山尾幸の彼氏を見た。
ある日の昼休み、使い走りを決めるじゃんけんに負けた尾浦が、購買近くの自動販売機に向かったときのことだ。勝者の一人であるはずの津島もなぜか一緒に教室を出てきていた。弁当だけでは足りなかったらしい。「おい、言い出しっぺ」歩きながら津島に声をかける。
「んー?」
「どうせ自分で行くくせになんでじゃんけんにした」
じゃんけんを言い出したのは津島だった。そのおかげで尾浦は自分を含めた五人分の飲み物を買いにいく羽目になったのだ。自分の分を買わなければ少しは軽くなるだろうが、自分の口に入りもしないものを買いにいくのは癪だった。
「わりぃわりぃ。でもまあほら、尾浦だって一人で五本も飲み物抱えて歩くよりいいだろ」
「いや一本は持てよ。自分の分だろ」
「じゃんけんは〜〜?」
ニヤニヤと笑った津島に舌打ちをして、口を開く。
「ぜったーい」
鉄の掟に従う意思を見せた尾浦を見て、津島が満足げに笑う。
「そうそう。じゃ俺はパン買ってくる。終わったら自販行くわ」
「おー」
津島と別れて自動販売機の方へ向かうと、まさにその前で何人かの男子生徒がたむろしていた。靴のラインを見るに、一つ上の学年のようだ。なにやら盛り上がっていて、すぐにどいてはくれなそうだった。どうしたもんかな、と尾浦は考える。別の自動販売機まで行ってもいいが、頼まれたもののうち一本はここの自販にしか入っていない。夏も近付く五月に粒入り汁粉を受け入れるのは、河内とここの自動販売機くらいだ。
(他のもの先買って、そのあとまた戻ってくるか)
そう結論付けたとき、たむろしている男子生徒の一人が声をあげた。「つかいいよなあ、年下カノジョ。山尾サンだっけ?」聞き覚えのある名前が聞こえて、踵を返しかけていた足を止める。山尾、とは尾浦のクラスの山尾幸のことだろうか。
どうやら、山尾幸の彼氏があの中にいるらしい。となるとあの集団はサッカー部だろうか、と考えるのは些か早計だろうか。そんなことを考えながら、尾浦は制服のポケットから携帯を取り出した。そのまま近くの壁にもたれかかる。人を待つ体を装うことまでしてその場に留まったのは、野次馬根性半分。もう半分は自動販売機前の男子生徒たちが、想像していた"山尾の彼氏"のイメージと随分とかけ離れていたからだ。
尾浦はなんとなく、"山尾幸の彼氏"をあまり目立たない男だと想像していた。顔は悪くないが、どうにも大人しく目立たない山尾に目をつけるなら、相手も似たようなタイプかと思っていたのだ。泣きの一回で交際に押し切ったという話も、相手の女々しいイメージに拍車をかけていたのかもしれない。だから、素直に意外だった。千葉の心配もわかる気がする。
仲間にからかわれて、ひとりの男が口を開く。人好きのする笑みを浮かべた、そこそこ顔の整った男だった。ほどよく垢抜けていて、だけど派手ではない。どうやらあれが山尾幸の彼氏らしい。先の驚きほどには、元のイメージからもそうかけ離れてはいない。山尾と二人で並んだら、そう悪くはない絵になるだろう。
しかし、と尾浦の中でまた少し考えが変わる。あれならば山尾に頼み込むまでしなくても、恋人の一人や二人は出来そうなものだが。
「そ、年下カノジョ。かわいいよ」
「うぜー」
悪態をつきながら、ケラケラと周りが笑う。どこか既視感のあるやりとりだ。客観的には自分たちもああいう風に見えているのだろう。お世辞にも賢そうには見えない光景だった。
照れるでも誤魔化すでもなく、自慢げに彼女を「かわいい」と言ってみせる彼氏の様子に、思いのほか二人の交際はうまくいっているらしい。
そう感じたのも束の間、次に聞こえてきた会話に尾浦は耳を疑った。
「あれだろ?向こうから告白してきたんだっけ」
「知らない子に告白されて付き合うことにしたって聞いたとき、びびったもんな」
「そうそう、向こうから。一回は断ったんだけど、『遊びでもいいですから』って言われて。それでうっかり落ちたよね」
「うわちょー健気じゃん」
『面識のない相手からの告白』、『一度は断った』、『押しに負けての交際』。どれも聞き覚えのある話だった。しかしその登場人物の立ち位置だけが違っている。どういうことだと思う尾浦をよそに、男子生徒たちの会話は弾んでいた。
「一回見たけどこいつのカノジョわりとマジで可愛い。地味めだけど」
「大人しめで可愛いとか普通に羨ましいわ」
「だろ。あ、羨ましがってもいいけど僻むなよ」
「うぜー!」
高校生らしい馬鹿笑いが廊下に響いたタイミングで、パンが入った袋をぶら下げた津島が尾浦の元へやってくる。手ぶらの尾浦を見て訝しく思ったのだろう、津島が首をかしげた。
「あれ、尾浦なしたん?」
「いんや、なんでもない」
尾浦がそう返すと、不思議そうな顔をして津島が自動販売機の方へ目を向ける。そしてすぐ納得したような声をあげた。
「あー、コーチの汁粉ここにしかないもんな」
「そうなんだよ」
「三年かー。あ、サッカー部じゃん」
「津島知り合い?」
「知り合いじゃないけど、サッカー部は知ってる。練習場所グラウンドだから」
どうやらあの集団はサッカー部で合っていたらしい。そういや山尾の彼氏ってサッカー部の先輩だっけ、と津島が言う。
「もしかしてあの中にいんのかな、どんなやつだろ。尾浦顔知ってる?」
「知らない」
「だよなー。ていうかサッカー部かぁ」
不満げな顔をする津島を茶化す。「サッカー部、モテるんだっけ?野球部はモテないもんな」図星だったらしく、津島が顔を顰めた。
「モテてる先輩もいますー」
「あ、津島がモテないのか」
「お前ほんとうるさい!モテるからって良い気になんなよ!三ヶ月以上続かせてから言え!」
「毎度のことながら返す言葉もない」
騒がしくなった尾浦と津島に気がついたのか、サッカー部集団がこちらに目を向ける。
「あー、ごめん。自販機、邪魔だったよな」
真っ先に言葉を発したのは山尾の彼氏だった。尾浦たちに声を掛けたあと、そのまま友人らに向き直る。
「おらお前らどけ」
「暴力反対!」
「ごめんなー」
「わりーわりー」
口々に謝りながら、騒がしくサッカー部の面々が自動販売機の前から移動する。どうやら気の良い集団ではあるらしい。目当ての自動販売機の前が掃けたところで、津島が頭を下げた。尾浦もそれに倣う。
「あざっす」
「ありがとうございます、すみません」
「いーよいーよ、こっちこそごめんな」
山尾の彼氏が笑う。スポーツマンらしい爽やかさと適度な愛嬌を感じさせる、親しみやすい笑顔だった。