世界の滅亡というものは、存外あっさりと唐突に訪れるものだ。
誰かがそう言っていたし、そんな映画も幾本だって見たことがある。世界の滅亡と一口に言っても多種多様な原因があるが、例えば──謎のウイルスの蔓延だったり災害だったり超常現象だったり侵略だったり。海から巨大生物が現れて国を破壊し尽くす、という題材の映画が流行ったのは少し前だったか。いや、もっと前かも。
兎も角、そんな突飛な原因で平和というものは蝋燭の火よりもあっさりと呆気なく消えて吹き飛んでしまうのだと、どこか冷静な頭で私はそう認識していた。
だから、今こうして実際に滅亡とやらが訪れていても不思議と恐怖は感じなかったのだ。麻痺しているわけでも現実を受け入れられないわけでもない、ただ──この世界はいつかこうなるのだと、穏やかで慎ましやかな日常を送る傍らの私はぼんやりと知っていたから。

「逃げようなまえ!危ないよ!」

一緒に登校していた友達は、そう叫ぶやいなや人波に従って走っていく。腕を伸ばせばその手のひらすら埋め尽くしてしまいそうな程の人間達に溶け込んですっかりと友達の姿は見えなくなってしまったが、私はどうも彼女の後を追いかける気にはなれなかった。
私の周囲には同じく登校中らしき制服を着た男女や草臥れたスーツを着た男性などがいたが、彼らも何処へ逃げるのやら恐慌に陥ってすぐに走り去っていく。きっと、逃げていないのなんか私だけなのだろう。でも、私に言わせればこんな状況の何処に逃げ込めるような安全地帯があるのかという話だが、皆そんなことまでは考えられていない。
それはそうだろう、ビルは崩れ、空は黒い亀裂が入っている。透き通る青の中に、途方もない闇のような黒い亀裂が幾重にも入っているのだ、まるでガラスのように。そりゃあ不気味この上ないだろう。太陽だってその煌々と輝きを放つ輪郭がズレて真っ二つに裂けている始末なのだから。混乱するのは当たり前だ、思考が上手く働かないのだって当然。映画か漫画のような異常事態が、現実味がないからこそ他人事で考察できた世界滅亡が実際に起こってしまっている。
至る所で火の手は上がり、黒煙が辺り一帯に充満する。道路ではひしめき合った車達がうるさくクラクションを鳴らしていた。あちらこちらで怒号も聞こえるし、悲鳴や泣き声も響き渡る。まさに地獄絵図という言葉が相応しい中で私は、自分自身でも何故かはわからないのだがある一点に釘付けになって動けないでいた。
それは空に浮かぶ滅亡の権化、闇色の竜のような巨大な生命体。不気味な紅い目が六つ、壊れたビル群を見下ろしている。
その傍らに浮遊して、感慨もなくつまらなさそうに地上を見渡している白髪の青年──私は、他ならぬ彼に目を奪われていたのだ。
一目惚れに近いのかもしれないが、ただひたすらに綺麗だと思った。啓示だと思った──同時に、仮初の平和に目が眩んでしまっていた自分自身への罰だとも感じたが。
だが、私の少ない語彙では言い表せないが、とにかく荘厳だったのだ。そして、優美だったのだ。
──もっと言うならば、懐かしかった。

「きれい……」

思わず、そうぽつりと呟いてしまう。だが所詮はわらわらいる人間の内の一人の小さな小さな呟き、周囲の喧騒の中では一瞬でかき消されてしまうのが当然だったが、まるでそのか細い声を拾ったかのようにぴくりと指先を跳ねさせた白髪の青年が頭を動かすと、引き寄せられたかのように私の方を真っ直ぐ見たのだ。
ああ目が合ったと認識すると、私は動くという概念を忘れてしまったかのような不思議な心地に囚われて──その時に浮かべられた笑みを、多分私はずっと忘れられないだろう。まるで悪魔が微笑んだかのような、冴えない自我を絡め取られるようなものだったのだから。
青年は、私の方へと腕を伸ばす。するとすぐに隣の竜が首を擡げて、その大きな大きな口を開けた。
そこから紫色の毒霧のようなブレスが放出される。あれこそ世界を破壊し尽くしている凶器なのだが、それが今私に向かって放たれようとしている。
身動きは取れないが恐怖はない、ただ、ここから帰らなければならないのだと悟っただけだ。彼の動かす唇の形を追いながら、私は胃の浮くような無重力感に身を委ねた。














