はじめましてさようなら
わたしはよるがすき。
よるの匂いよるの色よるの音―それからよるの空で遊ぶおつきさまと星のひかり。 残念ながら、わたしはほしのなまえだとか専門的なことはわからないのだけれど、 この瞳には痛いくらいのひかりを撒き散らす夜空に、どうしようもなく焦がれた。
(わたしはよるがすき)
瞬きも追いつけないスピードで、フランスの街並みが視界から逃げていく。
わたしたちエクソシストにはすっかりお馴染みになってしまった飛び乗り乗車を実行し、 めの前を通り過ぎようとしていた汽車に飛び乗ったのは10分前のこと。 うっかりしていた所為で膝をすりむいてちいさな傷を作ってしまって、 たとえば教団のとある剣士さまにみられたならわらわれてしまいそう。
血液の鮮やかなクリムゾンが滲む傷口を撫ぜながら、 窓のキーを解いて冊子を押し上げる。
とびっきりのよるが瞬いていた。
ゆうらりたゆたうひかりの群れ、
窓の外では、堪らなくきれいなよるの色を纏った空に、お月様が近く遠く揺れている。 それを見つめているとなんだかあのお月様を離したくなくなってしまうからふしぎ。 わたしはずっとそこに変わらず在り続ける物だけが大切という、酷く冒涜的な聖職者。
月光をつめたく反射する窓ガラスに悴んだ指先で触れると、 たったいま開け放った窓からつめたい空気が飛び込んでくる。 ほんのすこしふゆの匂いが混ざったそれに、気配を孕んだよるの匂いが濃く滲んでいた。
窓の桟に手を付いて身を乗り出すと、満月とも三日月ともいえない、 中途半端なかたちを取った未完成のお月様が、濃紺に浮かんでいる。 その周りにはまるでちいさな点を散りばめたように、星たちの群れが寄り添っている。
いつかとっても物知りなブックマン・ジュニアが教えてくれた御噺を思い出した。 寂しがり屋でうっかり者のかみさまと、よる生まれのやんちゃな星のこどもたち。 そうだ、教団に帰ったら彼にあの御噺の続きを教えてくれるようにお願いしよう、
瞬きの0.1秒に、きらきら眩いひかりを閉じ込める。
瞼の裏側まで星の色に浸されて、ちいさな少女は眠りについた。
・ ・ ・
よると朝のまんなか、眠れない少年がひとり。
少年のなまえはアレン・ウォーカー。 彼はかみさまに愛された、―そのくせほとんど断言して良い位の、アンラッキーボーイ。
「はぁ…、」
アレンはまるで冬をかき集めたような真っ白な頭を掻いて、深くひとつ息を吐いた。
彼が此処―黒の教団総本部にやって来たのはつい昨日のこと。 何かの罰ゲーム(にしては少々悪質すぎると彼は思った)のような断崖絶壁を登り切り、 そこで出会ったおっかない(おまけにキレやすい)剣士に危うく殺されかけ、 およそ権力とは程遠い笑顔を浮かべたマッド・サイエンティストに…、 嗚呼、其処からの出来事は余り思い出したくないらしい(それは余りにショッキング)。
そんな訳で彼は酷く疲れていたのだけれど。
くすんだ色の固くて冷たいシーツにくるまって目を閉じても、 焦がれていた睡魔は中中彼の所にやって来てはくれなかった。 深い闇をやり過ごすようにベッドの上を行ったり来たり、を繰り返しているうちに、 古ぼけた壁掛け時計の針は一日の業務を終えて、無事頂上まで帰ってきてしまったのだった。
まだカーテンが無いこの部屋では、むき出しの窓から侵入した月光が酷く目に染みる。 すこし朝に近付いた濃紺の夜空に浮かぶ、薄明るい色と酷く曖昧なかたちをとった月。 アレンはもう眠るのを諦めて、只からだに纏わりついているだけのシーツから抜け出して、よるの窓際に立った。
崖を登り切った時に見上げた、あの怪しげな(控え目に言うと)建物の内側に自分が居る事を、 アレンは今でも半分信じられない気持ちで居た。 まるであの世の者でも棲みついていそうな教団、ひとめ見た瞬間、思わず「雰囲気あるなぁ」と零したのは言うまでもない。
彼は埃っぽい窓枠に凭れて、すこしの間だけくだらない想像に耽った。 太陽が昇らない、24時間をよるが支配するゴーストタウン。 ゴーストタウンに住まうのがまさか聖職者だなんて、誰もわからないだろう。
「はあ、」
どうせ眠れはしないのだから、すこしの間散歩でもしてみようかな― 考えて窓際から離れようとして、彼はなにか只ならぬ悪寒を感じて一瞬固まった。 ほとんど反射的に振り返り、…アンラッキーボーイ、彼は酷く後悔する事になる。
兎にも角にも、夜は長い。
せめて今だけでも、グッドナイト、マイ・ゴースト。
20120210 20120427 加筆修正
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