十八 てるうさ 深い深い森の奥、小さな家に一人のおばあさんが住んでいました。おばあさんは時々町に出て、森にあるきのこや薬草などを売って生活していますが、魔法使いでもありました。 町の人には魔法使いであることを秘密にしていますが、決して迫害されているからというわけではありません。あまりにも珍しくて、本当にそうだとは信じてもらえないのです。空を飛ぶことができたら信じてもらえるかもしれませんが、あいにくそんなわかりやすい魔法は使えず、薬を作ることや火を付けるようなちょっとした魔法では、魔法を使っているとは思ってもらえません。 ある秋の日のこと。すっかり紅や黄に染まった森の中をおばあさんがいつものよう歩いていると、道端に一人の青年が倒れていました。黒髪のその青年の顔は真っ青で、近くにはきのこの欠片が落ちています。 「あらあら、毒きのこを食べてしまったみたいねぇ」 おばあさんはきのこの種類を確認し、家に薬を取りに行きました。おばあさんの力では、青年を家まで運ぶことはできないからです。 「この薬を飲ませれば、ひとまず大丈夫ね」 薬草を混ぜて作った魔法の薬を飲ませて、おばあさんは青年の側に座りました。秋風が冷たいため、毛布も持ってきてそっとかけます。そうしておばあさんが青年を見ているうちに、一時間ほど経ちました。 「……ここは、どこですか?」 「ここは森の中。あなた、毒きのこを食べてしまったみたいなの」 意識が戻った青年に、おばあさんは答えました。 「毒、きのこ? ああっ、あの、助けていただいて、ありがとうございます」 青い目を見開いて驚きながら、青年は体を起こしました。 「いえいえ。ところで、どうしてこんなところで、きのこを食べたりなんてしたの?」 「僕、旅をしているんですけど、道に迷って、食糧も底をついてしまって……それで、たまたま見つけたきのこを食べてしまったんです」 「そうだったのね」 この深い森はとても迷いやすく、青年が迷ってしまったのももっともな話でした。森を通って他の町へ近道しようとした旅人が、森から出られず死んでしまう、というのも割とよく聞く話です。 「あ、それとね、この毒きのこの毒はちょっと厄介で、一ヶ月ぐらい薬を飲み続けなきゃならないの。ただ、今うちに一ヶ月分の薬はないから、薬ができあがるまでの間はうちに泊まるといいわ」 「え、でもその間迷惑では……」 「家事の手伝いをしてくれれば、全然構わないわ」 微笑みながら、おばあさんは言いました。 おばあさんが青年を助けてから、数日たったある日のこと。小さな家の中で、おばあさんは薬の調合を、青年は夕食の支度をしていました。おばあさんが青年に貸した白いエプロンが、彼によく似合っています。 「それにしても、あなたって、妙に懐かしい雰囲気があるわねぇ」 白い髪を揺らしながら、おばあさんは言いました。 「私が若い頃恋してた人に、似ている気がするの」 ゆっくりと話すおばあさんの目は、どこか遠い昔を眺めているようです。 「その人は今、どうされているんですか?」 野菜を洗いながら、青年は聞きました。 「誰とも結婚しないまま、十八年前に土砂崩れに巻き込まれて、帰らぬ人になったの」 「そんなことが……」 にんじんを切ろうとした青年の手が、止まりました。 「何も考えずに聞いて、すみません」 「別にいいのよ。そういえば、私が魔法使いを目指し始めたのも、その頃だったわね。未だに大した魔法は使えないから、誰も信じてはくれないけど」 少し寂しそうに話しながら、おばあさんは手元の鍋をかき混ぜます。鍋の中では、鮮やかな若草色の液体が煮立っています。 「薬の不思議さにもしやとは思っていましたが……僕は信じます」 青年は、真っ直ぐな瞳でおばあさんを見ました。 「そう? 本当に、あの人によく似ているわね」 それからまた数日が経ち、青年が家事にも慣れてきた頃のこと。青年も、おばあさんに懐かしい雰囲気を感じるようになりました。それはとても温かく、同時に切ないようなものでした。 「このクッキー、不思議と昔、食べたことがあるような気がするんです」 おばあさんが焼いたクッキーを食べながら、青年は言いました。 「あら、それは不思議ねぇ」 笑いながら、相槌を打つように言いましたが、おばあさんにとってもこのことは本当に不思議でした。少し変わった材料を混ぜて作る、この特製のクッキーをおばあさんが焼いたのは、まだ二回目だったのです。そして、以前作ったこのクッキーを食べたのは、おばあさんとおばあさんが恋したあの人だけでした。 「ところで、あの鍋の中にあるのは何ですか?」 ふと、煮え立っている鍋が気になって、青年は尋ねました。 「あれは……ちょっとある薬を作ろうとしていたんだけど、失敗して歳をとる薬になってしまったの。危ないから、飲まないでね」 鍋の側にある、材料として使われたと思われる薬草は、みずみずしいものばかりでした。 きのこの毒を直す薬ができあがり、青年がおばあさんの家を出るその日。青年の中に渦巻いていた不思議な感覚は、はっきりとした言葉に変わりました。 「今日で、お別れね」 小さな家の扉の外。青年の隣に立って、静かな声でおばあさんは言いました。 「その前に一つ、聞きたいことがあるんです」 「なにかしら」 ゆっくりと返すおばあさんの方を向きながら、青年は手の中にあるものを見せました。 「この薬、本当は若返りの薬を作ろうとしていたんですよね」 小瓶に入ったそれは、鍋の中で煮え立っていたあの薬でした。 「でも、魔法の力を使っても、過ぎた時を戻すこと、すなわち若返らせることなんてできなくて、せいぜい時を早く進めることぐらいしか許されないのでしょう」 青年は、小瓶のふたを開けます。 「ならば、許されることを精一杯生かそうと、僕は思います」 小瓶は空っぽになりました。 「それを、飲んだら……」 かすれた声で言うおばあさんの目の前で、高速で時が進むように青年の姿は変わっていきました。長い時間があっという間に過ぎ去った後、そこに立っていたのは一人のおじいさんでした。 「何の奇跡か、僕は生まれ変わったみたいです。だから、あの時の後悔を、あの時言えなかったことを、ここで果たしたい……僕と、結婚してください」 皺の深い手を、おじいさんはそっとおばあさんの前に差し出しました。 「……喜んで」 深い深い森の奥。小さな家に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。残された時はわずかですが、二人にとってそれは、とてもとても幸せな時間です。 |