4.

「…………ッ!」
 いた――と声を上げそうになる喉を押さえ、隣に立つトルクの肩を叩く。トルクも息を呑んでその異形を見据えていた。声を上げても仕方ないと思っていたが、彼は彼で緊張に身を浸し、自然と声が潰れてしまったようだ。
 エリア3を巡り、エリア4――飛竜の巣が作られたエリア5の北側に位置する広大な台地にて、巨大な塊が悠然と闊歩していた。エリア3からの入り口を塞ぐように大きな岩が鎮座しているが、そこを迂回して行くと闘技場染みた自然が作り出したやや広めの領域が設けられている。東西が絶壁の崖になっており、飛竜でも無い限り上り下りは不可能だ。人間が落ちれば当然、助かる見込みなど有るまい。
 巨大な岩石の脇を泰然と闊歩する巨大な飛竜――リオレウス。全高が四メートルを越し、全長は尻尾を含めて十六メートルにもなる巨大な飛竜。人間と比較しても無意味な、次元の違う生物。紅蓮の鱗を身に纏い、大いなる両翼を有し、二本の後ろ足で獲物を仕留める、偉大なる飛竜。
“空の王者”とも称される天空の覇者は悠然と歩みを進め、エリアの隅の方で大きな口を開けて欠伸をしている。近くに脅威となる存在を認知していないためか、その姿から警戒と言う単語は消え失せていた。
 二人は巨大な岩石の影からその異形を見つめていたが、――見ているだけでは狩猟は始まらない。テスはトルクの肩を叩き、意識を向けさせた。トルクは息を呑んだ表情のまま振り返り、テスの顔を見て生唾を飲み下した。
「……まだ私達は発見されてない。トルクはペイントボールの準備をお願い」そう告げた後、テスは付け加えるように「――焦らないで。時間はまだまだ余裕が有るんだから、じっくり仕留めよう」
 自信に満ち溢れた顔で頷くテスに、トルクは緊張を帯びながらも頷き返した。動きがぎこちないのはテスの目にも明らかだ。トルクはリオレウスの戦闘経験が有ると言っていた。併しその後に討伐した経験は無いと続けていた。つまり成功した前例が無いのだろう。
 この狩猟を初めての成功例とする。テスは心の中でそうトルクに誓い、背に預けていたライトボウガン――デザートストームを引き下ろした。
 デザートストーム。砂竜ドスガレオスの素材を使用したライトボウガンで、他のライトボウガンと比較するとリロード時間の短縮に成功しており、機動性が高い。シンプルなボウガンの形状に、弦の部分に明るい紫色の砂竜のヒレがあしらわれている。
 腰溜めに構えると、そのまま姿勢を崩さないように駆け出す。背後でトルクが動き出す気配を感じつつ、一気に台地の中心へと向かう。岩石の影から狙撃すればリオレウスに気づかれ難いかも知れないが、見つかった時に回避行動が取り辛い。基本的に大型モンスターと戦闘に至った際は見つかりながらもあらゆる攻撃を回避する事で進めていく。トルクがリオレウスに肉薄して察知される前に、出来れば充分な行動範囲を確保できる場所に移動しておくのが定石だった。
 ――そこで、はたとある事を思い出し、台地の中心へ移動していた足を止めると、ポーチの中に仕舞っておいた特殊な弾丸を引き抜き、立ち止まってデザートストームに装填した。ガチャッ、と遊底を引っ張ってスライドさせ、リロードする。それからリオレウスがいる方向へ視線を転ずる。リオレウスは台地に漂う空気に幽かに混ざり込んだ異変を嗅ぎ取ったのだろう、首を大きく上げて周囲の様子を覗う挙動を取っていた。その視線の先に、異変の元――こっそりと忍び寄っていたトルクの姿を視認する。
 トルクは緊張に慄(おのの)きながらも「う、うわぁああああ!!」とポーチの中から取り出していた小さな球体を思いっきりリオレウスに向かって投げつける。ペイントボールは球体の道具であり、対象にぶつかると外殻が砕け散り、中身のペイントの実を液状にしたモノが粘着性を持って対象にへばりつく。ペイントの実が発する、人間だけが嗅ぎ取れる独特の臭気を頼りに、一定時間だけ対象の居場所を特定する事が出来る。中には大型モンスターが捕獲できる域まで弱った事を、ペイントの実の臭気と一緒に嗅ぎ取れるスキルを有したハンターもいるらしいが、残念ながらトルクもテスもその域に達していない。
 火竜リオレウスに限らず、翼を有する大型モンスターの多くが飛翔して狩場を移動する。そんな時人間は飛んで追う事が出来ないため、ペイントの実の臭気を頼りに地に足を着けて追跡するのだ。そのため開幕にペイントボールなどでモンスターをマーキングするのは定石中の定石、言わばハンターの間では常識に位置づけられる行為だ。
