俺が誕生日を迎えてから何日経っただろうか。
早く大学が終わり、オレンジ色に染まる街を歩いていた時やった。


「財前?」


帰り道を急ぐ俺を呼び止めたのは何とも懐かしい声で。
驚いて振り向けば、昔と変わらぬ綺麗な顔が俺に向けられ、呼んだ本人も驚きの表情を浮かべとった。


「…白石部長?」

「なんやそう呼ばれるのも久し振りやなぁ」


顔を綻ばせながら近づいて来たんは、紛れもなく白石部長本人で、その懐かしさに自然と肩の力が抜けていくんが分かる。
こうして会うのは何年振りなのか、じっくりと考えてみなければ分からない程やった。


「こんな所で会うなんて奇遇やな、どこかの帰りなんか?」


部長は俺の服装や荷物を眺めてから少し首を傾げてそう尋ねた。
俺は一瞬だけ躊躇したが、来た道を指さすと部長の視線がその方向に移動する。


「すぐそこの大学通ってるんで、その帰りっすわ」

「え、ホンマ?その大学ってめっちゃ頭ええ所やろ?確か脳医学が専門の」


感心する部長をよそに俺の胸の中はヒヤリと冷たくなる。


「…まぁ…一応」


その俺の微妙な変化を知ってか知らずか、部長は少し間を置いて何かを考える素振りを見せて口を開く。


「…でも、確かユウジが前に言っとったで、財前がロボットとか人形とかを研究しとる大学入ったって」


何気なく部長の口から飛び出した言葉は、今の俺には凶器のようにすら感じた。
何故かと聞かれれば、それは俺の中にある幸せを崩してしまいそうやったから。


「…あぁ、そこはもう辞めたんですわ」


何年か前の自分を思い出し、赤く染まった空を仰いだ。


熱心に勉強してた頃を懐かしんでる訳やない

あの頃の自分の愚かさを思い出して後悔しとるだけ

そこで得た物は、今の自分が無駄な事をしとるって気付けた事だけやったから…


「へぇ、なんや一生懸命勉強しとるって聞いてたんやけどなぁ」

「……もっと…簡単な方法に気づいてもうたから…」

「…ん…?」

「それより、部長は何でここにおるんすか?大学出てから東京行ったって聞きましたけど」


急に話を変えると、不思議そうにしとった部長が楽しそうな表情を浮かべた。


「そうなんやけど、長い休みに入ったからこっちに帰って来てん」


それに…と、部長は続ける。


「会いたい奴がおるからな、…会える確証はあらへんけど…」


そう発しながら楽しげな表情を崩し、どこか寂しげに笑った。

ゆっくりと伏せられる悲しさが宿る瞳。
何を思ってそんな表情を浮かべるのか、俺は分かっていたからこそ、ただ黙って見つめていた。

静かに瞬きをした部長はそれを二、三度繰り返し僅かに低くなった声で呟いた。


「もう二年になるか…、謙也がいなくなってから」


俺が返事をする代わりに生温かい風が通り過ぎ、二人の髪を軽く揺らす。
部長は自分の親友の名前を言うのですらつらいのか、その痛みを誤魔化すかのように深く息を吸った。


「アイツ、大学入ってから彼女出来て結婚の約束までしとったのに…ある日突然消えたようにいなくなるなんて今でも信じられへん」


部長は先程の俺と同じように空を仰いどったけど、それは落ちそうになる涙を堪えているかのように見えて。

俺はその光景を、感情の籠らない瞳で見つめる。


そう、謙也さんは突然いなくなった。
二年前の今日みたいに暑い日。

あの時は警察だって動いた。
俺の所にまで聞き込みが来たぐらいやし、謙也さんの彼女らしき人物も俺を訪ねて来た。

…泣きながら謙也さんの名前を呼ぶ女には正直吐き気すらしたっけ…

必死の捜索にも関わらず何の手がかりも無いまま捜査は打ち切られ、事件に巻き込まれた可能性も低い為、失踪事件として処理された。


「結局どこ探しても見つからんかったけど、俺はいつか謙也がひょっこり帰って来そうな気がするんや」

「…そうっすね、俺もそう思います」


心にもない事を言って、俺は無理矢理作った笑みを貼り付けた。


…帰ってくる…?

