ずっと、好きだった。
限りなく、焦がれていた。




(恋の車が発車したのは、いつだったか。は、覚えていない。けれど、発車した時すでにわたしはこの車が、必ず、止まることを知っていた。)


わたしのお話を、綴ろうとおもいます。
(だって、こんな、ひどいお話、どこにもないんですもの)
かなしくて、かわいそうな、お話です。





その日はとてもきれいに晴れていて、青空が広がっていました。わたしはホグワーツの近くの森の、大きな木の根元に腰掛けていました。おだやかな気持ちになりたかったのです。(ホグワーツの中庭は、すこし騒々しいので)青い葉を茂らせた木の枝の隙間から覗く青空は、やっぱり青かったことを覚えています。青い葉に隠れるように芽生えた小さな白い花が、風に吹かれては花びらを散らしていました。始まりの季節なのに、散ってしまう。「かわいそうに」風になびく自分の髪を押さえながら、その光景に思わず口に出してしまった言葉。うつくしいけれど、さびしい光景だと思いました。

「なにがかわいそうなの?」

感傷に浸っていると、突然そんな声が頭の上からふってきました。この場にはわたししかいなかったと思っていたので、大層驚きました。突然の乱入者に、心臓が普段とは違う風に鼓動をしていました。わたしがなにも言葉を発せずにいると、ガザガザと恐ろしい音がした後に、目の前に何者かが降り立ってきました。身が、強ばる。

「もしかして、私のことだったりするのかな?」

一瞬何の話かわからなかったのですが、驚きで軽く麻痺してしまっていたわたしの頭を必死に動かして、その問いは先程わたしが呟いた些細な言葉に対してのものだと気づきました。わたしは俯いたまま小さく頭をふって、彼女の言葉(おそらく、女性かと)を否定しました。心臓の音がすこし落ち着いたので、わたしは視線を上げて、その時、わたしは初めて目の前に現れた人物をしっかりと視界に入れました。

「じゃあ、なにがかわいそうなの?」



とても、美しいひとでした。

わたしとは違う、白い花びらや青い葉のまじった黒い髪をなびかせて、彼女はこちらをじっと見つめながら立っていました。よくよく見れば、ひとみの色も、髪の色と同じうつくしい色をしていました。ホグワーツの制服に、わたしと同じ色のネクタイ。彼女がどんなひとなのかはわかりませんでしたが、ひとみの奥の凛とした瞳孔が、彼女の中のうつくしさを表しているような気もしました。

やわらかな風にさそわれて、わたしは口を開きました。返事をしなければ、と。

「花が、かわいそう、だと思ったのです」

「…これ……?」

自らの髪にはさまれていた白いそれをつまんで、彼女は不思議そうにそれを眺めました。よくわからない、という様子だったんので、わたしは質問がぶつけられる前に、わたしが先程頭の中で考えていた事々を彼女に教えました。

「散ってしまうなんて、かなしいじゃないですか」

彼女はわたしの言葉に相槌をうち、黒真珠のひとみをこちらに向けています。彼女が真摯に話を聞いてくれた、証でしょう。

「あなた、優しい子だね」

わたしの口が止まるのと同時に、彼女はにこりと嬉しそうに笑ってそう言いました。
(あ…)まぶた、の内側が熱くなる気がしました。涙、ではないのです。ただ、まぶたの内側がじんじん熱くなり、胸がとくりと高鳴るのです。




さぁと優しい風がふいて、二人の髪の毛を撫でつけました。今日は春の始まりを告げるために、たくさんの風の精が使者として働いているのよ、と言ったお母様の声を思い出しました。


わたしは頬があたたかみを帯びているのを、ただじっと感じていました。



「私、あなたと仲良くなりたいな」

彼女が自分の名を告げました。わたしも、誘われるように、ナルシッサ、という自分の名前を告げました。

「これから、よろしくね」

ナルシッサ。
わたしは、この時呼ばれた自分の名前が、とても幸せな女の子の名前のように思えました。
事実、わたしはあたたかい熱を体内に宿しながら、ひどく幸せな気持ちに浸っていました。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

