novel | ナノ



クチナシのキス
 
「おっりひめー!ご飯食べよー!」
お昼休み、4限終業のチャイムが鳴ると同時に千鶴が織姫に声をかけた。他の面子も机を寄せあって準備をし始める。お腹空いたねー、今日の古典早めに終わってよかったー、とか。昼休み特有の気だるさと解放感が教室に充満する。
「あっ、ごめん、今日はちょっと行くとこあるんだー」
声をかけた千鶴に対して、織姫は申し訳なさそうに眉根を寄せて謝る。そして、食パンの2斤入った紙袋を抱えて小走りに教室から出ていった。
「例の、先輩んとこか…」
「ふられちゃったね、千鶴。まあどんまい」
走り去った彼女の残像に未だ見惚れている千鶴に声をかける者、一緒に見惚れている者。確かに走り去った彼女はいつもより美しく見えた。

教室を出た織姫は、食堂に急いで向かう。先輩、もう食堂着いちゃって待ってるかな、早すぎたかなあ?てゆうか、食パン2斤も持って来るんじゃなかった…先輩に引かれたらどうしよう。脳みそをぐるぐる回転させながら、生徒や教職員で賑わう食堂に入る。

「織姫?」
少しハスキーな、女の人にしては低い声が後ろから聞こえた。織姫は一瞬、その声に聞き惚れる。それから、余韻に浸りながらゆっくり振り返った。
「名前、せんぱ、い」
振り返ると、背の高い、黒髪を短く切った名前が立っていた。日の光に当たって、耳に飾られたピアスがいくつもキラキラと光った。
「やだなあ、名前でいいっていつも言ってんじゃん」
目を細めて笑いながら言う名前を、織姫は眩しいと思った。
「今日学食の人いっぱいいんねー。織姫は今来たばっか?」
名前の声に聞き惚れていた織姫はあわてて頷いた。
「そっか。じゃあ先席取っとこっか」
「はいっ」
教室に帰る人、これから買う人の流れに逆らって空いてる席を探す。織姫の手を名前が掴んだ。
わ。先輩の手だ――冷たい。
織姫は掴まれた手をぎゅっと握った。その感覚に名前が振り返って言った。
「織姫の手、あったかいね。あたしの手冷たいよね、ごめん」
そしてまた笑った。その周りだけぱっと色が変わった。
あたしやっぱり、先輩のこと好きだなあ。忙しく動き回る周囲とは反対に、のんびりと思った。
あ、あったあった――そんな言葉を発して、席を見つけたらしい名前は織姫と手を繋いだまま一直線に歩き出した。
テーブルに食パンを置くと、名前はまた歩き出そうとして振り返った。
「あたし今日買わなきゃなんだけど織姫も来る…来たい?」
「あ…行きたい、ですっ」
そんなに力まなくていいのに、と言ってあははっと笑った。
「今日なんにしよっかなー…今日の麺なんだっけ?」
二人はまた手を繋いだ。
「多分タンメンだったと思います」
「あー、タンメンかあ。ここのタンメンキャベツが柔らかいからな」
普通にチャーハンにしよっかな、と付け加えて人でごった返している売り場に目をやった。
「織姫、ちょっと待ってて。あたしチャーハン買ってくるわ」
名前は手をほどこうとした。織姫はその手に指を絡ませて、「頑張って下さい」と言った。名前は「ありがと」と絡めた指にキスをして人のたかっている売り場へ向かった。
名前は背が高いから、その分腕も長くて、あっさりとチャーハンを手に戻ってきた。
織姫のところへ向かってくる名前を見て、彼女は大声で言いたくなった。見て、見て、名前先輩を。あのすらりとしたスタイルも、短いスカートから除くほっそりした真っ白な陶器のような肌も。そしてあの濃くて長い睫毛、くっきりした二重、桃色の薄い唇。キスをすると、唇の下に開いたピアスも舌に開いたピアスも当たるの。あれが苗字名前先輩なの、あたしの大事な人なの!

「おまたせ、織姫」
席について、いただきますと手を合わせる。
「先輩それしか食べないんですか?」
織姫は、名前の食べようとしている物に目を向けて、びっくりした。パックに入ったチャーハンしかなかったからだ。
「なんか最近食欲なくてさ。恋煩いってヤツ?」
織姫はよく食べるねと名前が笑って付け加えたので、少し恥ずかしくなって食パンの紙袋を隠そうとした。
「だーめ」
が、名前に止められた。
「たくさん食べる織姫が大好きだから恥ずかしがったりとかしないで」
「ありがとうございます」
織姫は嬉しくて、へらっと笑って言った。
「あたし、名前先輩と一緒にご飯食べれて嬉しいです」
名前は目を見開いて驚いた顔をして、照れたようにそっぽを向きつつ言った。
「あたしも、嬉しいよ。今日は織姫から誘ってくれたし」
いつもなにかと誘ってくれるのは名前で、最近会ってないし、どうですかと今回は織姫が言い出したのだ。
先輩も照れるんだ――かわいい。織姫の口元は自然と綻ぶ。

久しぶりに会って会話も途切れることなく続く。そうしているうちに昼休み終了の予鈴が鳴った。
「もう終わりかあ。じゃあそろそろ帰ろっか」
「はい」
人がたくさんいた食堂も、あまり人がいなくなって、食堂のおばちゃんたちが片付ける音が大きく響くようになってきていた。織姫は名前に頷いて、二人で食堂を出た。
階段を上がって、2階に着く。
「それじゃ、」
織姫は上の階なので、さようならと手を振ろうとしたが名前に遮られた。
「いいよ、まだ時間あるし」
上まで送らして?と名前は言った。
そんな、悪いですと織姫は断ろうとしたが名前はもう階段を上り始めていた。早くしないと授業に遅れるよという声に織姫は慌てて名前を追いかける。
階段を上りきって、二人は織姫の教室へ着いた。

「じゃあね、織姫」
二人は別れて、織姫は教室の中へ、名前は階段の方へ向かった。
「あ!織姫」
名前が織姫を呼び止めた。その声に織姫は戻ってくる。
「なんで――」
ちゅ。
言いかけた織姫の唇に名前がキスを落とした。
「っっっ!?」
真っ赤になって爆発しそうな織姫に、名前は笑って言った。
「バイバイのキス忘れてたなあって。じゃあね!」
一人呆然と、ショートした織姫を残して、名前は今度こそ階段の方へ駆けて行く。

織姫はそっと、唇に指で触れる。
「名前先輩…」
ふふふ、と一人微笑んで、幸せにたっぷり浸って教室へ戻った。