「なまえさん!!」

目を覚ました時、傍らにいたシャロンは隈のできた眼に涙を浮かべながら私の名を呼んだ。
記憶の混濁する頭を押さえながら起き上がると、シャロンが背中を支えてくれる。こうして思ったが、私もシャロンも少し窶れてしまっているようだった。視界に入った手首が不健康に細くなっていて、おまけに血色も悪くて青白かった。

「なまえさん、目を覚ましてくれて本当によかったです……!わたし、このままなまえさんが起きなかったらって、そんなことばかりを考えて……!!」

「えっと、シャロン。……ごめんなにがあったの?」

頭がまだ寝惚けているせいもあるのだろうが、状況を把握できない私がそう問うと、シャロンは事の顛末を詳細に語ってくれた。
要約すると、私は戦場で敵の魔法を受けてしまい昏睡状態に陥っていたのだという。何日も目を覚まさなかったからこれはおかしいという話になり、魔法を得意とする者達が診断した結果、私は夢の中で"戻りたい過去"の再現世界に延々と囚われ続けていたそうな。
私を目覚めさせる方法はその"戻りたい過去"の世界から引きずり出すことぐらいで、それには夢の中に居るという自覚のない私を同じく夢の中でどうにかするしかなかったのだが、相当親しい間柄の者じゃないと異物に対しての無意識の拒絶が働いて夢の中には入れないとのことだったらしく、私と親しい者代表のアルフォンスやシャロンは万が一のことも考えて潜入は許可されず、結果として絆の契りを結んでいた彼が立候補したことから魔道士総出で彼を私の夢の中へと送り込んだらしい。
なるほど、私の"戻りたい過去"とやらは後悔していることとかそんなネガティブなものではなく、元の現代での生活というわけだ。だから、私は元通り学校にも登校していたし家族と暮らしていたのだ。
確かに、あの平凡で代わり映えのない日常はある意味では戻りたい過去ではある。それには異議なく納得が行くし、実際に──気楽だったし楽しかった。

「なまえさん、わたしは皆さんを呼んできますね!!…あ、ギムレーさん、なにか体調におかしいところとかあったら絶対に言ってくださいね!!」

私が自己分析に耽っていると、シャロンは皆に目覚めたことを知らせに行くと言った。そんなシャロンは、私を通り過ぎてベッドの反対側にも声を掛ける。釣られて私もそちらを見れば、見慣れた白髪の青年──ギムレーのつむじが目に入った。
ギムレーはシャロンに対して返答はしなかったものの、流石にギムレーの為人をわかっているだけはある。無言を肯定と受け取ったシャロンはぱたぱたと部屋を出て行き、しんと一気に室内は静まり返った。シャロンの出て行った扉を見ていた私は、再び下へと目を落とす。夢の中ぶりのギムレーはベッド脇に背を預けながら気だるそうに床に座り込んでいて、ぴくりとも動かなかった。

「えっと、ギムレー……」

恐る恐る声を掛けてみれば、少し間が空いたあとに「…………なんだい」と疲れを色濃く滲ませた声が返された。
ベッド上で会話してもよかったのだがちゃんとお礼が言いたくて、私はベッドから下りるとギムレーの隣に屈みこんだ。靴を履くほどの元気はないので素足で降りたせいか、床の冷たさが伝わってきてぶるりと震える。
横からギムレーの顔を覗くと、やはりというべきか疲労の色が見て取れる。戦闘後でも余裕綽々といった表情を崩すことがないのに珍しい。そう思うと同時に、そこまで無茶をさせてしまったのだと申し訳なくなった。

「迷惑かけてごめんねギムレー、でも助けてくれてありがとう」

「……助けたわけじゃない、君が眠り込んだままでは面倒だから仕方なく行ってあげただけだ」

「うん、でもありがとう」

「全く、魔道士どもの処理が追いつかなかった術を壊すのに随分と力を使わされた。それに加えて世界を丸ごと破壊までした。それもこれも、君が油断して虫けらの魔法なんかを受けたせいだ」

辛辣に降りかかる批判の全てがまさにその通りで、返す言葉もない。それに関しては私が全部悪いし、紛れもない私の反省点だ。シャロンとギムレーの話から察するに、随分と多くの人に迷惑を掛けてしまったようだ。うぅ、アルフォンス怒るかなぁ、後で皆にもきちんと謝らないとなぁ。
私に使われた労力が恐ろしく、申し訳なさで縮こまっていると、ギムレーが「だが」と続けた。

