気付かないふりをさせて彼女だけのモレンド





  泣いているのかと彼は問うた。

  其のことばを次ぐように呼ばれた、ララ、其のなまえにはほんのすこし滲む哀切と、
  抑えようの無いきもち―――そう、丁度人間達が愛しさと呼ぶ其れが融け込んでいた。



  「変なこと聞くんだねグゾル」

  「何か…悲しんでいるように聞こえた」

  「私は人形だよ…?」



  僕とリディはまるで呼吸を忘れてしまったかのように其処に立ち尽くしていた。
  うたのソプラノに誘われてやってきた地下通路の中の神殿。
  耳元で微かに聞こえる神田の呼吸音も聞こえない位に不安定な静けさの中で、
  人形―ララの、まるで人工の物とは思えない右目がきらきらとひかっていた。

  ―――此処はララとグゾルしか居てはいけない場所だったのかもしれない。
  亡霊の住まう都市なんて、彼らのせかいの外側の人間たちが勝手に定義付けただけの物。
  その証拠に、ずっと側に居てくれと愛おしそうにちいさく溢したグゾルも、
  微笑って彼の腕に飛び込んだララも―ふたりのせかいはこんなにも優しい。

  隣を見ればリディがまるでかみさまに祈るようにひとみを閉じていた。
  もしかしたら彼女はほんとうのことを知っていたのかもしれない、
  なぜって保証は出来ないけれど―――そう思ったんだ、



  「私は醜い…醜い人間…だ…」



  そして其の時



  「!」

  僕たちの気配に気付いたララがグゾルの身体から離れると、其のひとみが僕とリディを捉えた。
  一秒前のあの柔らかさなんて微塵も感じさせない冷え切ったひとみに、直感的に身体危険を感じる。



  「あ ごめんなさい 立ち聞きするつもりは無かったんですけど…」

  ―――キミが人形だったんですね、
  只ひとりの為にうたう人形―ララに其のことばがかろうじて届いた頃、
  彼女は近くにあった手頃な石柱(―其れも高い奴)を容易く持ち上げた。

  鼓膜を伝って脳髄を揺さぶるような錯覚を引き起こす地響きの音を聞いて、
  本来の質量を失ってしまったかのような勢いで飛んできた石柱を寸での所で避ける。

  リディはくちびるを噛んで"やれやれ"とでも言いだしそうな表情で、
  自分よりずっと背の高い神田に肩を貸したまま飛んで石柱を避けた。

  「落ち着いて話しま…わっ、」

  不幸な事に、この空間にはまだまだララの凶器になるものが溢れかえっていた。
  いつの間にか新しい凶器を手にした彼女のひとみは、…瞳孔が開き切っている。

  「聞いてくれそうにないな―リディ、僕が行きます」

  耐えず舞い上がる粉塵にひとみを細めているリディにそう言い置いて、
  僕はイノセンスを発動させた―第三投目を受ける訳にはいかないから。

  奇麗な一直線を描いて飛んできた石柱を左手で受け止めると、
  僕はララと僕たちを取り囲む石柱を其れで破壊した。
  くるくると稲妻が落ちるようなスピードで回転する其れを最後に受け止める。



  「もう投げるものは無いですよ―
   お願いです 何か事情があるなら教えてください」

  可愛いコ相手に戦えませんよ、
  其処まで言うと僕の背中でリディがちいさく微笑ったような気がした
  ララのひとみがほんとうに生きている人間の其れと変わりなく瞬いた



  「グゾルはもうじき死んでしまうの―
   それまで私を彼から離さないで」



  この心臓はあなた達にあげてもいいから

  愛するひとの為にうたう人形は決して造られただけのものでは無いのだと思った。
  いつの間にか隣に立っていたリディのパウダーブルーのひとみに翳りが墜ちた





  ・
  ・
  ・





  「昔ひとりの人間の子供がマテールで泣いていたの」



  只ひとりの為にうたうララの御噺はそんな風にして始まった。
  舞台は数十年前のマテール―――
  登場人物は、彼女とグゾルと数人のこどもたちだけ、
  聞き手はわたし、とやさしいアンラッキー・ボーイ、
  それから傷口の熱に浮かされて眠っている神田は―――聞いてくれてるのかな

  わたしはコートを脱いだアレンの隣に腰かけて、
  まるで楽器の音色のように奇麗なララのこえをしずかに聴いていた。



  其れは決して王子様と結ばれてハッピー・エンドで終わる御伽噺なんかでは無くて、
  けれど其処には確かなおもいが在った。

  人間の為に造られたうたう人形はきっと寂しいきもちなんて忘れてしまう位に寂しくて哀しくて、
  時々迷い込む人間たちには決して受け入れては貰えなかった。
  破壊されて罵られて其れでも彼女は動き続けた、うたう為に。

  五百年間もの間、彼女のせかいは眠っていた。

  けれど或る日迷い込んだ六人目のちいさな子供は、いとも簡単に、けれどやさしく。
  彼女のせかいを揺り起こした―



  「ぼくのために歌ってくれるの……?
   誰もそんなことしてくれなかったよ」

  歌って亡霊さん、子供―否、ちいさな頃のグゾルはそう言って泣きながら微笑った





  「あの日から八十年…グゾルはずっと私といてくれた」

  ララがグゾルの胸元に耳を寄せると、ふわふわの長い髪が風も吹いていないのに柔らかく揺れた。

  「グゾルはね もうすぐ動かなくなるの…
   心臓の音がどんどん小さくなってるもの」

  消えゆくいのちの音に耳を澄ませるように、彼女はしずかにひとみを閉じる。
  五百年という気が遠くなるような年月の中、漸く見つけたひとを彼女は、



  「最後まで人形として動かせて!」



  だってこんなにも、想ってるのに―せかい中の誰が彼女が人形だなんて判るの、

  お願い、と続けられたこえは確かに強いけれど酷く脆い。
  わたしたちはエクソシストだ。

  けれど、





  「ダメだ」



  いつの間にか血濡れの聖職者―神田が身体を起こしてこちらを見ていた。
  解けた黒髪と相対する位に青白い皮膚が痛々しい、

  「その老人が死ぬまで待てだと…?
   こんな状況でそんな願いは聞いてられない…っ」

  「!」

  「俺達はイノセンスを守るためにここに来たんだ
   ―今すぐその人形の心臓を取れ!」





  嗚呼、

  ―――わたしたちはエクソシストだ















  モレンドの意味を知っていますか



  (いのち絶えるように、)















  20120226
20120429 加筆修正