「なまえをどこへ連れていく気だい!?」

届く筈もないのに剣を構え、焦ったように叫ぶ青髪の王子を邪竜は見下ろす。
遥か上空、白いローブを纏った一人の少女を横抱きにして浮かぶ白髪の青年は、その優男のような容姿にそぐわぬ冷めた瞳で地上を眺めると、青髪の王子──アルフォンスの問いを「君達にはもはや関係のないことだろう」と一蹴した。

「戦は終わり、他の英雄達も在るべき世界へと還った。君達は戦争のためになまえを喚んだんだろう。それが無くなった今、なまえが何処に行こうとも君達が口出しをしてくる権利はない」

「確かにその通りだよ。僕達は、……この戦乱をおさめるために大英雄を──なまえを喚び出した。勝手な事情だとは百も承知だ。けれど、なまえは大切な仲間だ、その彼女が何処ともしれない場所へ連れて行かれようとしてて黙っていられるわけがないよ」

強い光を宿す瞳は、見ているだけで虫酸が走る。己達が正しいのだと信じて疑わない光、大嫌いな人間そのもの。なまえと過ごすようになってから溶かされていた、発作のような殺意が沸々と蘇ってくる。
今すぐにでも喰い殺してやりたくなるが、あれは曲がりなりにもなまえが救いたがっていた人間だ。いや、救いたがっていた──という表現は正しくないかもしれない。なまえはそのように上から目線で手を差し伸べるような人間ではない。なまえは、アルフォンス達の助けになりたいと常日頃から口癖のように言っていた。だが、言い方が違うだけだ、意味合いはそう変わらないだろう。
兎に角、なまえが救ったモノをわざわざ壊せばなまえは落胆するだろう。人間は嫌いでも、彼女のことは好いていた。だから、この世界では無闇に殺生を行わないことは、邪竜であるギムレーなりの誠意であった。
だが、アルフォンスという人間に苛立つことには変わりない。大切な仲間だのと謳って悪戯に、中途半端になまえを縛りつけようとしているとしか思えないからだ。

「大体、戦争が終結したのだからなまえはもう用済みだろう。時が経てばどうせなまえのことを厄介払いするんじゃないのかい?何故なら、なまえはこの世界にとっての異物であり、元の世界に還してやることすらできない存在なのだから」

「いいえ!そんな、そんな厄介払いだなんて絶対にしません!この国で、そんなことを考える人なんて誰一人として居ません!だって、なまえさんは私の大事なお友達でありアスク王国を救ってくれた大英雄なんですから……!!」

金髪の少女が目に涙を溜めながら叫ぶ。妹王女──シャロンの言葉に同意するようにアルフォンスは頷きながら、再び剣先を上空のギムレーへと向け直した。

「さぁ、なまえのことを返してくれないか。彼女には、このアスク王国でゆっくりと休養を摂ってもらいたいんだ。それから、彼女がやりたいように過ごしていってもらいたいと考えている。当然、そのサポートは僕らが行っていくつもりだ。それが、彼女の元の世界での暮らしを奪ってしまった僕達が尽くさなければならない償いだから」

「────君達人間は、どれほど欲深くあれば気が済むんだ。アスク王国で過ごしてもらう?彼女がそう望んでいるかも知らないのによくも決めつけるものだね。わかっていたことだけれど、醜悪なほどに聞き分けが悪いから言ってあげるよ。なまえは、"自らの意志で僕と──我と共に在ることを決めた"」

「なっ……!?」

「そんな…!なまえさんどうして……!?」

面白いほど驚愕に満ちた面持ちで、信じられないとでも言うように、ギムレーに抱えられているなまえを二人は見遣る。
本当なのか、と問い質したげになまえを見詰めるが、なんの反応も返さずに彼女が微動だにせず虚空を見つめ続けているからか「なまえ、それは本当なのかい?君の口から聞きたいんだ」と、痺れを切らしたアルフォンスが問い詰める。
だが、なまえは依然としてギムレーに身を委ねたまま、垂れ下がった手の指先すら動かすことはなかった。そこで漸く、アルフォンスは違和感に気づく。

「邪竜ギムレー、……なまえになにをしたんだい」

いくらなんでも、ここまで反応がないのはおかしい。まるで眠っているかのようになまえはぐったりとしている──ように見える。というのも、地上からでは彼女の表情等を確認することができないのだ。

「質問が多いね、それも君には関係のないことだ。だが、これはなまえ本人が望んだことだよ。……さぁなまえ、もうだいぶ馴染んできただろう、長居する理由もないからそろそろ行こうか」

