※ギム→夢主←眷タク。
※ギムVS眷タク。










さくさくと、草を踏む音が二人分響く。青々とした葉を隙間なく纏った木々たちが陽光の侵入を拒んでいるせいか、燦々日光の下でもここは僅かに薄暗い。
そんな森の中を、二人の男女が不自然な間隔を開けながら歩いている。
片方は白いローブを纏った女性、なまえ。もう一人は特徴的な和装を身に纏い、男性にしては長い髪を頭頂部にて一つにまとめ上げている青年、タクミだ。だがタクミの手には、穏やかな風を閉じ込めたが如き涼しげで凛とした神弓、風神弓は握られておらず、代わりに禍々しい妖気が蛇のようにじっとりとまとわりついた紫色の奇怪な弓が、まるで元からタクミの物だったとでも言うように携えられていた。
敵部隊との交戦中に分断されてしまったなまえ達は、先程耳に届いた微かな戦闘音を頼りにはぐれてしまった仲間と合流するべく鬱蒼と茂った木々の中を進んでいるのだが、追っ手を対処しているうちに随分と遠くまで来てしまっていたようだった。進めど進めど、緑色の視界に変化が訪れることもなく、ただひたすらになまえはタクミの背について行っていた。

「タクミ、」

なまえは、前方を行くタクミに躊躇いを含みつつも呼び掛ける。だがタクミはなまえの呼び掛けに反応を示すことはなく、強迫のように呪詛めいた一人言をぶつぶつと呟き続けるだけだった。
──スカディを持ったタクミは、召喚当初からこの調子であった。
誰かに対しての恨みだけが抽出されたかのように常に憎悪の言葉を撒き散らす姿は、不器用ながらも人を想いやる優しい心を持ったタクミとは似ても似つかない。姿形はタクミに他ならないのだが、まるで憎しみに食い荒らされてしまったかのようにその顏は冷酷の色が貼り付けられていて、ひどく戦いを好むきらいがあった。
話し掛けても上の空なのは別に今回だけに限らず、一応まともに会話をしてくれることも時折あるが、それでも彼は焦点の定まらぬ眼で自身の仇を探していた。
なまえは、このタクミのことを嫌っているかと問われればそれは迷わず否と答えることができる。確かに、召喚当初は元のタクミとの落差に戸惑ったことがあるとはいえ、彼もなまえの召喚に応じてなまえの助けになってくれている大切な英雄の一人だ。たとえ、意思疎通が難しくとも厭うことがあるかなんて、それだけは絶対にないと断言することができる。
戦闘中も、返事はないが指揮自体は大抵の場合従ってくれているし、なまえや他の英雄に手を掛けることもない。風神弓を持ったタクミからはがらりと雰囲気が変わってしまっているが、それでもなまえにとっては"タクミ"に他ならなかった。
さて、タクミを呼び止めてどうしようとしていたのかといえば、別にどうもしようとはしていない。ただ、歩幅の差が大きくてこのままではなまえとタクミもはぐれてしまいそうだから少し立ち止まってほしかっただけだ。
その要望は届かなかったが、致し方ない。たまに生えている長い雑草がブーツに絡まってしまって動きにくくなるだろうが、なまえは小走りに切り替えた。
──その瞬間だった。

