後になって知ったことだが、幼馴染の母親は十七で幼馴染を生んだらしい。破格なほど若く見えたのも当然。だって実際若かったのだから。
しかし、それでも彼女は若く見えた。というよりも、大人には見えないのが彼女だった。
その夏は猛暑で、照りつける日差しと焼かれた道路の熱が十二年の生涯における過去最高レベルで不快だったことを覚えている。高二になった今でも、あれより暑い夏を俺はまだ知らない。
幼馴染の家の庭の前は俺の通学路だった。その日もいつものように俺はそこを通っていて、鈴のなるような声に呼び止められたのだ。
「あ、千種くん」
俺をそう呼ぶ人は俺の知る限りで 二人しかいない。その一人はいつもその家にいた。幼馴染の母親だった。
彼女の娘は俺の幼馴染だったが、小学校高学年にもなれば異性である幼馴染とは当然に疎遠だった。家族ぐるみの付き合いも自然と数が減っていて、けれどそれさえも彼女には関係なかったらしい。彼女はいつも、幼馴染の母親らしくない気易さをもって俺を呼んだ。
「こんにちは、暑くていやになるねえ」
千種くんは学校の帰り?と続けたその人は大人の女性が着るにはいささか不釣り合いな華奢なワンピースを身に纏い、ベランダに腰掛け足をぶらつかせていた。彼女が素足を揺らすたび、幼馴染と同じ色素の薄い髪が揺れる。どう見ても年不相応なその姿は、恐ろしいほど彼女によく似合っていた。
「はい、そうです」
こんにちは、と頭を下げると、彼女は素足のまま地に足をつけた。そのまま道路に立つ俺の方へ歩き始める。こちらが動揺して息を呑むくらい、彼女の行動には躊躇がなかった。
「……足、汚れますよ」
「洗うから平気よ」
白い足が夏の青く柔らかい芝を踏む。ますます女性のすることではない。けれど理解不能とでもいうような俺の視線を受けて、その人は悪びれもせず笑った。
「だって、この方が気持ち良いもの」
毎年夏が来るたび、その光景を思い出す。日焼けのない白い足、踏み締められる青い芝、揺れる白のワンピース。そして、今になって思う。彼女は大人ではなかったのだ。
だからあんな風でいられた。年齢に見合わないはずの服を着こなし、幼い言動さえ板に付けることが可能だった。童心を忘れない、とかそういう次元ではない。子供のまま年をとっていたのだ。あの人は年をとっただけの少女だった。だから死んでしまった。
あの夏の終わり、彼女は亡くなった。ついぞ大人にもならず、母親にもならないまま。
だから。初対面の日、彼女の背に隠れていた内気な子供。彼女の死後、母を求めて泣いていた少女。俺の幼馴染。みゃーこに母親は居なかった。居たのは彼女を生んだ少女だけ。
あの夏、幼馴染の母親は死んだ。それは同時に、みゃーこが母の愛を受ける未来を永遠に失ったことを意味していた。
だから今、俺の幼馴染は終わらない家出を繰り返している。何度も何度も、何かを探すように。
どこにも行けなくても、何も見つけられなくても、それでも彼女は家を出る。そうしないと生きていけないから。
みゃーこは彷徨い続けている。
足りなかった母の愛が、猫原碧を幽霊にした。