「先生、」

 高校生、というのは微妙な年頃だ。普段微笑ましいくらいに(そして時に可愛げのないほど、)大人ぶってみせる彼らは、ふとした瞬間に驚くほどの純真さ、あるいは達観を見せる。
 青年と呼ぶにはまだ幼く、だからと言って少年と簡単に呼ぶのも躊躇われる彼らを表す適切な言葉を私は知らない。

「授業、わからないところがあって。放課後、質問しにいってもいいですか?」

 振り返った先、そう言って笑うのは同年代の生徒に比べて少し小柄な男子生徒だった。整った顔立ちは精悍というよりは愛らしいと言うべきもので、すこし長い髪だとか、すこし高めの声だとか、そういう要素も相まって彼を中性的に見せる。彼は人目を惹く生徒だった。
 彼にこうして呼び止められるのはこれが初めてではない。

 朝の昇降口、休み時間の廊下、放課後の職員室。
 今回のように質問のためだったり、あるいはただの挨拶だったり。私を見かけるたびにこうして声をかけてくる目の前の彼は、一度欠勤の先生に変わって授業を行って以来、クラス担任でもなければ教科担当でもない私を随分と気に入ってくれているらしい。
 私の返答を待つ今も、彼はそわそわと制服の下から覗くカーディガンの袖を伸ばしている。

「いいよ、いつものところでいい?」
「はい、ありがとうございます」

 いかにもうれしいです、という反応にこちらの頬も緩む。ここまで生徒に懐かれるのははじめてだ。
 熱心な生徒は可愛い。他の先生方から、先生に聞きにいくようになってから成績も良くなって、と言われているのならなおさら。

「それじゃあ、放課後よろしくお願いします」

 そう言って教室に戻っていく彼の後ろ姿を見ながら次の授業の予定を思い出し、どの生徒もこうだと教えがいがあるんだけど、と溜息を吐いた。



 試験前でもない今の時期は学習室を利用する学生も少ない。何人かいた生徒たちも居なくなり二人だけになった学習室は、クラス教室から離れた場所であることも相まってとても静かだ。
 説明をする私の声と、それに反応する声、それから筆記音だけが教室に響く。

「……説明はこれくらいかな。他にわからないところはある?」

 その問いに返事は無かった。
 無言のまま、男子生徒が顔を上げて私を見る。机一つ挟んで向き合う距離は思いの外近くて、整った顔が正面にあることに一瞬息を呑む。しかしそれでも彼は目を逸らさない。
 先に口を開いたのは男子生徒だった。

「あります」

 それが先の質問の答えだと気がついた時には、もう遅かった。
 私が身を引くより早く、机に置かれた私の手首を、一回り大きな手が掴んで引く。

「ね、せんせ」

 同年代の中ではすこし高いその声も、とうに変声期を終えた少年のそれで。ぎゅう、と私の手首を押さえる力が強くなる。

 高校生は大人ではない。そして子供でもない。
 すこし小柄で、私より背の低い彼が女子生徒ではないこと。男子生徒にはめずらしい、制服の袖から伸びたカーディガン。そこから覗く指は細くてもけして華奢ではないこと。それから、

「……離しなさい」
「や、です」

 舌足らずで幼げなその声が、その実故意と策略で構成されていること。
 そのことに、私はもっと早く気がつくべきだったのだ。
 本気で抵抗しているのに微動だにしない。それどころかさらに腕を引かれ、近くなった声が今度は耳元で私を呼ぶ。せんせい。

「知らないふり、しないで」

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