「────っ!!」

甲高い、轟くような一瞬の爆音。咄嗟に対峙しようとした時にはもうなまえのすぐ横を通り過ぎていった、直視してしまえば目が潰れてしまうほどの光の塊。次いでその衝撃により崩れるバランスと、宙を舞う己の鮮血。
地面に倒れ込むまでがまるでスローモーションのように、世界がゆっくりと流れる。
空中に投げ出されて頼りなく揺れ動く大粒の血液、通過していった光の塊が木に直撃して、その木がへし折れていく。その木の奥で、木々の新緑に埋もれてしまう直前に見えた、ぎらぎらとした光のない瞳と構えられた禍津の弓。タクミが放った矢は、彼の手から離れた後でも紫色の靄を巻き付けていた。
世界が元の速度に戻ったのは、なまえが尻餅をついてからだった。背に響く衝撃が、どこか呆けていたなまえの思考を引き戻す。
タクミの放った矢は、意思を持って食らいつくかのように敵の胴体を正確に射抜いていた。
敵の魔道士が、短い悲鳴をあげる。しかし、すぐに草むらに倒れ込んでその姿は見えなくなってしまった。起き上がってくる様子もなく、これまで戦場にいた経験でなんとなく察することのできるようになってしまった生の気配が消えたと悟った。
あの光の塊は、おそらくは敵の雷魔法であろうとなまえは推測する。追っ手を撒いたことに油断して死角からの攻撃を受けてしまうところだった。きっと、あのまま呑気に歩いていれば今頃は首が飛んでいただろう。
己の危機感のなさを深く悔いながら、じくりと痛みの迸った左腕を見る。
傷は深くないが、焼ききれるかのような痛みが断続的に続いていた。あの光の熱量で傷口が焼けたのだろう、出血は多くはないもののローブの肩口は真っ赤に染まっている。
腕を動かすことに支障はない、神経まではやられていない、それならばこれ以上構う必要はないだろう。今はこの程度の傷よりもタクミだと、なまえはへし折れた木の方に顔を向けた。

「タク、ミ……」

「…………」

タクミは、いつの間にかなまえのすぐ隣に立っていた。
燃えるような色をした瞳の奥は、どこかからっぽで。タクミはそんな感情の読めない眼でなまえを見下ろしていた。
なにかを発するわけでもなくなまえに影を落とすタクミに少しだけぎょっとした様子を見せたが、なまえはすぐに表情を引き締めると土埃を軽く払って立ち上がった。

「ごめんね、タクミ。助けてくれてありがとう」

なまえがそう礼を述べるも、タクミは依然として顔色を変えることもなく黙りこくったままだった。
だがなまえの顔から視線を外すと、負傷した腕を見やる。まだ乾かない赤が侵食する白へとつまらなさそうに目を落とすタクミの心境を推し量ることは少々難しく、しかしこのまま立ち止まっているわけにもいかないので戸惑いがちに歩を進めようとしたときだった。
がしりと、なまえの左腕をタクミは強く掴む。関節よりも上、つまり傷口に近いところを掴まれたせいで痺れるような痛みが一瞬駆け巡って思わず顔を顰めたなまえは、驚愕を滲ませてタクミを見上げた。

「な、なに……?」

少しだけ恐怖を孕んだ声音で、なまえはタクミの行動を問う。なまえの瞳は、タクミの行動の理由が知れないことによる恐怖で震えるように揺れていた。
タクミは、なまえが怯えている事実に気がついたのか再度なまえと視線を合わせて目を細めるも、すぐに傷口へとまた視線を落としてしまった。

「…………血……」

「え……?」

「血……、あぁ……あんたのことを守ってやれるのは僕だけか」

「どうしたの……?タクミ」

うわ言のように呟かれるそれは、いつもの誰かに対しての恨み言ではなかった。
なにかに浮かされているかのような地に足のつかぬその言葉は、形容しがたい不安定さが顕著に現れていて。なまえは、背筋をなぞられるかのような如何ともし難い寒気に身震いをした。
タクミは、「守れるのは僕だけ」「僕が、僕しか」と詠唱のように紡ぎながら、あろうことかなまえの傷口へと手で触れようとした。
それには流石になまえも、掴まれて自由のきかない左腕の代わりに右手をタクミの手に重ねて、阻止しようとする。
傷口に触れられれば痛い、わざわざ痛みを増幅させる必要はない。至極当たり前の思考で、なまえに非は見当たらない。──だが、タクミは途端にじろりとなまえを睨めつけると、腕を掴む手に力を入れた。

