晩秋の夜は、寒い。
数歩先を行く先輩の背中を見つめる、何を考えているのだろう。
ポケットの中に入れた手、マフラーを巻いた首、今見える光は、せいぜい顔だろうか。
それすらも、今は見えない。
だからもしかしたら、先輩はいま、光ってないのかもしれなかった。

校門を出てから、先輩は一言も口を利かなかった。古橋光樹という人間が、わからない。
いつも笑っている、不意に諦めたように空を見る。
たまに、ほんのたまに、とても楽しそうに笑う。それから、いつも光っている。それだけだ。
たったそれだけのことが、私に何を伝えるだろう。
帰り道を誘った理由も、図書室で話す理由も、わからない。
だって私たちは何も言わないし、何も聞かない。

「せんぱい、」振り向かない。
「先輩は、いつから光ってるんですか」
振り向かない、けれど、歩調が緩まった。
「…いつだろう」中一か、中二。気がついたら光っていたという。

「先輩、まえ、いつも明るいところにいるって言ってましたよね」
「うん」
「図書室では、いつも薄暗いところにいますよね」
「うん」
「どうしてですか」
「……」どうしてだろう、と先輩は言った。
その声は、いつか"どうだろう"と言った声と同じ温度をしていた。

「どうしてだろう、特別なのかな」頼りない声だ。
途方に暮れたような、さみしい声。
振り向いた先輩は、なんだかひどく弱ったように笑っていた。
先輩の光が、その顔を照らしていた。

やめてほしい、と思った。
さっきみたいに"会いたくて"でも"話したくて"でもなんでも言えばいい、そう思った。
そうしたら、さっきよりは優しく受け流すから。
だから、途方に暮れたような声は、やめてほしかった。

それを慰める温度なんて、わたしにはない。

すぐに、先輩はまた前を向いた。
私も口を噤んで、後ろを歩く。
数歩歩いて、先輩がすぐに口を開いた。

「ねえ、あれわかる」
振り向いた先輩は、上を指差していた。
淡く光る指が示すのは、空。
「…星?」「そう、星」
先輩の指先は、一つの星を指していた。
「あれが、ポラリス。北極星。こぐま座の一部。」

嘘みたいに、星がきれいな夜だった。

先輩が、指を動かす。
ひとつ、ふたつ、燐光のような光が、星を追った。
「あれが、北斗七星」
また、別の星を追う。
「あれが、こと座」「こと座、って、織姫の」「そう、こと座」
「…ベガ?」「そう、ベガはあれ。正式に言うと、こと座というより、ベガが織姫になるのかな」

次に、また別の星をいくつか指差した。
「はくちょう座」「はくちょう座…?」「うん。中国の七夕神話だと、カササギの星座」「カササギなのに、白鳥ですか」
「はくちょう座って名前が、そもそも日本的というか」「ああ、そっか」
「あとは、ギリシャ神話のゼウスが化けた姿、っていうところもある」「ゼウス、」「調べてみると、妙な神様だよ」「へえ、」

はくちょう座の中の、ひとつを指差す。
「あれが、デネブ。あそこにあるのが、アルビレオ。二重星」
「二重星?」「星が二つ、引き合ってる。望遠鏡とかだと、きちんと二つに見えるけど、肉眼だと一つ」「二重星、」「一つは青くて、もう一つは金色。見たことあるけど、綺麗だよ」
「…くちばしは、どっちですか?」「アルビレオ。ちなみにさっきのデネブって名前の星は、他にもいくつかあるけど、デネブって言えば基本的にはくちょう座のデネブを指すかな」

先輩は、それからまた別のいくつかの星を指し示す。
「わし座」「…わし座?」「わし座は、知らない?あれがアルタイル」「アルタイル、」「織姫の恋人」「彦星…?」「正解。アルタイルっていうのは、アラビア語で、"飛翔する鷲"って意味」

「わし座のアルタイルと、さっきのベガと、デネブで、夏の大三角。二等辺三角形になるだろ」「…夏?」「そう、…ああ、そっか。星座は結構、季節をまたぐんだ」「へえ、」

星を見るのは好きだけど、知識に関してはからっきしだ。
先輩は、本当に星が好きらしい。
星を指差す先輩は、真剣な顔をしていた。

「もう少し冬が近づけば、オリオン座が見やすいんだけど…」
「オリオン座、聞いたことあります」
「有名だからね、形はわかる?」
「はい。砂時計、みたいな」
「そう、それ。左上の星が、ベテルギウス。平家星ともいう」
「平家?源氏と平氏、のですか」
「そう。昔の人が、ベテルギウスの赤色を、平家の旗の色になぞらえたんだ」
「源氏は?」
「源氏星もあるよ。オリオン座の、左下、リゲル。こっちは白いんだ」
「すごい、」
「俺も、そう思う。星座といい、形は似ても似つかないし。
それからベテルギウスと、おおいぬ座のシリウスと、こいぬ座のプロキオンの3つで、冬の大三角」
「シリウス、」
「そう、多分聞いたことはあるはず」
「はい、」
「それから、あと何個かの星で、冬のダイヤモンドっていうのが………」

私の視線に気付いた先輩が、私に目を向ける。
「どうかした?」「星、詳しいんですね」「…まあ。星は、好きだから」
「私、見るのは好きですけど、全然」
「今覚えたらいいんだよ」
「え?」
「せっかくこんなに見えるんだから、いい機会だろ」
「でしょうけど、」
「ほら、じゃあ北極星は?」
「……あれ?」
「おしい」
「あっち」
「そう、それ」

それから、私と先輩は星のおさらいをした。
間違えるたびに先輩が訂正を入れて、私が復唱する。
授業みたいだな、と思った。多分、生徒としての私の出来は、あまりよくない。
一通りさらい直して、先輩が息を吐いた。

「わかった?」
「わかったような、わからないような」
「今度、本を貸すよ」だから、覚えてね。にっこり、先輩が笑う。

「急に、どうしたんですか」
「別に。ちょっとした気まぐれだよ」
まったくもって意味が分からない。
「どういう意味ですか?それ」
訝しがる私をみて、先輩がわらう。

「いいんだよ、わからなくて」「はぁ、」わからなくて、いい。先輩はもう一度そういって、空を見上げた。

見上げる先輩の背景に、星が瞬く。

「わからなくていいから、覚えていてね」

私を見下ろしてそういった先輩は、笑ってはいなかった。


星の海を、空と呼んだ。

帰ろうか、急がないとね。
そういった先輩は、いつものように笑っていたけれど。

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