「誕生日に熱。間、悪い」
「……うるさいよ、ミキ」
うう、ともむう、ともつかない声を上げて、幼馴染が布団を頭まで被り直す。勉強机の椅子を引いて、主の許可も取らずに座る。勝手知ったる人の家だ。幼馴染が自分の部屋に居着かないから、そう入ったことがあるわけではないけれど。
いつ来ても居心地の悪い部屋だった。幼馴染の趣味ではないだろう、柔らかな色合いで統一された可愛らしい部屋。桃色の寝具。棚に整列するぬいぐるみ。白で統一された家具。病人の部屋を彩るにはずいぶん華やかな花束。いかにも「女の子が好きそうな」部屋の意味に、彼女だけが気がつかない。気がつかないまま、十数年ここを寝床にしている俺の幼馴染。だからどうって、わけじゃないけど。
「薬は?」
「飲んだ。夜はまだだけど」
「じゃあ夕飯もこれから」
「うん」
「お大事に」
「うん」
一通りの確認は本当は必要もない。栄養のある食事、温かな心配り、適切な看病、それら全てが今日の幼馴染に与えられたことは想像に難くなかった。今の幼馴染の母親はきちんと大人だし、母親だ。優秀な親だとか言ってもいい。少なくとも、誕生日、それも熱を出している娘の元に帰らない、これまた別の意味で優秀な男に比べれば。
「瀬戸原、残念がってたけど」
「連絡、来てた」
「そう、返した?」
「スタンプだけ」
「そう」
普段の幼馴染を思うと、なにかしら反応を返したのだけで上出来と言えるだろう。
「ほかは?」
「クラスの子、から。次ノート見せてくれるって」
「そう、良かったじゃん」
「うん。あと、誕生日おめでとうって」
「誕生日まで知られてたの」
「そうみたい」
意外なことだが、幼馴染はこれで学校でもうまくやっているらしい。良かったじゃん、ともう一度返す。
熱のせいで消耗しているのだろう、ベッドに横たわる幼馴染の様子は眠る寸前、と言うべきものだった。小さく船を漕ぎ出している。
「みゃーこ、」
「ん、なあに、ミキ」
「誕生日、おめでとう」
「ありがとう」
追いついたよ、と幼馴染が笑う。追いつかれたと返して、立ち上がる。俺の今日の用事はそれだけだった。
「ペットボトル、空。おばさんに言っておくから」
「うん、ありがと」
病人の部屋に長く居座るわけにもいかない。邪魔になるだろうし、幼馴染は弱った姿を他人に見られるのを極端に嫌う。
「じゃあ、帰るから」
「うん。ミキ」
「なに、みゃーこ」
「ありがとう」
「誕生日?」
「ううん」
「一人で来てくれて」と言葉が続く。どうやらお見通しだったらしい。
「別に」
「ピリカ、怒ってなかった」
「納得してたよ。もう3年になるし、だいたい分かってるだろ」
「そっか」
ほんとう、と食い下がるあたり、本当に理解してないんだと思う。信頼していないわけではないだろうけど、瀬戸原の性格を掴みきれていない。だから怒られるんだよ、という言葉は胸にしまって、返す。
「ほんとうだよ」
「そう」
「それだけ?」
「うん」
「そう、じゃあおやすみ」
「うん、ありがとう、おやすみ」
幼馴染が布団から顔を出したのを見届けて、部屋を出る。ぬるいノブが手から離れて、ドアが閉まった。
リビングで夕飯の支度をしていたおばさんに声をかける。
「お邪魔しました。すみません、支度中に」
「いいのよ、気にしないで」
一人用の土鍋が見えた。夕飯はお粥か、うどんか、そういうものなのだろう。病人の胃に優しい、手間をかけた夕食。愛されている。愛している。血の繋がらないこの人もあの子のことを。実の親にも劣らないくらいに。それでも埋まらないのはどうしてだろう。
幼馴染だから、知っている。幼馴染の部屋に飾られていた花の贈り主。
2日か3日、もしかしたらもっと後、仕事になんとか折り合いをつけて男があの家にやってくる。幼馴染の熱はとうに下がったにもかかわらず、口当たりのいいゼリーだのプリンだのをぶら下げて現れる男。幼馴染がその土産に気付いた頃には、とっくに仕事に戻っているかもしれない男。 鼻で笑ってしまうくらいに稚拙。不器用。でも。だけど。幼馴染がほんとうに必要としているのは、適切で手厚い看病や見舞いなんかじゃなくて。
そこまで考えて、かぶりを振る。何と何を比べてる。
(思い上がるな、幼馴染風情)
外は寒くて、家までのたった数軒分の距離を、ひどく遠く感じた。