「いっ……!痛い、痛いよ、タクミ……!!」

こうも強く握り締められればその分だけ傷口にも響く。堪らずに抗議をしたなまえは、タクミの表情を見て固まる。
見開かれた瞳は、なまえへの疑念と憎悪に色濃く染まっていた。目元に下ろされた前髪の影の中で、獣のような狂暴性を宿して爛々と輝く宝石に宿る闇は、誰かにではなくなまえだけに向けられていて、──ひどくおそろしいとそう思ってしまったのだ。

「どうして僕を拒絶する…?あんたも、あんたも……僕から離れていくのか……?」

「なにを言って──」

「みんな、みんなそうだ…。みんなあいつに奪われて、さらに、あんたも僕を拒んで……僕の前からいなくなろうとしてる……。僕の、僕、は……」

タクミがなにを言っているのか、なまえにはとても理解できなかった。ただ、今のタクミは危険だとなまえの本能が訴える。早急に目の前の男から離れろと、警鐘が鳴り響く。
それをわかっているのに、視線ごと身体が縫い付けられてしまったかのように動くことができなかった。頭の中では逃げないと、離れないとと叫んでいるのに肝心の筋肉が動かない。
──ふと、思考の片隅で目を合わせたら石になってしまう蛇の怪物の伝説を思い出した。曰く、その蛇と視線を絡ませた者は比喩でもなんでもなく無機質な石と化してしまうのだとか。
タクミは、その蛇の怪物ではない。なまえの身体は肉のままで石化はしていないのだから。だが、この状況はその伝説上のそれと酷似していたのだ。
そんなことに思考のリソースを費やしている場合ではないのに、重ねてしまっている。タクミの、ねとりと絡み付いて糸を引くような闇に捕食されようとしている。
このままでは、このままではいけない。いけないと理解しているのに、身体は言うことを聞いてくれない。
タクミが、なまえの首へと手を這わせる。親指で気道を押さえつけられて、かはっと息を吐いた。
ぐっと、首を片手で絞められる。息ができないという感覚をなまえは初めて知った。苦しくて、はくはくと口を動かすも酸素を取り込むことはできない。
ちかちかと視界が白黒に点滅を始めた。その中で、赤色灯のようなタクミの瞳がいやに映えている。そろそろ思考もできなくなってきた、あと数秒もあれば、なまえは気を失うだろう。
──だが、なまえは突如として肺に雪崩込んでくる酸素に激しく噎せた。


「水の眷属風情が、断りもなく我のものに手を出すとは余程壊されたいようだね」

嘆きの川に放り込まれたかと錯覚するほどに底冷えする声がなまえの耳元で低く響く。
点滅が収まって明るくなっていく視界の端で、月光が形作ったかのような美しい白髪が靡いた。それと同時に、なまえの背後からタクミとの間に割り込むように腕が回される。
そして、なまえの肩から回された腕とは別の腕がタクミの眼前に突き出されたかと思えば、明らかに攻撃の意思を持った紫の光が弾けた。
光が弾ける直前、危険を察知したタクミが飛び退いたことでそれが直撃することはなかったものの、当たっていればまず顔は爛れるどころじゃ済まなかったそれはわかりやすく殺意を滲ませていた。
タクミが距離を取ったことでなまえも、あの異様な硬直から解放される。咳も収まり、暫く忘れていた腕の差し込むような痛みも蘇ってきた。
どくどくと緊張から高鳴る左胸を押さえながら、なまえは安堵の笑みを零して背後を振り向く。
混じりあった視線、彼もタクミと同様に紅い瞳を持っていたが、それに怯えることはなかった。その者はなまえの無事を今一度確認するかのように流し見して、一瞬だけ左腕の怪我を見咎めたもののタクミへと向き直る。

「何処の竜の傀儡かは知らないけれど、"これ"にそんな水の臭いを移さないでくれるかな。これは僕の小間使いだ、自我すら原型を留めることのできないような奴が求めるなんて傲慢甚だしいね」