「ですから、何処へ行くと言うんですか!?なまえさんは連れていかせません!!」

「──はぁ、傲慢で欲深くて、どうせ恩などすぐに忘れるだろうに執念深い。連れていかせないだなんて、君にそんな権利はないと何度言えばわかる?キリがない、……なまえ」

「ギムレー!!」

炎のように真っ赤なその瞳はしかし、凍てつくほどの冷たさを放っている。ギムレーはこれ以上の問答は無用だと判断したのか、なまえの垂れ下がった腕を持ち上げると、その手に彼女の神器であるブレイザブリクを握らせた。
すると、ブレイザブリクを握った瞬間になまえは自発的に動き始める。といってもひどく緩慢な動作だが、彼女はそれを逆に──ギムレーと自分自身に向けて構えると、アルフォンス達が制止するにも関わらずそれを発動させたのだ。
なまえとギムレーを中心に、眩い光が辺りを覆う。目が眩みそうなそれに思わず腕を翳し、やがて光が収まって瞼を持ち上げると、なまえの姿もギムレーの姿も忽然と消えていた。
























「ねぇ、ギムレー。アルフォンスやシャロンはどうしてるかな」

「──なんだい、今更未練が出てきたとでも?」

「違うよ。ただ、彼らが私の大切な仲間だったことには変わりなかったから気になったんだ。ごめんね」

窓の外をしんしんと降り積もる雪を眺めていたら、ぽつりと零れてしまった。パチパチと弾ける暖炉の薪の音以外には静かな空間に思ったよりも大きく響いたそれは、当然ながら同居人に拾われる。
椅子に腰掛けながら本を読んでいたギムレーは、なまえの呟きを聞くと至極不満そうに嫌味を返した。
わざわざ彼の機嫌を損ねたくはないので曖昧に返答して会話を打ち切ろうとするが、窓に映る影が増えたと認識した時にはもう、顔の横の窓ガラスに手袋をはめた彼の手が置かれたものだから失言をしてしまったと焦る。

「アスク王国から──あの世界から逃げ出したいと願ったのは他でもない君自身だろう」

「うん、私が貴方に願った」

「人間はすぐに恩を忘れて同じ過ちを繰り返す生き物だ。どうせ、あの人間達も君が成した功績も忘れて異物である君を追い出し、忘れ去っていたさ。だから僕と共に去ったことは間違いじゃない」

彼は、熟優しいと思う。敵──特に人間に対しては容赦がないが、唯一なまえにだけは不器用で遠回りでわかりにくいながらも優しさを向けてくれていた。それは共に長く過ごしたが故なのか、契りを結んだからなのかは定かではないが、戦闘でもギムレーに助けられてばかりだったのだ。
あの時も──そう、無事戦争が終わってみんなが夜遅くまで騒ぎ倒したパーティーを一人抜け出したあの時も、なまえがどこか寂しげにしていたのをパーティーには参加していなかったものの何処かで見ていたのか、なにも言わず隣に座ってくれていた。
その次の日、ずっと一緒に戦ってくれていた英雄達を送還する時も、輪に混じらず離れてはいたがずっと見ていてくれていた。
一日では全員を還しきることができなくて、何日かにわけて送還するものだから余計に寂しさも募って。きっと、ギムレーを一番最後に回していたのは還ってほしくなかったからだ。
だから、彼を真っ先に還さなかったから、甘えてしまったのだ。英雄達が還っていく中、元の世界に戻る手立てが未だに見つかっていなかったという事実は焦燥と不安を生み出していた。"このまま帰れなくて、この世界で上手くやっていけなかったらどうしよう"、これまでは戦乱の渦中を忙しく生き抜いていたから特に気にはならなかったし気にする余裕もなかったが、この世界はなまえが元いた世界とは明らかに文明レベルも常識も違う。平和な世では、馴染むことのできないなまえはどうしても浮いてしまうだろう。アスク王家の厚意に甘えたとしても、見限られてしまうのではないか。
冷静になって考えれば、あのアルフォンスとシャロンが友人を見捨てるはずがないと思えるのに、異世界の異物である自分がたった一人取り残されていくというのはとてつもない恐怖であった。
だから、なまえはこの不安をギムレーに吐露してしまったのだ。一人ぼっちは寂しくて怖くて、己の弱さに自嘲しつつも誰かに話さなくてはいられなかった。
正直、呆れられて叱咤されて、馬鹿だと突き放してほしかった。そうされることを望んでいた。そして、彼ならばそうしてくれるだろうと確信していたのだが──予想とは違い、ギムレーはなまえの想いを受け入れ、包み込んでくれた。いいや、包み込むという甘いものではなかった。あれは、弱った心につけ込む誘惑であった。
ギムレーは、なまえの想いを聞いた上でこう誘ったのだ。

『なら、僕と何処かへ行ってしまおうか。君は無礼を働くことがなかった優秀な小間使いだったしね、僕の側に居ることを許してあげるよ』

見限られる、見捨てられると思い込んでいた心にその言葉は甘すぎた。
差し出される手にすぐにでも飛びつきたかった。だが、彼も喚ばれた身だ。元の世界というものがあって、なまえとは違い還ることができる。その事実が歯止めをかけた、だが、ギムレーは嘲笑するとなんでもないように吐き捨てたのだ。

