書房 | ナノ

送り火のあとで



「…ああ、びっくりした……大の男がたった一人でこんなに心からお祭りを満喫しているという事実に…」
能面よりも表情に乏しい素顔を般若の面で覆い、向かって左手にはわたあめ、リンゴ飴、水ヨーヨーをしっかりと持ち、右手に金魚をぶら提げて、腕に河童の人形をくっ付けて、おまけに風船まで背負こんだ、閻魔大王の第一補佐官の登場に、柿助は思わず青筋を立てて呟いた。
「いいじゃないですか別に」
桃太郎侍かと思った…とまで言われた鬼灯は、被っていた面を側頭部にずらす。今日は地獄の夏最大のイベント、盂蘭盆地獄祭りだ。義経が柔らかく微笑むポスターが功を奏したのか、はたまた例年通りか、多くの人ならざる者達で賑わっている。その中には鬼灯の見知った獄卒達や、妖怪達の姿も多々見受けられた。
「金魚すくいとか楽しいじゃないですか」
「アンタ、この期に及んでまだ金魚飼うんか」
鬼灯が示すビニールの中には、二匹の金魚が泳いでいる。彼が常日頃可愛がっている金魚草とは似ても似つかぬ和金ではあるが、ルリオは思わずそう突っ込んでいた。
「いえ、これは名前さんの金魚なのですが…」
そう言いながら、鬼灯は先程別れた名前の愛らしい紅色の浴衣姿を思い出し、自然に眉根を寄せる。
「名前さん来てるの?鬼灯様と一緒じゃないの?はぐれたの?」
シロが心配そうに首を傾げる。鬼灯は人波の邪魔にならないよう、桃太郎ブラザーズを伴って、流れに沿って歩き始めた。
「いえ、今日は別行動です。名前さんなら、ほらあそこ」
鬼灯は数軒向こうの出店を、わたあめとリンゴ飴で示した。名前とは一緒にいることが多いというだけで、皆が噂しているような仲では決してないのである。鬼灯に下心がないのかと言われれば、それは微妙だけれども。
「タコ焼き〜、衆合名物、どスケベダコのジャンボタコ焼き〜」
小さな出店の、お香が看板娘兼責任者として立っているその横に、浴衣姿の名前がいた。派手な髪飾りを付けたまとめ髪がいかにも夏らしくて可愛らしい。五十円で販売しているお茶を出してきて渡す係のようだ。
「売り子さんのお手伝いをしてるんだね!」
「そういうことです」
合点がいったらしいシロに、鬼灯は頷いてやる。この金魚は先程立ち寄った際に、持っていてくださいと渡されたものだ。お盆祭りを満喫している彼にもこの後一仕事あるのだが、そんなこと地獄に来て日の浅い名前には知る由もない。通りすがった鬼灯たちに、名前は朗らかに手を振った。

獄卒は全員深夜零時前にメインステージに集合。獄卒でない名前がそれを知ったのはお香が片付けを始めてからのことだった。
「手伝ってくれてありがとう名前ちゃん、助かったわ」
「こちらこそありがとうございます、楽しかったです!浴衣まで貸していただいて…」
「さっきも言ったけど、よく似合ってるわ」
名前は少し色っぽいデザインの、身に付けている浴衣を覗き込む。お香が数年前に買ったのだというこれは、目の醒めるような赤が少し派手な代物だ。他の色の浴衣もお香の箪笥の中には眠っていたのだが、持ち前の地獄耳で浴衣の貸借を小耳に挟んだ鬼灯が、名前には赤が似合うと言って譲らなかった。肝心の鬼灯にろくに見せられなかったことだけが、名前としては少し心残りである。

零時が近付き、獄卒達がこぞってメインステージに向かったことで人も店も目に見えて減ってしまった往来を、名前は一人であてもなく歩く。疎らになったとは言え、まだお祭りは続くようなので、これならもう少し楽しめそうだ。ガヤガヤと人いりのわりに賑やかだと思ったら、頭上で提灯たちがお喋りに花を咲かせていた。
「あれ〜、名前ちゃんじゃない!浴衣姿もいいね、可愛いよ!」
「こんばんは、白澤様」
「一人なんて珍しいね〜、あ、ひょっとして僕のために今晩空けといてくれたの?」
「そんな訳ないっしょ」
屋台越しに矢継ぎ早に声をかけられて、名前は目を白黒させている。身を乗り出して鼻を伸ばす白澤に、見かねた桃太郎がため息まじりに突っ込みを入れた。
「名前ちゃんならタダで良いよ、食べてって、食べてって!」
一杯二百円の茶粥を惜しげもなく注いで、白澤は名前に手渡した。有り難く受け取って一口啜れば、夏にぴったりのすっきりした薬膳が喉を潤した。
「美味しい!」
「でしょ?僕はもっと美味しいものが食べたいな〜、例えば名前ちゃんとか…」
「露骨すぎますよ」
桃太郎は冷や汗をかきながら、白澤をやんわり制止した。この場にはいないとはいえ、名前は端から見れば疑いようのないくらい鬼灯と相思相愛である。彼の目を盗んでこんな風にモーションをかけていることが知られたらと思うと恐ろしくて堪らなかった。

毎年恒例になった亡者の回収を終えて、鬼灯の手が空く頃には、まだ空は白んでいないとはいえ、丑三つ時は終わりに近付いていた。時計を見るのも嫌になって、盆祭りの終わりかけた地獄の道を閻魔殿目指して歩いていた。あんなに立ち並んでいた出店はもう跡形も無くなっているか、あっても店仕舞いの最中。頭上をぼんやり照らす提灯達は一様に眠たげにしている。背中で揺れる風船も、心持ち元気が無くなったようだ。
「あ、鬼灯様!」
自分を呼ぶ声に顔をあげれば、金魚の鰭を思わせる浴衣の裾が揺れていた。愛らしい名前の笑顔の向こうに、忌々しい神獣の憎たらしい顔があることだけが気に食わない。
「遅いんだよ!名前ちゃん待たしてんじゃねーよ、このボケッ!」
「うるせぇよスケコマシ。…で、どうしたんですか名前さん、何か私に用事でも?」
待ち合わせをしていた覚えのない鬼灯は首を器用に傾けて、それから手のひらを拳で叩いた。
「ああ、金魚をお預かりしたままでしたね、はい」
「ありがとうございます」
「金魚が可愛い気持ちはわかりますが、こんな時間まで女性が外にいるのは危ないですよ」
ほら、貴女の側には危険が一杯。そう言って、指をさすついでに白澤を目潰しする鬼灯の手に先程持っていたわたあめとリンゴ飴は無い。食べてしまったのだろう。名前はクスクス笑った。
「何か?」
「いえ、金魚をお渡ししていて良かったな…と思って」
だって、待っている口実が出来ました。…とは言わない。名前自身は鬼灯にすくった金魚を渡したことなんて、本当はすっかり忘れていたのだから。
「来年はもう少し一緒に回れると良いですね」
素直な気持ちがうっかり名前の口をついて出た。そうですね、と肯定する鬼灯の口調はいつものように素っ気ない。
「来年は一緒に回って、私の足で十二時前にはお部屋に帰して差し上げます」
嫁入り前の娘がこんな時間にフラフラして!と、相変わらずの鬼灯のお母さん節に、名前もついつい苦笑いだ。小言が終わったと思ったら、ふと、真顔で見詰められて、名前はやや照れ臭くなる。鬼灯はたっぷり間をとってから、言った。
「やっぱり赤にして正解でしたね」
「え?」
「浴衣、よく似合っていますよ」






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