ときめく   落合



 わたしが九条雀に出会ったのは、文化祭を前にして、クラスのみんなが準備に取り掛かっている時だった。わたしは準備をしてなくて、彼は準備をする気が無くて、それで、出会ってしまった。
「うげっ」
 わたしを見るなり、彼はそう言った。わたしは彼を知らないけれど、彼はわたしのことを知っているのだろうか。屋上の柵に肘を乗せたまま、彼を見る。
「何だよ」
 彼が言う。怒らせてしまったかな。慌てて、目を逸らす。だけど、何故だか彼は、わたしの隣に立った。
 ――何故だ。
 不思議に思って、彼を見上げる。綺麗な顔の人だった。ちらっと見て、怒らせちゃいけないと思って、目を逸らす。
「お前」
 彼が恐ろしいものを見ているかのように、言った。

「お前、俺を見て何とも思わないのか? 性的な意味で」

 ……ん?
 一瞬、思考が停止する。彼は、宇宙人を見ているかのような顔をしてわたしを見つめている。
「……思わない。性的な意味で」
「かっこいいとか思わないのか?」
「思わない」
 彼は、嘘だろ、と額を手で押さえた。
「じゃあ、俺のこと知らないの?」
「知らない」
「王子って呼ばれてるんだぞ? ファンクラブもあるんだぞ? 知らないの?」
「知らない」
 こんな奴いるのか、と彼は項垂れる。
「お前、名前とクラスは?」
「鷹宮久遠。一年二組。……えっと、あなたは?」
 悔しそうな顔で彼は、
「二年二組、九条雀だっ」
 と怒鳴った。
「絶対忘れんなよ!」
 ……う。怖い人には見えなかったけど。怖い人だったのかな。
「何怯えてるの」
「怒鳴るから」
「俺を知らない人間がいるっていうのがありえないんだよ! こんなに顔がいいやつ他にいないだろうっ!」
 この人、やばい人なのかな。
「いま失礼なこと思っただろ?」
 ぶんぶんと首を振る。
「思ってない。ただ……」
「ただ?」
「雀より鷹の方が強い」
「……イラッ」
 声に出してイラッて言う人初めて見た。
「おっ、お前なんかもう知らないんだからなっ!」
 そして屋上から走って逃げて行った。

 呆然と彼を見送る。自然と、涙がぽろりとこぼれていた。わたし、人と普通に話してた?



 *



 屋上はわたしの場所。本来は立ち入り禁止だから、誰も来ない。……はずだったのに。
「王子先輩」
「バカにしてるだろ?」
 してない。ぶんぶんと首を振る。ならいいけど、と先輩がわたしの隣に座った。
「……え?」
「え、はてな、じゃねえよ!」
 先輩がまた怒鳴った。
「怯えんなよめんどくせえな! 鷹の方が強いんだろ?」
「うん」
 先輩はわたしのパンを奪い取って、ぱくぱく食べる。
「それ、わたしの」
「お前これから毎日俺の分も買ってこい」
「へ?」
「俺のことを知らなかった罰だ」
 先輩は横暴という言葉をご存知ですか?


 それからというもの、わたしは毎日先輩の分と、自分の分のパンを買うことになった。先輩は変な人だった。他人とコミュニケーションを取るのが苦手なわたしとも、普通にしゃべる。きっと先輩の頭の中には、「コミュニケーションを取るのが苦手な人間」がいないんだ。気も遣わないし、変なお世辞も言わない。先輩と一緒にいるのは楽だった。ナルシストで、少し鬱陶しいけど。
「実は俺の先祖貴族なんだよね」
「それならパンくらい自分で」
「パンがなければケーキを食べればいいじゃない!」
 先輩は暴君という言葉をご存知ですか?


 そんなある日のことだった。
「貴族先輩、怪しいです」
 先輩が屋上の扉の前でしきりにキョロキョロしていた。それから慌てて隠れたり、ほっとしたように息を吐いたり、……この人には何かが見えているのか?
「おお久遠いつから居た」
「今来ました」
「追手がいなかったか?」
「先輩はどこかのマフィアですか?」
 先輩にパンを押し付けてから屋上に出る。すうっと息を吸い込む。屋上はいいな。
「待って」
 パンを食べるわたしの隣に、先輩が座った。
「追手って言うのは、俺のファンクラブのやつら」
 まぁこんなにモテるから仕方ないな、と先輩が変なポーズを取る。
 先輩はナルシストという言葉をご存知ですか?


「先輩モテるんですね」
「最初からそう言ってるだろ」
「そうでしたっけ」
「お前」
 先輩がわたしを睨む。だって先輩が覚えてろって言ったの名前だけだった。
「久遠と初めて会った時も、あいつらから逃げてたの」
「……」
「屋上なら誰もいないだろうって思ってたのに、お前がいるし……。あの時はビビった」
「すいません」
「何で謝るんだよ」
 先輩が、困ったような顔をする。初めて見る表情だ。いつも自信に溢れている先輩は何処にいったの。
「お前は?」
「え?」
「何で、屋上に居たの?」

 わたし。
 なんだか、言葉に出来なかった。拳をぎゅっと握りしめて、いつかの先輩みたいに屋上から走って逃げた。文化祭を前にして、クラスのみんなが準備に取り掛かっている時。先輩は準備をする気が無くてうろついてたら、女の子に追いかけられて、屋上に逃げた。わたしは、準備をする気はあったけど、出来なかったから、屋上に逃げた。



