「別に私、碧とすごく気が合うわけじゃないよ」
そう言えば古橋が驚いたように目を丸くした。
いつもくるくる動く古橋の表情が固まって、その目線も聴覚もが私一人に向けられていることにたじろぐ。
「あんなに仲良いのに?」
「仲は良いよ」
ますますわからないって顔だった。古橋はたまにこういう、“理解できない”って顔をする。碧と三木が付き合っていないと知ったとき。私と三木が至って穏便に話しているのを初めて見たとき。
なんだろう、そういうとき、古橋は異邦人みたいだった。私達とはまるで違う、遠いところから来たような。
同年代女子からつまはじきにされている私。人当たりはいいけど掴みどころのない碧。友達は多いけど、碧とそれ以外に明確な線がある三木。私達がそんなだから、古橋の感覚の方が世間一般に近いのかもしれない。けど、「こういうものだ」の例外に出くわしてはフリーズする古橋を見ていると、そっちの方が随分と生きづらそうだった。付き合っていない男女は、男嫌いの女は、古橋の中ではいったいどんな生き物なんだろうって、固まる古橋を見るたびに思う。
ねえあんたは誰と話してるの。目の前の私なの。それともあんたの頭のなかの「男嫌い」なの。
たまに、そういうふうにも思う。(だって、あんただっていまその男嫌いと話してるんだよって、思うのはきっと普通のことだ。)
「私はこんなだし、碧も素っ気ないから、よくケンカみたいになるよ」
「ええ、」
「『冷たい』とか、『わからずや』とか、だいたい私が勝手に怒ってるし、碧はぜんぜんわかってないことの方が多いけど。たまに碧も怒る」
ますます想像つかない、と古橋は言う。
「怒る怒る」
「ええー……」
「碧はけっこう子供だよ、頑固だし」
「それ瀬戸原が言う?」
「私が言うくらいってこと」
「癇癪姫に言われるとか相当じゃん」
「……」
思わず手が出たけど悪くないはずだ。暴力女!と悲鳴が上がる。そのあだ名は初めてだ。叩かれた肩をさすりながら古橋が口を開く。
「はー、世の中分からん」
「なに」
「だってあんなに仲良いのになぁ、喧嘩するんだ」
「するよ。三木と碧もする」
「えっ……あ、猫原さんが危ないことしたのをあいつが叱ったみたいな」
「それ喧嘩じゃないしょ」
「だって喧嘩って……あ、嘘?」
「嘘じゃないって。どっちに聞いても『別に何も』しか言わないけど、二週間くらい口利いてなかったよ」
まあその後は元通りだったけど。付け足した言葉はもう届いてないみたいだった。「まじかー」だの「うーん」だの唸った古橋が、何度目かの息を吐く。
「仲良いのになあ」
「仲良いからだと思うけど」
「?もー無理。君らの世界わかんない」
まるで自分は違う世界にいるみたいだ。こういうとき、古橋は“みたい”とか“のよう”みたいな言い方はしない。別世界だと言い切る。
「あっそ」
「そっけないなー」
住んでる世界が違う。何回言われたって、誰に言われたって、嫌いな言葉だった。
言葉は簡単に世界を作り替えて、さっきまで私の中で異邦人“みたい”だった古橋が、本当に手の届かない世界の人間になる。手を伸ばせば届く距離でも。
「古橋さ、」
古橋が間抜けな声を上げる。「へ?」
あんたは友達とケンカしないのって、聞くのはやめた。聞かなくても想像できたから。
だから、続けるのは違う言葉にした。
「一回ケンカしてみる?」
「いやなんでそんな喧嘩腰なの」
「だって古橋がわかんないとかいうから」
「その斜め上の親切をクラスの女子に回せば……痛い!二回目!」
「二回もそういうこと言うのが悪い」
「怖い。あ、待ってこれ喧嘩じゃね?友達との」
「友達じゃないし」
「ひっでー」
何が楽しいのかケラケラと古橋が笑う。
身内の気安さから来た軽口に、一瞬顔を引きつらせたのを見たことがある。それでもすぐに笑って返しているのも。私の知る古橋悠生はそういう人間だった。
そういう古橋だから、今笑ってるのだってほんとは悲しいのかもしれなかった。そうだったらどうしようなんて、普段考えないようなことを考えてしまうくらい、古橋は笑う。いつも。
「ツンデレ?」
「三回目いっとく?」
「ツンデレだ!」
「違う!」
ほぼ唯一の友達とさえケンカする私と、沢山いる友達の誰一人とも衝突しない古橋。どっちが正しいとか、そんな話ではないんだろうけど。ああほんとに。
違う世界みたい、だ。