安息は黄金色 | ナノ

草原の風靡く様を、海、と最初に表現したのは、果たして誰だったのだろう。
セシルは、正に今、その風靡く、背の高い金色の草々が茂った草原のただ中にあって、ふとそんなこと考えた。
きつく束ねた餌草の大きな束を、同じ様に束ねて荷馬車に積み上げられた餌草の天辺に放り上げて息を吐く。
粗末な木の柵で餌草畑と区切られた、砂利の細い道に停められた荷馬車の荷台が、新たな束の重みを受けとめて、僅かに上下に軋んだ。
秋。
夕刻は肌寒いというのに、呼吸は上がっていて、じんわりと汗が滲み出てくる。
つばの広い麦藁帽子も、餌草の葉で切らないように着ている、長袖のシャツや厚手のグローブも、丈の長いパンツも、暑くて仕方がない。
…が、嫌だ、と思ったことは無い。
二の腕で頬に流れた汗を拭い、セシルは辺りを見渡した。
秋。夕刻。
地平線まで、なだらかな丘陵を描きながら連なる一面の餌草畑に、金色に染まった背の高い餌草が、風に撫でられて海の様な波を打っている。
根元から刈り取られた餌草は、広範囲と言えど、まだまだ荷馬車のまわりにしかなくて。
目を細めて遠くを見やれば、遠くの畑で、同じ様に餌草を刈る人々が小さく見えていた。
真っ赤に揺らめく太陽が、今にも着き沈んでいこうとしている地平線。その近くで生まれた餌草の波が、ゆっくりと、何度も、生まれてはこちらへと寄せてくる。
セシルはその美しい様に微笑み、荷馬車に繋がれている馬に近付いた。
風にたてがみを乱されて首を振る馬の、そのたてがみを梳いてやる。
力の強い馬だ。飼い葉にする為の餌草の束を、今積んである倍は積んでも、荷台を引いていけるだろう。
だが。
「父さん、兄さん、もうそろそろ切り上げないと。日が沈むまでに放した馬を畜舎に入れられなくなるよ」
うちには特に、手に負えないのが多いんだから。と呼ばわれば、少々離れた、しかし別の場所から、同時に父と兄の姿が現れた。
餌草の根元に身を屈めていたのだろう。
現れたそのタイミングの良さに、セシルは吹き出した。
父――ガーランドは、その素晴らしい体躯にらしく、セシルが束ねた餌草の束の3倍はあろうかという束を、両手に1束づつ下げて荷馬車に寄り、それらを同時に荷台に放り込んだ。
遅れて、兄――ライトも、セシルが作ったより大きな束を持って近付いて来る。
「考え直さんか、未熟者」
「どの辺りが未熟か説明して貰おうか」
刈り入れの最中も口論を続けていたのだろう。
近付くなり続きから開始された、もう恒例になってしまった父と兄の口論に、セシルはまたも小さく吹き出した。
一見険悪だが、その実毎回の口論の内容は、2人共必ず「自分がお前の負担を減らす」なのだから、仲が良くて笑ってしまう。
「ティナ、どこだい?」
口論をしながら、帰り支度を始めた2人に背を向けて、姿を現さない妹を呼び、セシルは餌草畑に目を凝らした。
程なく、風靡く金色の1点に、同じ色の髪が靡いているのを見付ける。
餌草を束ねるのにてこずっているのだろうか。
セシルは風に揺れる餌草を掻き分けて妹に近付いた。
…案の定。
ティナは刈った餌草の最後の1束を束ねるのに苦労していた。
「…束紐が足りなくなってしまったの…」
と、眉尻を下げて見上げてくる仕草が何とも愛らしい。
毎週末、野菜を売りに来る赤服の売り子の少年が惚れるのも無理は無い。
…だが妹はやらん。
「貸してごらん?」
セシルがティナが両手に握ったまま途方に暮れている束紐の、その両端を受け取り、纏められた餌草の近くに膝を付く。
そうして、餌草を通常よりも相当きつく束ねて、辺りに転がっている束と一緒に持ち、立ち上がった。
そのまま荷馬車に向けて歩き出すと、妹も軽く仕上がった束を持って後を付いてきて。
「大体だな、今から――」
「ほう? 以前は――」
依然として続いている父と兄の口論に、セシルは思わず妹と顔を見合わせる。
そうして、2人同時に軽く吹き出した。
荷台に寄って、餌草の束を放り上げ…ティナをも抱え上げ…荷台の餌草の上に、束を抱えたままのティナを放り上げる。
「っきゃぁあ?!」
驚いた悲鳴と…一瞬遅れて、荷台が大きく上下に軋んだ。
セシルは荷台の後ろ、荷を積む為に下ろしていた側面の板を元に戻して、錠を掛ける。
