「幸、彼氏できたの!?」
「み、瑞樹、声大きい」
昼休みの教室は騒がしい。そんな中でたまたま聞こえてきた会話に、尾浦はそれとばれないように意識を向けた。もちろん、自分たちの話に適宜相槌を打つことは忘れずに。
「どうしたのさ、今まで告白とか断ってたじゃん」
「さ、最初は断ったよ」
「え?」
どういうこと、と友人の一人に迫られ、幸と呼ばれた女子生徒が目を逸らす。「ほんとに、断ったんだよ」と言葉が繰り返された。
「まさか、押し切られたの?」
「……うん」
「あんたほんとそういうところある!」
本当に、と尾浦は内心同意する。山尾幸とは一年生の時も同じクラスだった。一言で言うなら優等生で、真面目で気が利く。かといって冗談が通じないというわけでもないし、顔も悪くない。ただどうにも押しが弱いのが山尾幸という人物で、人の好い性格もあいまってか貧乏くじを引きがち、というのが昨年一年を通しての山尾幸の印象だった。
必死に頼み込む、面識のない男。それに押し負けて承諾してしまう山尾幸の姿は安易に想像ができた。目に浮かぶようだったと言ってもいい。気色ばむ友人が聞き出したところによれば、一学年上の男らしい。
「振られて食い下がる男、普通に情けなくない?」
それも同感だった。
「でも、良い人そうだったよ」
山尾幸は人を悪く言わない。なにやら擁護しようとしているらしい山尾幸に、千葉瑞樹が大きな溜息を吐く。
「悪い人ですって顔して告白するやついるわけないでしょ!」
反論の余地がないくらいにその通り。すると次は近くで溜息が聞こえた。
「おい、尾浦」
かけられた声に揺り起こされるように、意識が目の前の会話に戻る。どうやらあちらの会話に集中しすぎたらしい。
「あ、ごめんごめん」
聞いてなかった、と素直に白状すると呆れた顔をされた。「なんの話?」「お前なぁ」またひとつ溜息。呆れ返る友人の代わりに別の友人が言葉を引き継ぐ。
「なんで別れたんだって話」
「俺?」
「お前以外に誰がいるんだよ」
確かに尾浦は先週彼女と別れたばかりだった。
「たしかに。津島は彼女できないもんな」
「死ね」
「コーチは作らないし」
コーチというのは目の前で呆れた顔をしている友人のことを指している。別に何かの指導を受けているというわけではない。河内と書いてかわうち。こうちとも読めることを知って、もう一人の友人がつけたあだ名だった。
「お前とは違うんでな」
「耳が痛い」
「津島とも違う」
「お前ら俺虐めて楽しい?」
「そんなことより」
「そんなことより!?」
今度はなんで別れたんだ、とコーチが再度問いかけてくる。話は逸らせなかったらしい。
「んー、なんでって……」
先週まで付き合っていた恋人は一学年下の女子生徒だった。向こうに付き合ってと言われて、いいよと言った。それがひと月ほど前のことだ。自分の魅せ方をよく知った、文句なしに可愛い女子だった。別れておよそ一週間。付き合っている間、何を話したのかも正直よく覚えていない。
「なんか、他に好きな人が出来たらしいよ」たしかそんなようなことを言っていた気がする。あっけらかんと言い放った尾浦の予想に反して、津島がうわ、と声をあげた。
「悪女だ」
「怖」
ほかの友人たちもそれぞれ顔を顰める。
「またか」
そう言ったのは河内で、やっぱりその声は呆れていた。またか、というのはその通りで、尾浦は異性と付き合ってはひと月前後で別れる、ということを繰り返している。中学のときから。理由は今回のようなものだったり、覚えもないのに浮気を疑われたり、色々だ。
言ってしまえば尾浦はモテる。しかもお互いフリーであれば、すぐ付き合う。モテないわけでもないだろうに頑なに彼女を作らない河内や、必死すぎて女子に敬遠される津島とはそういう意味で全く違う人種だ。よく理解できない、という顔をされる。尾浦もよく同じように感じる。よく話す友人たちの中でも、河内津島とは特別仲が良いが、基本的に三人とも属性は違うのだ。
「しかしお前も怒るとかしないのな、ほんと」
津島にそう言われて尾浦は首を傾げる。
「や、別に。そんな好きってわけでもなかったし」
「……」
元恋人との交際はその場のノリだった、というのがぴったりな表現だ。その場のノリで付き合って、気が済んだから別れた。それだけの話だ。
自分の容姿が異性受けするものであることは、昔から知っている。それに加えて、既に相手がいるだとか、よほどの地雷であるという場合を除けば来るものは基本的に拒みもしない。そういう意味で、尾浦は"その場のノリ"の相手に相応しい男なのだろう。
今回は先に振られた形だが、気の済み方次第ではこっちから別れを言い出すこともある。尾浦にとっての男女交際はそういうもので、いちいちそれに何かの感慨を抱くような感性はあいにく持ち合わせていない。
「モテ男は住む世界が違うな」
「都合が良い男とも言える」
「彼女作り放題とか普通に羨ましいわ」
「そして別れ放題」
「それは嫌だ」
これはまた随分好き勝手言ってくれる。付き合いが長いぶん二人とも遠慮がないのだ。「それにしても」と河内がまた溜息を吐く。「ため息ばっかだと幸せ逃げるぞ」と茶々を入れると頭を叩かれた。
「……いつか刺されても知らないぞ」
「たしかに刺されそー」
「言う通り付き合って別れてるのになんで刺されるんだよ」
「それだよ、馬鹿」
呆れた顔がふたつになる。この点は津島も河内に同意らしい。
「えー、じゃあそのときはそのときでうまくやるよ」
「うわ今俺が刺してえ」
「モテないからって僻むのはやめてくださーい」
「よし刺す」
馬鹿なやりとりにケラケラと笑う。津島も笑っていた。
「モテない男の僻みは別として、」
「なんだと」
津島がまた気色ばんだ。津島は気の良いやつだし、それ以上に楽しいバカなのだ。「僻むな」「ひがんでないっつの!」津島を雑にあしらって、河内が尾浦を見る。
「いつか後悔するんじゃないか」
続いた言葉は純粋な心配で、驚くと同時にさすが学年一位は考えることが違うな、と思う。まともだ。真人間。刺されたって仕方ない友人を真剣に心配しているのだ。気付けば津島も同じ顔をしている。なんだよ。仲良しかよ。知ってたけど。自分の友達は良いやつばかりなのだ。これも昔から知っている。
でも。
「はは、まさか」
笑ったのはけして二人を馬鹿にしたのではなくて、ただおもしろかったからだ。
だって、捧げる純情だのハジメテだのがないことに悩むなんて、男でそんな馬鹿な話もないだろう。