novel | ナノ



バレンタインデイ
 
あ、と思い出す。
今日はバレンタインだった。何にも用意してないな、とのんきに考えて出勤する。
「はよーざいまーす」
席官と言えど、数字は一桁には及ばない。そんなあたしが朝っぱからから隊長様になんかお目にかかれるはずもなく、普通にヒラ隊員の執務室に入る。
いつも通り席につこうとすると、なんだか妙に視線を感じる。何だろ、とあたしが見渡すと、面白いぐらいに男性隊員がこっちを見つめていた。…期待してんの?それならごめんなさい、あたしは今日何も持ってきてない。
纏わりつく視線を無視して、あたしは執務に取りかかる。今日は任務だとか虚退治だとかそういった身体的な仕事はなくて、だからただひたすらに執務のみだ。あ゛ーめんどくせぇ。

のろのろと、いかにも面倒くさそうに、だるさを全面に仕事をしていると真子がやって来た。
「おはよーさん、名前」
「あ、ごめん今日バレンタインだって忘れててなんもないわー」
きっとチョコをねだりに来たんだろうと検討をつけて言うと、あたしの予感は的中してたみたいで、真子はぷうっとむくれた。
「はァ?なんやソレ。彼氏ん俺にもなんもないん?」
「ごめんてば」
めんどくさいな。あ、そうだ、バレンタインはほんとは、って話をしてやろう。
「それにね、真子、バレンタインってほんとは男の人から女の人に、貴女を想う人からですって無記名でお花とか渡すもんなんだよ。
男の人から女の人にね。
そーゆーダンディなことしてくんないの?」
あたしがそう言うと、真子はここは日本だからとかなんとかってごね始めた。
「ねーえーあたし真子からほしいなあー
ねーえー」
ねーってばーと繰り返してねだる。
バレンタインって忘れてたのはあたしだけど、今年は真子から貰うのもいいかもなあって。
ねえねえお願い、真子自分でいつもオトコマエってゆってるじゃん、だから頂戴よってねだる。うんって真子が頷くまで言い続けることにした。

粘って粘って粘ると、とうとう真子は大きくため息をついて「しゃーないな」と頷いてくれた。やった!バレンタインに真子から貰えるなんて初!いえい!嬉しいぜ!
じゃあ待ってるねーと笑って言うと、あっかんべされた。ありがとって言ったら照れたように執務室から出てった。
真子のいなくなった部屋はなんだかぽっかり不自然で、それはそのままあたしの心ん中から来た感覚だった。これは相当重症だなと、自分の恋心を再確認した。

お昼休みになると、真子がすっ飛んできてあたしを拉致した。あたし、拉致られる。
連れて来られたのは枯れかけた白薔薇の花壇のそば。
真子は懐から綺麗にラッピングされた箱を取り出した。
「急やったから市販のモンなんや、カンニンな」
「ううん、いいの、あたしが急に言い出したことだから。ちゃんと選んでくれたんでしょ?それだけであたし、嬉しいし幸せだし――ああ、なんでこんな普通な言葉しか出てこないんだろ、もっとこう――ほんと、とってもとっても嬉しいの!あたしの体全部があったかい幸せで満たされてるの!」
あたしは自分の言葉の平坦さに失望して悲しくなりながら言った。
「普通な言葉なんかやあらへん、名前が口にするだけでその言葉は異世界から来た言葉みたぁに不思議に輝いてるんやで」
歯が浮くようなフォローに、あたしは何回もありがとうと言って、「これ開けていい?」と聞いて、貰ったラッピングを剥がし始めた。
「わ!美味しそうっ」
中には可愛らしい生チョコが入っていた。
「かぁーわいいっ」
頬を綻ばせてありがとうとお礼を言うと、真子の頬がぽっと赤くなった。耳まで赤くなってますよ、平子さん。
真っ赤な真子を見て、あたしはもっと照れた真子を見たいなあと思う。我ながら性格悪いと思います、はい。あ!いーこと思い付いた。
「ねえ、真子。あたし、これ真子に口移しで食べさしてほしいな?」
ちょこんと小首を傾げて上目遣いで聞くと、真子の目は驚愕に見開かれた。
「どないしたん?今日はやけに積極的やん」
「いーの。ね、いいでしょ、お願い」
ええけど、と真子は答える。あれ、あんま渋んないな?ちょっと計算違いかも。
真子は箱の中の生チョコを手にとって、口に放り込んだ。そうして、あたしに口づける。ふわんと香るチョコの香り。
真子はあたしの口を開けさせて、唾液と一緒にどろどろに溶けたチョコを流し込んで、まだ残ってるチョコの塊をあたしの口内に入れる。しばらく真子の舌はあたしの口内を動き回って、あたしの舌と絡み合って卑猥な音をたてた。最後に、仕上げとばかりに歯ぐきをちょっと舐めて離れていった。キスの間中、あたしは背中がぞわぞわして膝ががくがくして体から力が抜けて、真子がくれた箱を落とさないように必死になった。
「オマエ今めっちゃエロい顔してんで」
唇が離れて、真子が言った。
「しんじに、ゆあれたくない」
口移しでもらったチョコを舐めながら言い返す。うまー。でもなんか固いもん入ってるわ。ナッツかな?
「ふぉれナッツはいってん?」
あたしの言葉に真子はにやりと笑った。なんだよ?
てゆうかこのナッツ味しないなー、めっちゃ固いし。真子の嫌がらせか?
「一回その固いんだしてみィ?」
「えーでも」
「ほれ早く」
なかなか出そうとしないあたしに、真子はあたしの口の中に指を突っ込んだ。
「はっ!?はひふんほ!?」
あたしの拒絶を真子はただにやりと笑っただけでスルーした。くっそ、後で覚えてろ。
真子の指はしばらくあたしの口内を動き回った後に、やっと件の固いもんを取り出した。
「出てきたわ。ほい、これ」
ぴんっと投げてくるから、何かと思って受け取ってしまう。うえー、よだれでべったべたじゃん。
「きったねー」
指先でつまんで持つと、真子に笑われた。自分のよだれなのにって。まあ確かにそうだけど。
てゆうか、なんだろ、コレ?銀色で、ちょうど指輪みたいな形をしてて――って、もしかしてこれ、

「…指輪?」
「せや」
そう言って真子は得意げに笑った。
「ちょうどええ機会やしと思ってな?名前、結婚しようや」
そんな、へらへらした空気で言われても。嬉しいには嬉しいんだけど、えええ?なんかもう訳わかんない!
「オマエ今頭ん中ごっちゃごちゃやろ」
「誰のせいだ誰の」
むすっと頬を膨らませると、真子はけらけらと笑ってから、急に真顔になって言った。
「そんで、まだ俺返事聞いてへんのやけど」
急に真顔になるから、あたしはどぎまぎしてしまう。真子のバカバカバカ。

「当たり前でしょ!あたしみたいないい女はもう真子には巡ってこないんだからせいぜい大事に扱って頂戴!」
「ハイハイ」
真子は呆れたように言う。
バカ真子。聞かなくたって分かってるでしょ、あたしがあんたを大好きなのなんて。
そんなのいちいち、声に出して確認しないでよね。
「ばーか、ハゲ真子」
「ハゲてへんわアホ」

今日が人生で一番幸せな日かもと、幸せすぎてうまくまわらない頭でぼーっと思った。