 *



 次の日は、屋上に行かなかった。昼休みも、居場所のない教室で、ただただ座っていた。高校に入って、もう半年も経つのに、わたしはクラスに馴染めない。馴染めないだけならまだしも、物がなくなったり、無視されたりする。
 わたしは不器用で、うまく言葉を伝えられない。自分から話しかけることなんて出来ない。でも、人一倍傷つきやすい。ちょっとのことで、ぐずぐず悩んだり。きっと、先輩にはわからない。先輩の頭の辞書には載ってない。


 文化祭前は、午前中は授業で、午後は全部準備。ご飯を食べ終わった子たちから、準備に取り掛かる。
「鷹宮さん」
 話しかけられる。委員長の女の子だ。
「邪魔だから、また、どっかに行っててね?」
「……うん。ごめんね」
 それに笑顔で答えるわたしもどうかしてる。
 走って、屋上に行く。早く行かなきゃ。酸素が足りない。胸が苦しくて苦しくて、水の中にいるみたい。もう、泡になって、消えちゃいたい。
 屋上のドアを開けて、一気に広がる空を見上げて、深呼吸する。
 自然に、涙がほろほろこぼれた。壊れた心がべりべりとはがれて、そこから、涙になっていくみたい。
「遅いっ」
 先輩の怒鳴り声。肩がびくっと震える。慌てて涙を拭く。
「泣いてるのか?」
「……泣いてない」
 先輩がわたしの顔を覗き込む。必死で、顔を伏せる。涙が止まらない。ぼろぼろとこぼれる。ぼろぼろ。ぼろぼろ。
「嘘は嫌いだ」
 先輩がわたしの顔を両手で掴んで、強引に上に向ける。
「泣いてるよ」
「泣いてないっ」
 泣いてない。壊れた心が、溶けただけ。わたしは、泣いてない。手を振り払って、先輩から離れる。

「お前」
 先輩が不気味な物を見るような顔で私を見つめる。
「今の、ときめかなかったのか?」
「ときめかなかった」
「お前、ほんとに人間なのか?」
「……わかんない。宇宙人かも」
 言いながら、そうっと屋上の柵を撫でる。
 先輩、とぽつりと呟くと、先輩が真剣な顔をわたしに向けた。そういうのが、嬉しい。わたしの話を聞いてくれて、ありがとう。
 先輩と初めて会った時。わたしは、飛び降りようとしていました。教室から、私の机がなくなっていました。もう、いらないんだって。もともと、誰にも必要とされてなかったけれど。わたし、ちょっとのことで傷つくから。みんな、気にしてない小さなことでも、悲しくなるんです。今日も、邪魔だって言われただけで、泣いちゃったんです。わたし、弱いから。
 涙が止まらない。
 先輩がまた私の顔を両手で掴んで、上を向かせる。
「それは、誰でもつらいに決まってるだろ」
 また、ぶわっと涙が溢れた。
 先輩、先輩、せんぱい。先輩は人気者で、みんなの真ん中にいて、私は端っこもいいところで、輪の中に入れないようなやつなのに。どうしてこんなわたしに、先輩は優しくしてくれるんですか。
「今のはさすがにときめいただろ?」
 先輩はバカという言葉をご存知ですか?


 ……でも。
「少し」



 *



 わたしと先輩の、変な関係はまだ続いていた。昼休みにパンを二つ買って、屋上に行く。パンを先輩に渡して、二人でもぐもぐ食べる。
「ほんとは俺、久遠に嘘ついてた」
 パンをもぐもぐ食べながら、何だろう、と先輩を見上げる。
「誰もいないだろうと思って屋上に行ったのに、お前がいてビビったって言ったけど、あれ嘘なんだよね」
 先輩がてへっと笑った。これからは可愛い路線も取り入れていくと先日宣言していたから、それのせいだろうか。はっきり言って不気味です。
「前から、屋上に誰かがいるのは知ってた。誰だろうって気になってた。それで、女子たちに追いかけられて逃げてる時にふと思い出して、来てみたの。文化祭準備中だし、いないだろうとは思ってたんだけど。いるし。しかも俺のこと知らないし。びっくりした」
 きっと彼が一番驚いたのは、「自分のことを知らない人がいる」ということだろう。今日も平常運転だ。
「まるで俺に興味なさそうだし」
 はあ、と先輩がため息を吐く。
「それにお前、俺がパン一つで昼飯足りると思うか? しかも毎日毎日同じパン買ってきやがって。もうメロンパン飽きた!」
「わがまま言うなら自分で買ってきてくださいよ」
「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない!」
 またそれか。この人ほんと、鬱陶しい。

「だからな、俺が言いたいのは、パンなんかどうでもいいんだよ」
「……」
「ほんとは、教室で急いで弁当食って、走って屋上に来てるんだよ」
 え。そんなまさか。うそ。びっくりして、先輩を見る。わ。どうしよう。先輩真っ赤だ。わたしまでなんだか、熱くなる。
「お、王子先輩」
 お前やっぱバカにしてるだろ、と彼がわたしを見る。
 してない。ぶんぶん首を振る。
 先輩が、わたしの顔をそろそろと覗き込む。いつも自信たっぷりで、傲慢な、先輩らしからぬ仕草だ。なんだか捨て犬みたい。そんなこと言ったら、王子だぞ、って怒るんだろうけど。
「今のはときめいた?」
 ああ。頭が沸騰しちゃいそう。参りました、九条先輩。


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