歪む。攻撃を受ける度に表情が歪む。
打ち合いの度にオニオンは傷を負い、どれほど打ち合っても人形には傷が付かない。
生身の身体と思考を持つ者の欠点。予想の範疇を超えた物事に対する、度を逸した動揺。
…まずい!
クラウドは初手の一撃で『旅人』を砕くとそのまま急下降し、オニオンと塗装された『少女』との間に割って入った。
「何してる!」
「だって…」
叱咤の声に対する返答は弱い。見れば既に、オニオンは体中に看過できない手傷を負っていた。
クラウドがした舌打ちは、主に自分に対してのもの。
戦闘が開始された時点で敵の包囲網の一点に集中し、包囲を突破して帰還する手段を取らなかった自分に対してのもの。
少年は、弱いのだ。
オニオンが殊更弱い訳ではない。
少年と言う生き物自体が総じて弱い生き物なのだ。
自分を特別と思い、自分に力があると思い、力を夢見て、現実との差異に苦しみ抜いて、その苦しみの余り自己を失いかけることもある、弱い生き物なのだ。
自分が、そうだった。
主に自分が、そうだった。 
ティナを守る目的を掲げながらも己の力を過信して、結果、ティナを傷つけた記憶もまだ新しいオニオンにとっては、戦場でティナと見紛う塗装を施された人形を相手にしなければならない等、苦痛と混乱を誘発する事態にしかならない。
…寧ろ、混乱の度合いが酷ければ、本物のティナと認識違いをしてしまっていてもおかしくはないだろう。
クラウドはオニオンがこれ以上戦闘を続けることは不可能と判断した。
未だ剣を握るオニオンを退け、胸の悪くなる乱雑な塗装の『少女』に大剣を振り被り、後方へと斬り飛ばす。
…斬り飛ばした先は、回転する歯車がむき出しになった機械層だった。
回転する歯車へと斬り飛ばされた『少女』は、そのまま噛み合う歯車に巻き込まれて行った。
始めはマント。
振り解けず、胴が巻き込まれて。
人体ではない、鉱物が砕ける甲高い音に続いて、その人形は雑音混じりの悲鳴を上げて砕けていった。
…その悲鳴と時を同じくして。
すぐ傍で上がった絶叫にクラウドは反射で身体をそちらへ向ける。
…………オニオンが。
仲間の少女の名を絶叫でもって呼ばわり、人形が砕けた歯車へ飛び出そうとして…。
クラウドはオニオンが飛び出す一瞬前にオニオンの視界へ割って入り、剣を投げ捨て身一つで飛び出したオニオンの身体を受け止めて抱きしめた。
「違う、オニオン!」
その声は…全く届かなかった。
クラウドの必死の呼びかけに一切反応せず、涙を溢れさせ歯車へ手を伸ばし少女を呼ぶ腕の中の仲間。
「…駄目だ」
クラウドは、その場を離れることを決断した。
…もっと早くに離れるべきだった。
…もっと早くに引くべきだった。
後悔をしても遅い。
2度目の舌打ちは、完全に自分に対してだけのものだった。
オニオンが手放した剣を拾い、彼が下げた鞘に納めて、別の世界への境界付近から動かない人形の群れの内、自分の形を模した人形へと肉薄する為、足場を蹴る。
…これから先、数日間はオニオンは戦えないだろう。
見てしまった幻覚は振り解くまでその者を苛むもの。
しかしその幻覚は、幻視は。少年であればあるほど現実との区別がつかないものなのだ。
クラウドはホームと呼ぶ野営地にティナが居てくれることを願った。
本物のティナが居れば、乱雑に塗装されただけの人形を仲間と見てしまったこの小さな仲間の、目の前で仲間を喪う恐怖も直ぐに晴れるだろう。
守れなかった恐怖も晴れるだろう。

…本当は。
 
例え本物が居たとしても、少年期に見てしまった幻視の恐怖はいつまでもその者を苛むと解っていた。
最低だと思った。
何が最低なのかは解らなかったが。
戦闘が始まって直ぐに撤退しなかった自分か。
戦士であっても状況に対応できなかったオニオンか。
人形に囲まれた状況か。
人形を塗装した混沌の軍勢の誰かか。
己の形の人形の胸を蹴り、振り下ろされた水晶製の大剣の刃を交わして、クラウドは別世界への境界に飛び込んだ。
回りに居た人形達の武器の幾つかが剥き出しの腕や肩に掠り、或いは食い込んだがクラウドは一切を構わなかった。
「…最低な世界だな」
その言葉が頭に浮かぶよりも早く。クラウドはその言葉を腕の中の仲間へ向けて呟いていた。
小さな仲間は絶叫を止めていた。
無残に傷ついた震える腕がクラウドの肩へ周り、小さな両手が背中に爪を立てた。
少年のあやし方を、クラウドは知らなかった。
あやされたことがなかったから、あやし方を知らなかった。
知らなかったから、好きにさせてやることしか出来ず、クラウドは3度目の舌打ちをして目の前に広がった世界の大地を蹴った。
境界を抜けた先は、嫌になる程日の光の明るい世界だった。
仲間が発する血の匂いに、仲間を強く抱えることすらできなかった。
先程した、3度目の舌打ち。それも、間違いなく、自分に対してだけのものだった。



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