「今日は俺の誕生日なんだ」
月曜日の放課後。図書室に入室して早々の俺の一言に、委員としてカウンターに詰めていた後輩は思い切り顔を顰めた。台詞をつけるのならば、『なぜ自分に言うのか』といったところだろうか。
快不快の後者ばかりがわかりやすく取り沙汰されるのはいかがなものか、と思いながらも、それがこの後輩なのでわざわざ指摘することもしない。そんな義理は俺にはないのだし、彼女だってそんなことを言われたところで要らぬ世話だろう。
そう考える俺を知ってか知らずか、後輩はようやくその口を開いた。しかめ面のまま。
「どうしてそれを私に」
抑揚なく返ってきたのはおおよそ想像通りの言葉で、顔に出さずとも愉快な気分になる。
この後輩は自覚もしていないだろうが、普段突飛な言動に振り回されているのはこちらの方なのだ。たまにはこっちが先手を打って振り回したって許されるだろう。今日は俺の天下なのだ。めでたいとは微塵にも思えないけど。
「今この図書館には俺と君しかいないから。それくらいの私語は許されるかと思って」
にこやかに笑いながら、あえて彼女の聞きたいことをはぐらかして答える。
「そういうことじゃなくて」
「ん?」
「……」
面倒な奴に絡まれた、という顔をしている。できるならばさっさと話を切り上げたいのだろう。しかし、私語を咎める教員も会話に割って入る利用者も一向に現れる気配がない。
「……先輩は、私に祝ってほしいんですか?」
「どう思う?」
「……」
俺の言葉を受けて、目の前の後輩は少し考え込むようなそぶりをみせた。嫌だ面倒だの感情は隠しもしないくせに、押せばなんだかんだで流されてくれるということは、今までの1年間で既に知っている。
そして、少し間があって、「そうですね、」「うん」
「今日まで生きられて、おめでとうございます」
その言葉の不躾さに、一瞬言葉を失った。
「嫌味かな」
「まさか」
間髪入れずに否定した彼女に悪気はほんの少しもないらしい。
「生まれたことをおめでとうなんて言ったら怒るでしょう、先輩偏屈だから」「生まれたことが嬉しいか嬉しくないかは先輩の問題なので、私にはわかりませんし」
「でも、もしも生まれたことが『運悪く』だったとしても、今日まで生きてこられたことは有難いしめでたいことかな、と」
俺があまりにも呆気にとられていたからだろうか、珍しく彼女が自分の言葉の意図を説明する。それは失言に対する弁解ではなく、本当にただの説明で、それを物語るかのように目の前の後輩はひとつも顔色を変えなかった。
以上です、と後輩が黙り込んでいる俺に水を向けた。
それを受けて、俺も今一度差し出された言葉を反芻する。生きてておめでとう。
18年前の6月5日。生まれた子供は心臓が悪かった。気が動転した若い夫婦と、その決断。二人目の子供。その意味を兄弟が知るのは十数年経ってからで、知ってしまったとき、兄は自分の体をはじめて恨んだ。生まれたことも。だって全てのはじまりは自分だったから。
けれど生まれたくなかったなんて癇癪は許されない。死にたいなんて言葉も。だって望まれた子供だ。生き続けることを。生きていくことは義務だ。生まれてしまった以上。望まれてしまった以上。
生き汚い一人目の子供は今日も生きている。恥も知らずに。
18年前に生まれた子供が今日を生きている。でも生まれたからといって生きていることが当然なんて話はない。生きていることは僥倖だ。望まれてるのに有り難い、俺みたいな存在にとっては、特に。
結論としては、後輩である彼女、猫原碧の言葉は少なくとも悪くない、だった。『生まれてきておめでとう』よりはよほど好ましいといえる。こういうところを気に入っているんだよなあ、と思ったり思わなかったり。彼女の言葉選びには度肝を抜かれることも多いが、確かに言い得て妙なものも多いのだ。まさに《悪くない》。わざわざこうして構うのはこの悪くなさ故で、この後輩は悪くないところがとても良い。
そこまで考えてから、目の前の彼女に目を向ける。あれだけ相手にしたくないという雰囲気を発しておいて、猫原さんは大人しく次の俺の言葉を待っていた。「珍しい。すぐ作業に戻ると思った」「どうやら先輩はお誕生日様らしいので」どうやら機嫌を損ねているらしい。それもそうだ。納得しながら口を開く。
「悪くはない祝いの言葉をありがとう、気に入ったよ。悪くない誕生日になりそうだ」
「それはどういたしまして」
もう少し嬉しそうにしてくれたら、もっと悪くない誕生日になりそうなんだけど。というのはいくらなんでも浮かれすぎだろうか。悪くはない誕生日だから、許されないかな、なんて思ったり、思わなかったり。