彼女は春の妖精のようなひとだった。
わたしは一目で、彼女に恋をしてしまったのです。

それはきっと無理な恋だとは思いました。けれど、だからといって、止まるようなものは、恋ではないのです。



わたしのかなしいお話が、始まりました。






彼女はいろいろなことを知っていました。春のあたたかさ、白花の妖精のお話、小鳥の親子の微笑ましさ、夏の夜空、雨露に濡れた葉の色めかしさ、秋の落ち葉の鮮やかさ、秋から冬への季節の移り変わり、冬の匂いのさびしさを。いわゆる箱入り娘だったわたしは、彼女に接するだけで、家では絶対に出会えないような、すばらしいものを、得ることができました。今まで贈られたどんな宝石やドレスなんかよりも、とてもすばらしいものでした。それらを彼女がわたしに与えてくれる度、わたしの恋心はどんどん熟されていきました。わたしはこの恋が、いつか熟し過ぎて腐ってしまうんじゃないかと、ひどく怯えました。腐食の果てにあるのは、不幸。誰の不幸なのか、わたしが一番よく知っていました。道の終わりがくるまで、わたしはずっと怯えなければならないのかしら。



これが、もし夢だったらと。でも反面、彼女との出会いまでもが夢まぼろしになってしまったら、それもわたしをとてもかなしませることだろう。ああどうしよう。いっそのこと、わたしが男であれば、純血の家に生まれなければ。一体わたしはどんな結末を羨望しているのだろう。そんな腐食しかけた花の種を持ったまま、わたしは彼女の“友達”であり続けました。発芽した種が毒花として咲かないように、大切に、大切に、心の奥底に沈めました。

(この時わたしは気づいていませんでした。発芽した種は、花咲かずとも、その毒が染みた根を、わたしの心に張っていたことを。)






「ナルシッサ、これ食べなよ。おいしいよ」

「ありがとう」


どうしたら、彼女はわたしを愛してくれるのでしょうか。

(ああいけない、こんなことを考えては。いけない)

彼女が差し出したケーキは、口に含むと、甘くておいしい味がしました。
白雪姫の毒林檎も、同じくらい甘くておいしかったに違いない。








恋の車が突然スピードを出して進み始めた原因は、わたしの二つの勘違いにありました。


一つは、わたしの婚約はもっともっと先のことだと思っていたこと。

もう一つは、彼女がわたしの気持ちに気づくはずない、という私の奢りでした。





「ナルシッサ、私のこと好きでしょう」




わたしは、一瞬何の話かわかりませんでした。(あぁ、この感覚、彼女と初めて会ったあの日を思い出す)驚き悲しみ困惑さまざまな気持ちがぐちゃぐちゃに入り混じる中で、彼女の口から飛び出た音を、必死に繋ぎ合わせました。

そして、車の終着点を見ました。
涙が、こぼれました。
花が、咲いてしまったのです。

(知られてしまった。知られてしまった)

一体何がいけなかったのでしょう。
一体何が、わたしの気持ちを彼女に教えてしまったのでしょう。

わたしは溢れ出る涙を拭いもせず、彼女を見ました。彼女は、いつかの春の日と同じ、うつくしい顔でわたしを見つめていました。


ひとみは、黒く輝いていました。

(これは、彼女との友情に対する、私の裏切りへの非難?嫌悪?あぁもうどうだってよかった。わたしと彼女の繋がりが途絶えてしまうのだけは確かなのだから)





「わたし、あなたがすきです」

ずっとずっと、すきでした。
咽び泣いて、乾いた喉で、やっと紡いだのは、わたしの罪の告白でした。

「うん、知ってるよ」

あいしているひとの優しき声が、わたしのかなしみを更に沸き上がらせました。優しかったのは、声だけではありません。彼女はわたしをそっと抱きしめ、白い指が涙で濡れたわたしの頬をなでました。てっきり拒絶され突き飛ばされると思っていたわたしは、いっそのこと突き放してくれればよいものを、と彼女の行動に憤る一方で、彼女の優しい仕草に震え泣く心が一層涙を零している事実に、どうやっても彼女を愛することをやめられないことを認めざるを得なかった。

ぼやけた視界の中で、彼女がかなしい顔をしているのは、間違いありません。見ることはできないけど、きっと、そうに違いないでしょう。





わたしの心は、完全に腐食してしまったのです。








ここで物語は終わりません。
あと少しだけ、続きがあるのです。




このあとひたすら泣き続けたわたしは、疲れて眠ってしまいました。そうして目覚めた朝、ある一つの変化が訪れました。


彼女が、消えてしまったのです。



どんなに時間が経っても、日が経っても、彼女は私の前に、ホグワーツに現れませんでした。

それどころか、本当に不思議なことが起きていたのです。

わたしは、彼女を知っている人達に、彼女の居場所を聞きました。彼女はどこへいってしまったのかと。すると皆は口を揃えてこう言うのです。


「そんな人、いたの?」


ねぇ、不思議でしょう?
わたしたちの行きつけのお店の店員も、マグル学で彼女の隣に座っていた人も、彼女のルームメイトだった人も、皆同じことを言いました。そんな人物がいたのか。