そんなん無理に決まっとるやないですか…


心の中でほくそ笑み、腕時計を覗き込む。

こんな話聞かされたら早く会いたくなってしもた。


「じゃあ俺急いでるんで」


はやる気持ちを抑えながらそう告げると、部長は片手を上げて小さく笑った。


「引き止めて悪かったな、財前も大学頑張りや」


別れを言う部長に返事をし、背を向ける。

俺は歩き出そうとして何故かその歩みを止めとった。



「ねぇ、部長…」



どうして言おうとしたのか自分でも分からない

ただ、幸せを手に入れた自分を自慢したかったのかもしれない

自分を追い詰めてしまうかもしれないこの危機感を楽しみたかっただけなのかもしれない



「…俺、気づいてしもたんです、人形やロボットには限界があるって」



どんなに精巧な人形を作っても

どんなに姿を似せられても

それは間違いなく人形という存在


それに気付いた時、俺はたった一つの方法を見つけた



見つけてしまった…



「人間に近い人形を作るより、人形に近い人間を作る方が簡単やって…、そう思いません…?」



部長の訝しげな目に映った俺の顔は酷く歪んでいた。



















「ただいま」


そう声に出してからふと気づく。
返事をしてくれる人物は、今は自分の意志で動けないという事を。

そんな事を考えながら明かりが消えた暗い廊下を歩くと、足の先に伝わる温度が冷え冷えとして気持ちよい。

僅かに光が漏れる寝室のドアの前に立ち、ゆっくりと押し開けると、ベッドの横に置かれた大きな椅子に座る人物に近づく。
目を閉じ、胸を上下させている姿を見て、俺は薄っすらと笑みを浮かべた。

耳の後ろから伸びるコードにそっと触れ、そういえば…と、いつか謙也さんが言ってた事を思い出す。


「……夢を見た…か…」


夢は、見た事、聞いた事、体験した事などを思い出して寝ている時に疑似体験するようなもの。
脳の記憶には無くても、身体が覚えてる事だって夢に反映されてしまう。
そうなると、いくら脳から過去を消し去ったとしても、身体が覚えてる過去が呼び起こされるかもしれない。

そんな事、俺にとってはマイナスにしかならない。

眠りを深くさせれば…夢を見る事もなくなるやろ…

本人は充電してると思ってるけど、本当はここから脳に強制的に脳と身体や脳が寝てしまう電磁波を送っているだけ。

最近の脳医学はホンマに進歩しとる。
二年もの時間があれば…記憶だって操作出来るんやから…

今度から脳に与える電磁波を強くした方がええかも…なんて、そんな事を思いながらその電磁波を送っているコードをゆっくりと引き抜いた。

閉じていた謙也さんの瞼が持ち上がり、その瞳が俺を捉えて。
俺はいつも謙也さんに見せる笑顔を向けた。


「謙也さん、ただいま」

「おかえり…光」


覚醒した謙也さんの声を聞き、笑う顔を見て、俺は膝に置かれた手に自分の手を重ねる。

そして俺は、心の奥にある罪悪感なんて感じる隙もないくらいの大きな幸せを噛み締めた。



俺以外の過去なんて貴方には必要ない


俺以外の誰かに愛を囁くなんて許さない


例えどんな悪に手を染めようとも、貴方が手に入るなら地獄に堕ちても構わない


貴方はずっとずっとここにいて、俺だけを愛して生きていく


過去を忘れ、自分を忘れ、今を生きていく



逃げる事はもう出来ない


持ち主が大切にする限り、その手から逃れる事は出来ないのだから





そう…


まるで本物の


人形のように






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