「まさくん、朝ごはんだよ!」
「……おはよう、みさき。重たい」
 満面の笑みで俺に乗っかっていたみさきが、笑いながら立ち上がった。「一緒に食べる約束でしょう?」スカートを翻して部屋を出ていく、その制服姿をまだ見慣れない。見慣れないけれど、よく知っているような気がした。
 みさきと暮らすようになって、もう十年近くになる。みさきは俺の姪だ。

 兄夫婦が事故に遭ったことを知らされたのは、いつも通りの仕事を終え家で一息ついた頃だった。普段めったに電話をかけてこない父親からの着信。それだけで嫌な予感がした。
 そして、嫌な予感は予感では終わらなかった。

 感情を押し殺した声で告げられた病院の名は地元でも有数の大病院のもので、それはつまり兄夫婦に起きた出来事の重大さを示していた。次の朝も待たずに向かった先で俺を迎えたのは酷い顔をした両親で、連れられた先には同じく酷い顔をした義姉の両親がいた。
「柾くん、」
 俺の姿を認めた義姉の母親の言葉の続きは――おそらく何度目かの――涙に呑み込まれて音となることはなかった。それを見て限界だったのだろう、母が堪え切れず啜り泣くのがわかった。それぞれの夫が自分の妻の肩を抱く。けして見ることはないだろうと思っていた父の涙。そこには地獄があった。

 即死だったという。
 目撃者が救急車を呼んだものの、ふたりが処置室に運ばれることはなく、両親たちが病院に到着したときにはもう全てが終わっていたのだと。
 限りなく感情を削ぎ落として、途切れながら話す父の言葉を、理解できたのがふしぎだった。わかるけれどわからない、父の説明を聞きながら、どこを見るでもなくぼんやりと視線を流していた、その時だ。

 廊下に置かれたベンチに、幼い子供が眠っていたことにその時初めて気が付いた。緩慢な動作で起き上がり、目を擦る子供。
 ゆっくりと開かれた目が俺を捉えた。
「まさくん……?」
「……みさき」
 約一年ぶりだった。盆と正月くらいにしか帰らない。その年の盆は帰らなかったはずだ。
 だからせいぜい数回しか会っていないはずの俺を、そのこどもはしっかり覚えていた。そして呼んだのだ。「まさくん」と。
「どうしたの、まさくん。ここ、どこ?」
 夜中に目覚めた子供は、なにも理解していなかった。それでも何か異変を察知したのだろう。困惑したように辺りを見渡して、不安そうな顔をしてみせた。幼い頃の母親そっくりの顔で。そして、言う。

「おかあさんと、おとうさんは」
 その言葉に、その場にいた大人全員が息を呑んだ。ひとり家に残してくるわけにもいかず連れてきたはいいものの、なにをどう伝えるべきか、みな考えあぐねていたのだろう。
 だって、あまりにも幼い。
 親の庇護がなければ簡単に死んでしまえるこの歳で、この子供はひとり残されたのだ。

 近づいて、子供の前にしゃがみこむ。それから語りかけた。なるべく、穏やかに。
「……ふたりは、ちょっとだけ出かけてる」
「お出かけ?」
「ああ。だからみさきは俺と留守番」
「そうなの?」
「そう。まだ夜だから、みさきはまだ寝てていいよ」
「わかった」
 起きて話しているとはいえ、半ば眠っているようなものだ。素直に頷いたみさきの身体を横にさせて、ブランケットを掛けた身体を軽く叩いてやる。
「……でも、ここ、どこ?」
「どこだと思う?」
 はぐらかした俺に食い下がるでもなく、みさきが目を瞑る。
「てんごく、かな」
 眠りに落ちる寸前、そう呟いたことを、みさきはきっと覚えていない。

 ふたたび眠りはじめたこどもに、堰を切ったように涙を流したのは二人の母親だった。
 幼くして親を亡くしたこどもが哀れだったのか、それとも幼い子を残して死んでしまった親を哀れんだのか。
 喪われたふたりによく似たあいらしいこども。みさきは、ふたりの子供だった。

 みさきを引き取るといった俺に、はじめ二組の親は猛反対した。当然だった。
 それでも俺は譲らなかった。
 高齢に差し掛かった二組の夫婦に、これから育っていく五歳児の面倒を見るのは簡単ではないこと。片親なんて今時珍しくもなんともないこと。兄と俺はそう歳も離れていなかった。だから、少なくとも、実の親以外に育てられているこどもという外聞からは逃れさせてやれること。それに、と俺は言った。
 
「父さんも、母さんも、兄貴に似たみさきのこと見てきちんと笑いかけてやれんの。おじさんおばさんも、みさき、美沙の子供のころにそっくりじゃん」

 話し合いはそれで終わりだった。
 深い悲しみの中で、誰もまともにやれる自信なんてなかったのだ。誰もが自分を支えることに精一杯だった。

 みさきを俺の養子とはしないこと。仕事中心の生活をみさき中心の生活へと改めること。双方の実家にまめに顔を出すこと。ほかにもいくつか課せられた約束事を条件に、俺とみさきの二人暮らしが始まった。

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