「ぐー…」





  ドアを開ければ其処はまるで新世界、

  まるで大聖堂のように広く遠い天井(そして聳え立つ書類のタワー)に
  沿って造られた本棚は、ずっと見上げていると首を痛めてしまいそう。
  床という床は夥しい量の書類にすっかり侵食されていて一面真っ白だ。
  おまけにぽつんと佇むソファの足が、溢れ返るそれらをしっかり踏んづけていた。
  
  …もしかして、コムイという人物はとんでもない掃除音痴なのでは無いだろうか。
  補足として述べると、僕は掃除音痴という単語が指す者の正体をたった今悟った。
  
  ブーツの爪先で床(というか書類というか)を踏まないよう神経を尖らせていると、
  ふいにリーバー班長がデスク―僕の推測が正しければ、へ歩み寄った。



  「ぐー」

  ―そして少年は見た。書類の海に溺れて眠る狂科学者、を。

  やはり真っ白なデスクの上でいびきを発する危険生物。
  倒れたマグカップから零れたコーヒー(そうあって欲しい)が、
  目に痛い位の白にマーブル模様の染みを広げている所だった。
  ―――そういえば、この空間においてどこからどこまでを彼のデスクが占領しているのだろうか?



  「室長!コムイ室長!」

  「んゴー」



  僕がそんなくだらない疑問に首を傾げている間に、
  リーバー班長と危険生物の意識を乗っ取った睡魔との戦いが始まっていたようだ。
  いっそ愉快ともとれるいびきが、生物―もとい、コムイさんの眠りの深さを証明している。

  容赦なく眠る彼の後頭部を殴り飛ばすも哀しきかな、
  その唇から洩れるのはグッドモーニングの挨拶では無くまぬけないびきだけ。

  かたちの良い眉を寄せて、良心的な科学班班長は暫く模索したのちに、
  困ったモンスター―もとい彼らの上司を眠りから引きはがすための最終手段を行使する事を決意した。





  「リナリーちゃんが結婚するってさー」






  
  約1.5秒でどれだけのことができるだろう?





  「リナリィィー!!!お兄ちゃんに黙って結婚だなんてヒドイよぉー!!!」

  その場に居た全員―神田までもが顔を引き攣らせているのを見て、
  ―どうやらリーバー班長は彼を起こすべきでは無かった、と僕は思うのだった。





  ・
  ・
  ・





  「ふたりコンビで―ああ、違うな」

  「君たちふたりともう一人、途中でエクソシストが合流することになっている。
   合流出来次第任務を遂行してくれ」

  彼はそう言って微笑った―――










  (ハロー・アンラッキーボーイ) 





  古代都市マテール―其処は亡霊の棲む町、



  其れは迫りくる人類ご自慢の科学発明。
  耳を劈くような轟音と、あっちこっちと忙しなく揺れる視界―ちょっと、酔いそう。



  「ちょっとひとつわかんないことがあるんですけど…」



  神さまに愛された少年は走っていた―というよりも、飛んでいた。
  けれどそれは決してファンタジーな空中遊泳なんかでは無くて、
  要するに少年は―正しくは少年たちは、



  「それより今は汽車だ!」



  ―飛び乗り乗車のチャレンジの真っ最中だった。



  「お急ぎください、汽車が参りました」

  さっき出会ったばかりの探索部隊の男性の何気無い一言に、少年は眩暈を感じた。
  人体じゃあ到底追いつけないスピードで猛進するそれは、
  艶やかな車体を黒光りさせながらめのまえを通り過ぎようとしていた。

  もしかしたらこの飛び乗り乗車は、これから自分にとって
  任務先に辿り着くまでの大きな試練にも成り得るのでは無いだろうか、
  少年は頬を打つ底無しに乱暴な風を感じながら、そんなことを考えた。



  ―さあ、飛び込もうか?





  ・
  ・
  ・





  無事(というかなんというか)に飛び乗り乗車(それも初挑戦)が成功し、
  さっきまではあんなにも爆発的なスピードに残響していた轟音は、
  今では呑気な通過音となって緩やかに耳朶を打つ。

  何時もこんな感じなのかと半ば放心しながらも、
  探索部隊のトマが(無理を言って)用意してもらった客室の扉を開くと―





  そこにはまるで星屑みたいな少女が待っていた。





  まず最初に驚いたのは、まるでうっかり流星群を被ってしまった様な眩しい色の長い髪。
  僕たちが身に纏っている物と同じ、漆黒のコートを華奢な背中に羽織っているのを見て、
  ああ彼女もエクソシストなんだと思ったけれど、その余りにもちいさな背中からは、
  彼女が戦場で兵器を破壊している所なんてとてもイメージすることが出来なかった。

  ちいさな後姿に僕が声をかけられずにいると、
  後ろから入ってきた神田―今回の僕のパートナー(正直あまりそう思いたくない)が、
  まるで視線がくっついてしまったように窓の外をじっと見つめていた後ろ姿に声をかけた。



  「リディ」



  なんだかほんとうに星のなまえにでもありそうな、酷くきれいななまえだと思った。
  一拍位遅れたテンポで、リディと呼ばれた少女が、ゆるゆると僕たちを振り返った。

  青白い輪郭の中の、ふたつのまあるい瞳はパウダーブルー、尾を引く彗星の色。
  色素の薄い長い睫毛が緩やかに瞬たいて、少女はどこか困ったように微笑った。



  「ひさしぶり、神田。また背が伸びた?」
  「伸びてねぇ。お前の背が縮んだんだろ」
  「そうだったら、ちょっとやだな」

  いたずらっぽくに言った少女の瞳が、神田の後ろで立ち尽くしていた僕の姿を捉えた。
  そして、一瞬きょとんとした表情になった後で―慌てて座席から立ち上がった。



  「はじめまして、わたしのなまえはリディ・エモニエです。
   わたしも貴方と同じエクソシストなの―、どうぞ、よろしくね」

  僕もまた、慌てて少女―リディに向かい合った。
  彼女の前に立つと、一瞬、雨に薫る甘い花びらのような匂いがした。

  「はじめまして。アレン・ウォーカーです。えっと、」
  「リディって呼んで。アレン、って呼んでもいいかな」
  「勿論!こちらこそ、よろしくお願いします。リディ」
  「うん。深く長い仲になりますように」
  
  
  
  そう言うとリディは僕の左手を握って、微笑った―――
  それこそ、星屑が零れるみたいに。





  ・
  ・
  ・







  「どこにいるんだ――――――い?マテールの亡霊ちゃあ―――――ん」  



  それは絶望の足音。





  「―みぃつけた!」



  狂喜のよるが始まるの










  最初の舞台は古代都市マテール―
  寂しがり屋のうたうドールとちぐはぐなワルツで踊りませう

  初めのステップで足を挫かないようにね




















  Merci d'avance.















  20120210
  20120427 加筆修正