『何度儀式を行っても結局記憶は戻らなかったからね。さして元の世界──どんな所だったのかすら覚えていないけど、還りたいとも思っていない。戻るよりも、君を側に置いておく方がずっと退屈も紛れそうだ』

そして、なまえはついにその手を取ってしまった。だが、何処かとは言うが何処に行くと言うのだろうか。
その疑問を素直に口に出せば、ギムレーはふっと柔らかく笑んだ。

『簡単さ、異界へだよ』

別の世界へおいそれと行くことなんてできない、特になまえは。だが、それすらも彼は簡単に答えてしまう。

『今の君の力では無理だと言うのならば、僕が手を貸してあげよう。君が真に僕の半身となったのなら君の神器も併用すれば世界を渡ることも不可能じゃないはずだ。まぁ、どこの世界に辿り着くかまでは定められないだろうけれど』

どこへ流れ着くかもわからないなんて危険ではないのか、と恐怖が頭を過ぎったが、どうしてか安心してしまった。彼が居てくれるのなら、と安堵してしまったのだ。
なまえは弱い、ただの平凡な人間だ。大英雄などと持て囃されてはいるが、その実はついこの間まで戦いも知らず手助けをされて乗り越えてきた平凡な女だった。結局、なまえは誰かに依存しなければ生きていけない。まだ、一人で生きていくにはなにもかもが頼りなかったからだ。
だから──彼の、邪竜の半身となることを受け容れてしまったのだ。
そこからのことは覚えていない。半身となって彼の力が身体に馴染むのを待つ間、意識は混濁していた。ブレイザブリクを構えたところは薄ぼんやりと思い出せるが、気づけば今居るこの世界にいた。

「君は、争いもなく平和に静かに過ごしたいと僕に願った。そうだろう?」

「うん、……その通り」

「それを僕は叶えてあげた、だというのにアスク王国に戻りたいとでも?」

辿り着いたこの世界は戦乱もなく平和だった。だから、"このまま平和に静かに暮らしていきたい"と邪竜に願ってしまったのだ。
そして、邪竜はその願いを見事に叶えた。──周辺の村を全て焼き払い、皆殺しにして。
それを知った時、なまえはひどく取り乱した。そして、安易に願いを告げてしまった自分を責めた。同じ人の形をしているとはいえ、彼は憎悪と破壊の化身だ。なまえには寵愛を向けてくれているとはいえ、他の人間には一切の容赦がないことを知っていたはずだというのに。
なまえが争いのない平和を望んだから、争いを生み出す人間を消した。それは、なまえには理解できない邪竜の思考で、ギムレーとなまえは根本的に違う存在だと愕然と思い知らされた。
暫くは塞ぎ込んでいたが、それでも彼から離れることのできないなまえは、自分自身を人間として最低だと自覚しつつもずっと彼といる。
結局、この引き金を引いてしまったのはなまえ自身だったのだから。

「なまえ、君はもう僕の半身だ。今更逃がしはしないよ」

さらりと、ギムレーの手がなまえの髪を掬う。彼の半身となってから随分と経つが、力を分けてもらっただけとはいえやはり身体も変質してしまっているのだろう、髪はアスク王国を去ったあの日から長さが変わらない。
ギムレーの言い方は、まるでなまえを縛り付けているかのようだ。だが、その横暴さがなまえにとっては優しさだった。なまえではなくギムレーが事を先導したかのように聞こえるから。
──ああ、なんて私は情けないのだとなまえは落胆する。計らずとも彼に責任を負わせてしまって、のうのうと得を甘受しているのだから。
──こんな弱くて卑怯な自分はもう嫌だ。彼は──ギムレーは、実の所は強引すぎることなどほとんどなかった。竜故の考え方の違いによる差異はあるが、それでも彼はなまえのことを考えてくれていた。そして、それを良いことになまえは幼い我儘っ子であり続けてしまった。
今が不幸だとは絶対に思わない、むしろ、幸せ者だろう。アルフォンスやシャロンにも、勝手な不安で大きな迷惑をかけてしまった。中途半端に逃げ出して、ギムレーにもこうして迷惑をかけている。
随分と自分本位な生き方をしてきてしまった、このままでいいのか?──いいや、いいわけがない。
もう子どもではないのだ、誰かの優しさを貪るだけなのは嫌だ。全ての選択は、なまえが選んだこと。そこに善し悪しはない。そう、紛れもなく自分自身の意志なのだから。

「逃げる気なんてないよギムレー。貴方と共に居るのは今までもこれからも私の意志だから。私は望んで貴方と在り、貴方の半身であり続ける」

彼を愛しているのも、己の意思であり感情。これはわざわざ言葉にはしないけれど、向き合って宣言する。
胸に秘めた愛はしかし、察したのかギムレーは満足げに口元を歪めると、なまえの額に口付けをした。


この身は唯一人あなたと共に
(ひとでなくなり、選択を誤っても、貴方と共に在りたいと願ってしまうのです)



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