「私のせいかしら」
「いいえ」
すこし寂しそうに、それでいて諦めたように。微笑んだその人の言葉に俺は首を振る。
実際、義理の母娘である彼女と幼馴染の関係は良好だ。実の父娘のそれよりも。だから貴女は何も悪くない。そのことを俺は誰より知っている。
「おれのせいです」
俺の幼馴染はたまに家出をする。その日のうちに帰るそれを『家出』と呼ぶことの是非はここでは問題じゃない。大事なのは彼女が衝動的に家を出るという今の事実と、俺がそれを唆したという過去の出来事だ。
唆された幼馴染は今朝も家を出ていった。よく晴れた日曜日だから。夏によく似た今日だから。
帰る場所がないわけじゃない。居場所がないわけじゃない。彼女の帰りを待つ人がいないわけじゃ、ない。
ただ、その帰りを"ここ"で待つのは俺と今横に立つその人で、その事実がまた幼馴染を遁走へと駆り立てる。
俺と彼女じゃなかったら、は半分正解で半分外れだ。ここで待つのが、あの子の父親だったら、母親だったら。なんて、ありもしない想像は自分の首を絞めるだけだということを俺はとっくに知っていた。
幼馴染は、探し物をしている。ずっと。彼女の二本の脚が、彼女のために動くようになったときから。
幼馴染の体を巡るそれは呪いだ。水より濃いからいつも絶えず渇いている。足りないからいつも不安定だった。稚拙な父の愛。未熟な母の愛。そんなものに劣りはしないと胸を張って言える。あの日すべて差し出してやればよかった。それなのに、それだけじゃ足りないあの子に俺がした。『苦しいなら、探したらいい。息のできるところ』あれは子供騙しの延命措置だった。相手があの子じゃなかったら、きっとその場しのぎにさえならなかった。
『自分のために、探しておいで。"みゃーこ"』
「だから、俺のせいです」
説明もない『だから』を隣に立つ人は否定しなかった。その意味を問い質すわけでもなく、呟く。
「そっか」
慰めもしないのは、俺の気持ちが彼女にはわからないことを知っているからだ。聡明な人だ、と俺は思う。
言わないことを言いたくないのだと受け入れる。知らないことを知らないこととして受け入れる。ただあるがままに。
そういうところは幼馴染に似ている。"呪いを共有していなくても"。
照り付ける陽射しがアスファルトを灼く。待つしかできないから待っている。今日も。受け入れるしかないから。
「今日は、暑いわね」
「30度超え、でしたっけ」
「こういうことも、きっとまた増えるんでしょうね」
「……そうですね、きっと」
今年も夏が来る。幼馴染を追い立てる夏が。
「こうしてたって仕方ない、シーツでも洗おうかしら」
今日ならよく乾きそう。そう言って、陽射しを遮るように手を翳す。そして微笑む。すこし、困ったみたいに。
「……ちゃんと、水分を摂ってるといいんだけど。碧ちゃん、そういうところ、すこし無頓着でしょう?」
それは、まさしく母の愛そのもので。
五年前に戻れるなら、探しにいけなんて、口が裂けても俺は言わないだろう。
(だって、"ここ"でよかった)
今日もきっと見つからずに帰ってくるのだろう。そして明日はまたいつも通り隣にいる、俺の幼馴染。それでも探し続けるのは、俺がその背を押したからだ。
あの日、泣いてるあの子を、抱きしめてやればよかった。
そんなこと思ったって仕方ないから、今日もただ待っている。何も期待せずに。帰ってくることさえ。