珠はあれで良いところの猫のようだった。毛並みが良かったからだと思う。それに比べて、生まれた娘は生粋の家猫だがそうは見えなかった。自分に似た(そう、"猫原深求"に似て、)軽く癖のついた髪、感情の窺えない表情。人に懐かない子供で、いつも碧は珠か、雇っている家政婦にしがみついていた。比較対象がいないので、てっきり子供はそういうものなのだと思っていたが、碧は気難しい方だったらしい。それを知ったのは三軒隣に娘と同い年の子供が越してきてからだった。それまで珠と結婚してから移り住んできたこの家の周囲には、碧と年の近い子供はいなかったのだ。自分の性質は理解している。無表情。言葉数も少ない。朗らかな顔つきをしているのならば話は別だが、元々の目つきだってけして良いとは言えない。それによく似た性質をもって生まれた娘。その行く末も難儀なものであることは想像に難くなかった。

 それでも珠は碧が人見知りをするたび楽しそうに笑った。晴れでなくても。

「照れ屋さん、恥ずかしがり屋さん、可愛い碧ちゃん」
 笑って、こう続ける。
「きっとあなたに似たのよ、ミモトさん」

 珠の後ろに隠れて、碧がおずおずと俺を見上げる。週に一度か二度、下手したらそれより少ない頻度。たまにしか帰らない俺を、碧はどういう位置付けにするか決めかねているようだった。珠によく似た色素の薄い瞳が、光を取り込んで光る。

「みもとさん」

 碧は俺をミモトさんと呼んだ。珠も家政婦もそう呼んでいたからだと思う。そしてそれを珠は毎回律儀に訂正した。
「碧ちゃん、お父さん、よ」
「おとうさん」
 呟いた後、珠を見上げて、首をかしげる。「おとうさん?」
「そう、お父さん」
 おとうさん、おとうさん。碧が繰り返す。
「おとうさん、おかえりなさい」
 ゆるゆるとはにかんで見せた幼い子供に、心臓が掴まれたように痛くなる。目頭が熱くなるような気さえした。馬鹿馬鹿しいやりとりだ。いつまで経っても一度で「父」とは呼ばない子供。それをいちいち律儀に訂正する女。非合理的で馬鹿馬鹿しい。それなのに。
 珠の後ろに隠れていた碧が、俺の方に踏み出す。「おとうさん、ただいま、しない?」

「……ただいま」

 最後、こうして抱き上げるまでが、帰宅の挨拶だった。
 初めてこれを抱き上げたとき、"珠の腹に巣食い珠を蝕んでいた病原"が"俺の娘"になった。細い、肉づきの悪い珠の体は、膨らむ腹に蝕まれていくようで、その腹の中身を憎みさえしていたのに。それなのに、いとしいと思った。珠にさえ感じなかった、"愛しさ"というもの。娘をいとしいと思って、愛しさを知れば、自分が珠に抱いていた全ても結局"愛しい"の一言で片が付いた。簡単なことだったのだ、初めから。たったそれだけのことを知らずにいた自分が信じられないくらいに。俺が見捨てていれば生まれさえしなかった子供は、出会って2秒で俺の人生を紐解いた。ただ一人俺を"優しい"と言った女の子供が俺に"愛しさ"を教える。奇跡だとか愛だとか、そういうものが在るのならば、それは女の形をしている、そう思って生きている。一滴の血さえ繋がらない娘を、この手で抱き上げたときから。

「いいなあ、碧ちゃん」
 大人しく腕に収まった碧を見て、珠が声を上げる。
「じゃあわたし、左腕!」
 腕にしがみ付く珠は産んだ子が5つになったと言うのに、出会った頃と変わらない顔立ちをしている。変わらない姿で、変わらない様子で笑う。奇跡だから。


 抱えられていた碧が、俺の顔を覗き込んだ。
「おとうさん、笑ってる」
 その言葉につられて顔を覗き込んできた珠が、今日一番の笑みを浮かべる。

「わあ、ほんとう!珍しいこともあるのね!」

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