立ち上る煙が、憎い。

「嫌いなんだ、煙草」
「そうなんですか」
 ちらりとも視線を寄越さないまま、目の前の少女が呟く。少女。だとしたら、一つしか年の違わない俺は少年なのかもしれなかった。

 分煙とは名ばかりで、簡素な仕切りで区切られた喫煙席と禁煙席の違いはせいぜいその名前くらいだった。

 煙に満ちた、煙を避けるための禁煙席。
分断できていない、分煙のために設けられた仕切り。
存在している事実と、それとは矛盾した存在意義。
現に生きている、死ぬために産まれた誰か。
 突飛な方向に思考が飛びかけて、煙を厭うふりをしてかぶりを振る。俺が考えたってしかたない。見ないふりは、得意だった。

 目の前の彼女は、氷の入ったオレンジジュースを飽きもせずかき混ぜていた。ストローが氷にあたるたび、からころと軽い音がする。九割は残っているだろうそれに手を付ける気はまだないらしい。
 ふたつ買った甘ったるい揚げ菓子はどちらも半分ずつ欠けていた。

 自分の手元に目を向ければ、半分と一つ、同じく輪状の揚げ菓子が残っていた。飲み物は半分ほど減っている。

「先輩はよくそんな熱そうなものが飲めますね」
「君こそ寒いのに、よくそんなもの飲めるね」
「そんなものはないでしょう。猫舌なんです」
「君の言葉と大差ないでしょ。ああそう、俺は冷え性だよ」
「そうですか」
 お互い様ですね、と言いながら彼女はまたグラスをかき混ぜる。
「飲まないの」
「飲みますよ」
「氷、溶けるよ」
「わかってますってば」

「どうして輪状の揚げ菓子を半々で残してるの」
「素直にドーナツって言いましょうよ。好みです」
「どうして」
「どうしてどうしてって、先輩はなぜなにどーしてちゃんですか。なんでなんで期の3歳児ですか」
「なにそれ」
「てきとうです」
 ちなみに半分ずつ残しているのは、より美味しい方で最後を締めたいからです。
 続けられた言葉は存外かわいらしい理由だった。
「なんですかその目」
「いや別に」
 言わないけど。

「ところで先輩」
「ん?」
「どうしてわたしは先輩と優雅にお茶をしばき倒しているのでしょう」
「倒すどころかそれほとんど残ってるけどね。それは俺が誘ったからだよ」
「これから倒すんです。そうですか」
「むしろ俺は何で君と二人で輪状の揚げ菓子を貪っているのかな」
「貪るっていうかたいへん優雅にお召し上がりですけどね。あとドーナッツです」
「ドーナツなのかドーナッツなのかはっきりしてくれない?」
「先輩もしかしてそれでさっきからくどい言い回ししてるんですか」
「そうかもね」

 傍目に見たら恋人か何かの逢瀬にでも見えるのだろうか。見えないだろうな、と思う。ああでも、もしかしたら別れの直前やら倦怠期のカップルくらいには見えるかもしれない。通常営業の会話はどうやら他人からしたら煽り合いのように見えるらしいから。

「なんでお茶に誘われたんですか、私」
「たまたま君に会ったからだよ」
「どうしてドーナツだかドーナッツだかにしけ込むことになったのかな」
「たまたま近くに店舗があって最高に私の気分と合致していたからです」
「そう。俺の意見は?」
「先輩それでいいって言いませんでした?」
「言った」

 溜息と、次に沈黙。しかし険悪で重苦しいものではない。これくらいはよくあることだった。グラスをかき混ぜていた手を止めて彼女、猫原さんが再度口を開く。

「誘った理由を教えてくれる気は、なさそうですね」
「うん」
「そうですか」
 それは残念です。そう言うのは口先だけで、深追いする気もないのは彼女らしい。

 本当は、いくつか訊こうかと思ったことがある。でもそれについても、聞くつもりがあったということも口に出す気はとうに失せていた。
 訊いてしまえば負けた気がするし、この会話の調子では素直に答えが得られるとも思えない。素直じゃないのはお互い様なのだ。
 したがって俺の知的好奇心を満たすための有意義な昼下がりはただのお茶会に成り下がってしまった次第である。まあ、これもなかなか悪くはない。言わないけど。

 始終グラスに向けていた視線を初めてこちらに寄越して、猫原さんは胡散臭げに俺を見る。
「なに」
「……いえ、別に」
「なに」
 少し強く繰り返せば、少しの逡巡を経て観念したらしかった。なんだかんだ年上と押しに弱いことは知っている。

「何を考えてるのか知りませんけど、考えても無駄だと思いますよ」
 せんぱい、考えるの下手そうだから。
「ああそう」何気ない風を装う。あながち間違ってもいないのかもしれないそれを否定する言葉を俺は持たなかった。

 まあでも、と彼女が続けて口を開く。
「探偵ごっこのお茶会くらいなら付き合ってあげますよ、いつでも」

 先輩のことは好きじゃないけど嫌いじゃありませんから。そう言って角の丸まった氷が浮くそれにようやく口をつけて、「……薄い」「だろうね」そういえば、彼女の悪癖のことは前に聞いたことがあったっけ。
「君は馬鹿だね」
「ソウデスネ」
 苦々しい彼女の顔に思わず笑う。これを機に少しは学習するといいよ、なんて言いながら、放置されていた輪状の、ドーナツだかドーナッツだか曖昧なそれを口に運ぶ。
 煙草の匂いが、甘い香りに紛れて消えた。


(即興小説トレーニングより加筆転載/お題:煙草と探偵/制限時間:1時間)

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