日々、虫けらと蔑む人間に対してよりもずっと色濃い侮蔑の感情を顕にさせたその声は、耳に入れるだけでも威圧に竦んでしまいそうなものだったが──タクミは、刺し殺すほどの敵意をぶつけながら矢を番える。
一歩も引く素振りを見せないタクミに、白髪の青年──邪竜ギムレーはなまえの頬を挑発的に撫でながら冷たく瞳を細めた。

「お前が……お前が、僕からなまえまでも奪うのか…。殺してやる……僕からこれ以上奪うなんて、許さない……許さない……」

「奪う?これは、今までもこれからも僕のものだ。僕を間男のようにほざいているが、これが君のものになったことなんて一度とてないさ。いいように操られるだけの存在が、邪竜のものに横恋慕しようなどと愚かしい以外の何者でもない。──端的に言って、目障りなんだよ」

ふと、なまえ達を中心とした一帯に黒い影が幕を下ろす。見上げると、上空には六つ目の巨大な竜が姿を現していた。
あの竜は邪竜ギムレーの本体だが──戦闘時以外には現れることはない。つまり、あの本体が喚び出されたということは臨戦の合図という訳で。
タクミは、憎悪を焚かせながら邪竜を捉えると、すぐに視線を戻して戸惑いもなく人型のギムレーへと矢を射った。
やり場のない怨みを纏わせながら向かってくる矢になまえはまた硬直したのだが──矢に貫かれると歯を食い縛った時にはもう矢は推進力を失っていた。
ギムレーが、手袋を嵌めただけの手で矢を掴んでいる。手と矢の接地面から焦げ臭い煙がほのかに上がったが、すぐに矢は折られた。
矢の残骸を、ギムレーは見せつけるようにわざとらしく地面へと落とす。下は土なので乾いた音が鳴ることもなく、無残に横たわった残骸から恨みを具現化したような紫のオーラが行く宛もなく消え去った。

「ギムレー、タクミも仲間だから戦闘は…」

「馬鹿か。あの傀儡だってやる気だろう、そもそも君だって殺されかけただろうに。現実的ではない甘ったるいことばかり言っている時じゃないよ。それに──」

"邪竜を舐めきったあれを、生かしておこうとは思えない"。ギムレーはそう吐き捨てた後、なまえを抱えて浮かび上がる。
足が地面から離され、空中では迂闊に身動きを取ることもできずになまえはギムレーにしがみつくしかない。それにギムレーは満足気に鼻で笑った後、本体に指示を下すかのように空いている腕を持ち上げ、タクミに向かって手を翳した。

「ギムレー!」

思わず、なまえは叫ぶ。邪竜本体から放たれたブレスは、範囲も広く威力とて辺り一帯を更地にさせるほどの弩級なものだからだ。いくらタクミとて、あれをまともに受ければ無傷では済まない。
甘いと言われようが、馬鹿だと罵られようが、タクミもギムレーも仲間の内で争ってほしくはなかった。ここまでの現状となまえの身に降り掛かったこと、そしてなまえの油断やミスが招いたことを鑑みた上で、それでも二人が争いあうことは食い止めたかったのだが──

「殺す……殺す……!殺してやる、殺してやる……!!」

「虫けらの屍如きが偉そうな口を叩くな。これは僕のものだ、誰にも譲ってあげる気なんてないんだよ……!!」

ぎらぎらとした眼で攻撃を放ち合う彼らには、そうそうなまえの声が届く余地なんてなかったことを知らしめられた。
過程がどうであれ、タクミがどうであれ、ギムレーがどうであれ、"なまえ自身"が意図せずとも争いの種になってしまったことに自責と歯噛みをすることしができず──無駄な停戦を呼び掛けて、それでも一向に収まる気配のない戦闘になまえは絶望したのだった。




くれない
(ひとみの紅よっつ、こぼれる紅ひとつぶ)



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