しかも、彼女の部屋“だった”場所には、彼女の持ち物が一切無かった。その場所は、彼女のルームメイト“だけ”の部屋になっていたのです。


わたしも何が何だかさっぱりわからなくて、ほとほと困り果ててしまいました。

もしや彼女は、わたしがいつぞやに考えた、夢まぼろしだったのでしょうか。



そんなわたしを混乱から救ったのは、ある一通の手紙でした。


差出人は、あの消えてしまった女の子からでした。





『ナルシッサへ。

きっとこれを読んでいる時に、私はもういないでしょう。ただ一つ、勘違いしないで欲しいのは、私は死んでいないということです。死んでいない…という表現が正しいのかわからないけれど、多分、死とは違うものだと思うので、こう記しておきます。突然あなたの傍から消えてしまって、驚いたよね?ごめんなさい。私は死んだわけじゃないんだ。私は、元の姿に戻りました。ただ、それだけです。でも何も言わずにあなたの前を去ることが、どうしてもできなくて、こうして手紙を残しておきました。



私が前に話した童話を、覚えているかな?


白い花の妖精のお話だよ。美しい妖精が人間の男に恋焦がれるんだけれど、種族の違いからその恋を諦めようとする。諦めて花の姿に戻ろうとした時、その男が妖精に愛を告げる。その瞬間、妖精は本物の人間となった。めでたしめでたし、という話。


この話、実はすこし違っているの。
妖精が人間になる方法は、本当は、違うの。

妖精はね、まず焦がれた相手に愛を確認するの。そうした後で、自分から相手に愛を告げるんだ。そしたら、妖精は晴れて人間になり、相手と結ばれる、というおとぎ話だったんだ。




ナルシッサが眠りについたあと、私はあなたをベッドに寝かせて、心躍る気持ちで部屋まで歩いていった。だって、あとは目覚めたあなたに愛を告げればよかったんだから。あなたが私を愛してくれているんじゃないか、という疑惑が確信に変わった嬉しい夜だった。


人間になって、あなたを愛せると思った夜だった。



でもそれは、
ひどい、間違いだった。



部屋まで戻る途中、談話室でであなたの婚約の話をしている子達がいたんだ。



私は、その時気づいたの。

これはいけないって。

これは、あなたを不幸せにするって。

私じゃ、あなたを幸せにしてあげられないって。





だから、私はあなたの元を去ります。
ナルシッサが好きだから。
あいしているから。

あなたに、幸せになってほしいから。








ずっと、好きだった。
限りなく、焦がれていた。



(「散ってしまうなんて、かなしいじゃないですか」)


散っていく私達を、かなしんでくれたのは、ナルシッサが初めてだった。
あなたの優しさに、私は恋をしたんだ。


(「あなた、優しい子だね」)


素敵な夢を、見せてくれてありがとう。
永い時間を、あなたと過ごせて本当に嬉しかった。



ただ、あなたの幸せを、願っています。
私は、幸せでした。
ありがとう。


さようなら』








これが、わたしのお話です。
かなしい、お話です。









あれから彼女には二度と会うことはできず、長い時間が経ちました。
(手紙は、焼いて私の恋心と一緒に庭に埋めました)


そうして今日、わたしは彼女が願った幸せを手に入れる日です。

「シシー、綺麗だよ…」
「ありがとう、ベラ姉様」

今日、わたしはマルフォイ家に嫁ぎます。

白いウエディングドレスを身にまとい、姉の讃辞を受けながら、わたしはこれからの未来を思いました。


きっと幸せに、違いない。






その時、やわらかな風がわたしのヴェールを揺らしました。

「誰だい、窓を開けっ放しにしておいたのは!」
「…私が閉めるわ」

花嫁は座っておきな、と制止する姉様の言葉を無視して、わたしは立ち上がって、やさしい風のふきどころに向かいました。


窓際に手が触れた時、再び風がふきました。


風にのって、何かがわたしの手の上にのりました。


それは、白くて小さな、花びらでした。



(ただ、あなたの幸せを、願っています)



花びらをそっとつまんで、わたしは窓の外の景色を見る。
きれいに晴れて、青空がどこまでも続いている。


頭の中に、彼女の美しい立ち姿が浮かんできました。



(あぁ、そうだった)



彼女は春の妖精のようなひとだった。




私のメルヘン
(あなたは永遠のおもいびと)