指が、私の後頭部を探る。ゆるく開かれた指が、髪を梳かすように滑る。それなりに手入れを頑張っているけど、いつになっても雑誌の中の女の子のようにはならない髪を、二度、三度、指が滑る。その動きは何かの生き物みたいだった。小さく身じろぎをしたのは、起きていることを知らせるためで、その思惑は指の持ち主にも伝わったようだった。

「起きた?」
「うん」
「起こして、ごめんね」
「ううん」

 ごめんねと言うくせに手は止まらない。「眠れないの?」返事はなかった。おでこに当たる胸板が膨らんだりしぼんだりするのを感じながら、背中に腕を回す。「いいこ、いいこ」言葉に合わせて、背中を軽く二度叩いてやる。すると私の頭の形を確かめるように動いていた手が止まった。「それ」「うん?」「それ、すき」それから、ぎゅう、と抱きしめられる。
 そんなに力を入れられたらつぶれてしまうよ、という軽口を考えながら、私は黙ってその背を叩き続けた。あやしているみたいだ、と思う。その感覚は多分間違っていないのだろう。

「嫌な夢でも見た?」
「ううん」
「そっか。起きちゃった?」
「……うん」
「そっかあ」

 それは困ったね、と言いながら、私は手を止めない。大人の男の人もこんな風に弱ることがある、ということは、この人と会ってから知った。
 大人になっても、甘やかしてもらえるなんて、知らなかった。
 そう零したのはいつかの彼で、それを言ったときの彼は、お皿に一粒残されたグリーンピースのようだった。あまりにもぽつんとしていて、小さく見えたのだ。そのとき、目の前のこの人があんまりにもかわいそうに思えて、それからいとおしくなった。

「起こして、ごめんね」
「いいよ」

 「私も、よく迷惑をかけるからね」持ちつ持たれつだよ、と言ってやると、彼は幾分安心したようだった。

 今言ったのは本当のことで、彼には随分と迷惑をかけている。私は彼のように頻繁に不安定になるということこそないが、その代わり、気分が落ち込んだときはそれはそれは酷い。
 口を開きたくないと無言を貫き、何も食べたくないと愚図り、果ては泣きながらクッションを掴みソファに叩きつける。
 その私に根気強く話しかけ、一緒に食べようと言っては美味しいものを買ってきて、泣いて暴れる私を恐れず抱きしめてくれるのは彼で、つまり私は彼に随分とお世話になっている。私のケアに比べたら、彼のメンテナンスなんて容易いことだろう。でも彼は逆だと言って、こうして不安定になることを普段からひどく恐れていた。ばかだなあ、と思ってしまう私は悪くないと思う。たとえ作業中に後ろからのしかかられ続けても、しがみつかれてソファから立ち上がれなくなっても、こうして夜中に起こされても、私はこの大きな子供が世界一かわいいのに。

 背中を叩き続けていると、次第に私を締め付ける腕が緩んできた。体温が上がってきているようだから、きっとそろそろ寝付くだろう。「くっつき虫さん」とん、「う……」とん、「眠れそうかい」とん、「……うん」とん、「それはよかった」とん。

 やがて寝息が聞こえてきて、寝たのだな、と思う。抱きしめられ続けたので、ついぞ顔を見ることはなかったが、寝息は凪いでいる。たぶん、穏やかな寝顔をしているはずだ。

 あまりにもふたり一緒にいるものだから、双方の親や友人達からは良い顔をされないことが多い。私もこのひとも、人並の社会性を装って暮らしているので、外からは隙間のない二人の距離だけが異常に見えるらしい。

「おやすみ」

 聞こえていないだろうに、身を寄せれば抱きしめる腕の力は強くなった。あなたの不備。私の欠陥。二人の欠けの形が合っていたことはさいわいだ。噛み合う歯車のように、切り分けたオレンジの片割れのように、補完し合うふたり。


 誰かに指摘されるたび、ちがうよ、と心の中で叫んでいた。抱きしめあって、甘やかしあって、隙間をなくして、互いをくまなく整えた先に、ようやく得られるものがある。それだけの話なのだ。だって、わたしたち、ずっとくるしかった。

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