「押すよ?」
と、前方に声を掛ければ、「ああ」と、父の短い返事が返ってきた。
積まれた餌草で見えないが、多分、父が御者台に、兄が馬の隣に居るのだろう。
「行くぞ」
兄が馬に声を掛け、金具を引く音がして…それを合図に、セシルは力一杯荷台を押した。
緩く…緩く荷馬車は動き始める。
その速度が人の歩く早さになったところで、セシルは荷台を押すのを止め、勢いを付けて荷台に飛び乗った。
そうして、積まれた餌草の斜面で、未だに軽い束を抱えたまま寝転がる姿勢の妹の隣に身を埋める。
妹の肩越しに、後方へと流れていく黄金の餌草畑が見えていた。
遠く、地平線の近くに小さな森が見えて。
それが夕陽に染まって綺麗だった。
「っもうっ。ちい兄ったらひどいわ」
先程、放り投げられたことを言っているのだろう、妹が多少膨れて…しかし大部分笑いながら言ってくる。
はは、と笑いながら、セシルは妹の前髪に絡んだ餌草を払ってそれに応えた。
と…。
馬に掛けた金具の音が聞こえ…荷台が上下に軋んだ。
何事かと身を起こそうとすればその前に、身を埋めた餌草の山の上から、妹の向こう側に兄が滑り降りてきて。
馬を引いていた兄が、その馬から手を離し、荷台の前横から乗って来た、その音と揺れだったのだろう。
何だ、兄さんか。びっくりした。と。
セシルは起こしかけていた身を、再び餌草に沈める。
「勝った?」
先程の口論の結果を、2人して声を合わせて訊けば、兄は仏頂面で息を吐いた。
その様子を見るに、きっと今回も引き分けだったのだろう。
セシルは再び、妹と顔を見合わせて笑った。
どちらが勝って欲しい。等とは思っていない。
父も兄も、この農場が好きな人だから。
だからきっと、どちらが言い分を押し通したとしても、その後の農場の明日が、悪くなるようなことは無いだろう。
妹と2人で、いつまでも笑っていると、とうとう根負けした様に、兄も小さく笑った。
銀の筈の兄の髪色が、濃くなってゆく夕陽に照らされて金糸に見えていた。
家に帰ったらまず、馬追いの犬を放さなければ。
と、セシルは思う。
奔放に戯れる馬を追い、畜舎に入れよう。
父と兄と、自分が3人で掛かっても、きっとてこずるだろう。
その間、妹は台所で夕食の準備にてんてこ舞い。
そうそう、刈り取った餌草も、きちんと手を入れなければ。
明日もまた、昨日や今日と同じ様に、餌草を刈りに出るのだから…。
…。
…いつの間に目を閉じていたのだろう。
砂利道を行く荷馬車の揺れが心地良く、適度な疲労も相まって、何だか、眠い。
苦労して薄く目を開いてみれば、隣で妹が、髪と同じ色の餌草に身を埋めて寝息を立てていて…。
その向こうで、普段は銀の髪を夕陽で金に染めた兄が、眠そうにぼうっとしていた。
起きていなければ。
そう思って呻くと。
「居眠りでもしていろ」
なんて、前の方から父の声。
起きている自信もなかったし、何だか心地良くて、本当に眠かったから。
その声にほっとして…。
セシルは深く安息の溜息を吐いて、ふ…と目を閉じた。






静かになった荷台に、農場主――ガーランドは、小さく笑った。
起きているときは喧しく節介な子供達だが、荷馬車の揺れで寝入ってしまうとは、まだまだ子供よ、と。
…否。
親にとって、いつまでも子は子。
長男には、そろそろ経営を教えろと口喧しく言われているが、何の、まだまだ。
ガーランドは口元に笑みを浮かべながら、前方を見やる。
道はなだらかな勾配に差し掛かり、もうすぐ餌草畑が、農場地に変わる頃合い。
そうすれば直ぐに、家が見えてくるだろう。
家が見えれば、家の壁も、屋根も、畜舎も、農場地を囲う林も何もかも、黄金に輝いて見えるだろう。
ガーランドはその風景が好きだった。

夕陽の色は、日の入り始めた、今が一番濃いのだ。





リクエストありがとうございました!
ご希望に添ったものが書けているか解りませんが、少しでもお気に召して頂ければ幸いです。宜しければどうぞお持ち下さい。

紫苑様へ。精一杯の感謝を込めて。


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