「君はあそこで惰眠を貪り続けていた方がよかったんじゃないのかい」

それは、ずっと夢の中に居た方がよかったということだろうか?
こんな私でも要として頼りにしてもらっているし、私が戻らないと色々と面倒なことになってしまうので夢からは絶対に覚めなければならなかったのだが、どういうことだろう。
彼の質問の意図が掴めなくて首を傾げると、私と目を合わせることを避けているようにも感じる余所余所しさを纏ったギムレーは続けた。

「あそこは君の元居た世界だろう、わざわざあんな平和そのものの世界を作り出したんだから未練があったわけだろう?僕は破滅と絶望の竜だ、君を連れ戻すにはあの世界を破滅させることしか思いつかなかったからそうしたが、君の望み通りの楽園を壊したんだ。平和な世界から再び戦乱へと引きずり出されて……目の前にいる箱庭の破壊者に恨みはないのかい」

彼は依然として目を合わせてくれない。そっぽを向いたまま、そうぽつりぽつりと語る。
──確かに、あそこは私の望み通りの世界だった。戻りたい過去という縛りに応じて作り上げた、私の理想の世界そのもの。曲りなりにも戻りたい過去だけあってあそこにいるのは楽しかったし、嬉しかったし、殺伐とした命のやり取りとはほとんど無縁だった。

(友達もいて、家族もいて。目立って大きなことは起こらないけれど起伏の少ない同じような日々を繰り返す日常、控え目で馴染みのある大切な故郷、だけど)

しかし、それでもと思う。それでも、私はこのアスク王国に帰ってこなければならなかったのだ。
召喚師という役割がある、アスク王国を戦乱から救う使命がある、だがそれ以上に──私は、アスク王国と仲間達が大好きだから。それだけで、帰ってくる理由としては十分だった。それに──

「ギムレー、私は感謝こそすれ貴方を恨みなんかしていないよ。だって、貴方は私に思い出させてくれたから」

「……」

「あの時、私がブレスに飲み込まれる直前──『君は僕の小間使いだろう、早く戻っておいで』って言ってくれてたよね?ちゃんとは聞こえなかったけど、それでも言ってくれたでしょ?私ね、それを聞いてあぁ戻らなきゃなってすごく思ったの。だって、あの世界には私の大好きな仲間がいない、──ギムレーがいないから」

理想の世界にも、私が"戻りたい過去"として作り上げたからこそ欠けているものがある。それは現在でできた大切な仲間達、人間関係だ。それだけは過去を再現しているあの空間では補完しきれない私の楔で私の未練と意味。
アルフォンスやシャロンがいない、英雄達がいない、ギムレーがいない。過去を練り上げ続ける夢には存在しえない大切なもの。私は、過去も未来も現在だって大事だから──きちんと前を向いて歩こうとそう思ったのだ。
私は召喚師で、まだまだ分不相応だろうけれど大英雄と呼ばれていて、そしてある邪竜の小間使いだ。だから戻らなきゃいけないと心の底から思った。それはひとえに、こんな私を必要としてくれる人達がいたから。

「だからギムレー、私を連れ戻してくれてありがとう」

改めてそう礼を告げれば、ギムレーはどこか不安を抱いているかのように怖々と私に目を向けた後、ずっと眠っていた故に顔色自体は悪いだろうけれど満面の笑みを浮かべた私を見て、安堵のようなものが混ざった曖昧な表情を見せた。だがすぐに肩の力を抜いて、「ふん」とぶっきらぼうに鼻を鳴らしながらフードを深く被りこんでしまう。

「……僕の小間使いなんだから、やすやすと虫けらに隙を見せないことだね」

私の耳で聞き取れるか聞き取れないかのギリギリな声量の呟きに私は何度もこくこくと頷くと同時に、部屋の扉が勢いよく開かれた。
すぐさま雪崩込んでくる英雄達にすぐに揉みくちゃにされた私は、皆が口々に捲し立てる復帰の祝いや私が目を覚まさなかった間の悲痛と、私の巻き添えを食って雪崩に巻き込まれるギムレーの怒声を聞きながら、この暖かい場所に戻ってこれてよかったと心底から安心したのだ。




In the dream.
(夢と現実は表裏一体というが、現実の方がずっとにぎやかだ)



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