 併しトルクが投げ放ったのは、球体の道具ではあったが残念ながら中身はペイントの実ではなく――大型モンスターが嫌悪する悪臭を放つ肥やし――つまりモンスターのフンだった。通称“こやし玉”と呼ばれるその道具は、大型モンスターにエリア移動を強制させるために使われる物であり、決して開幕一番に投げるべき道具ではない。
 コントロール良くリオレウスの顔面に衝突したこやし玉は中身であるモンスターのフンをぶち撒け、リオレウスは鼻の曲がりそうな臭気を不意打ちに当てられ、頗(すこぶ)る不快そうに顔を歪めると、視認した獲物を仕留める気が殺がれたのか、二人のハンターを前に両翼を羽ばたかせ、地上とお別れを果たした。
 天空を舞う空の王者を見上げたトルクの顔に悲痛な色が滲み出した。「またやっちまっただぁー!」と頭を抱えそうになる自分の悪い癖の発露に、思わず心の声が喉を擦過していた。
 飛竜が飛んでエリア移動してしまえば、また探し出すために無為に時間を費やす事になる。ギルドが設ける狩猟には制限時間が課せられ、その刻限を過ぎれば狩猟失敗の烙印を捺されてしまう。制限時間を課す理由は諸説紛々だが、主にハンターがそれ以上の時間を連続で狩猟に費やすのは、如何に凄腕のハンターでも危険だとギルドが認識しているからだと言われている。何にせよ、これで探索が二度手間になる事が確定した訳で、トルクはテスにどう謝ればいいのか判らず泣きそうになっていた――のだが、
 バスンッ、とデザートストームが火を噴く音が聞こえた。そして間を置かずに鼻腔を衝くペイントの実の独特の臭気。トルクが見上げる先に浮かぶ巨像に異変が起きた事を視認した。――右の翼膜に桜色の液体が付着している。言わずもがな、アレはペイントの実を磨り潰した液体だ。
「何が起こっただ……?」訳が判らないと言った表情で、飛び去って行くリオレウスを目で追うトルク。
「――ペイント弾だよ」茫然自失の態で狩場で棒立ちしているトルクの元に、デザートストームを担ぎ直しながらテスが歩み寄って来た。その顔には未だ余裕の色が浮かんでいる。「トルクがペイントボールとこやし玉を間違えるって話は聞いてたから、もしかしたら、と思って準備してたのさ」そう言って微笑を向けた。
 ちょっと嫌な言い方をしてしまっただろうか、とテスがトルクの表情を覗うように上目遣いに見つめると、彼は途端に表情を華やがせ、テスの両手を握って振り回し始めた。
「有り難うだぁ〜!! オラ失敗したがぁ、テスがちゃんとフォローしてくれて本当に助かっただぁ! 有り難う、有り難うだぁ〜!」
 感極まって涙さえ浮かべそうな勢いに、テスはホッと胸を撫で下ろしながら安堵の微笑を返した。
 仲間が失敗を犯したのならそれをカヴァーしてやれば何の問題も無い。特に失敗を繰り返してしまう程の相手なら、それだけ自分も用心に用心を重ねれば、問題は大きくなる前に食い止められる。何事も問題を起こす事で終わらせるのではなく、それを如何に挽回するか、そこが狩猟に於いて肝要なのだ。
 まだ狩猟は始まったばかり。手を離したトルクの肩を叩き、テスは勝気な笑みを浮かべてエリア3に続く道を指差す。「さぁ行こう! 狩猟はこれからだよ!」


 エリア4の台地から丘を下り、再びエリア3へと降り立った二人はすぐにその巨体を見咎めた。リオレウスに捕食される事を恐れたのだろう、草食竜の姿は完全に失せ、既に逃げ去った後のようだ。頭に投げられたこやし玉の残滓に未だ不快そうに顔を歪めながら、リオレウスは悠然と闊歩している。
「――トルク」再び緊張に体を強張らせている相棒に、テスは肩を叩いて声を掛けた。「大丈夫、焦らなくていいよ。ミスをすれば全力でカヴァーするから、自由に動いて」
 テスの力強い言葉にもトルクは緊張を殺ぐ事無く「わ、判っただ!」と震える声で相槌を打つ。緊張を通り越して恐怖に体が縛られている――そうテスはトルクを見ていたが、その恐怖を取り除くために声を掛けても聞く耳を持つ様子が無い。宣言どおり、彼のミスをカヴァーする形で狩猟を進め、少しずつ彼が懐く過度な緊張を解(ほぐ)していくしかない――そう判じ、テスはデザートストームを抜いた。
「ゴァアアアアアアアッッ!!」
“バインドボイス”と呼ばれる大型モンスターの放つ咆哮には、生物の原初の恐怖を呼び覚ます効力がある。大型モンスターによって咆哮の飛距離は区々(まちまち)だが、射程圏内に納まればその場に足を縫い止められ、バインドボイスが止むまで動き出す事すら出来なくなる。
 リオレウスの咆哮射程外にいた二人は行動に支障は来たさないが、これで遂にリオレウスに外敵と見做され、本格的な狩猟が始まるのだと否が応にも知らされた。纏わり付く下等な生物を追い払う事に厭(いと)いが無い飛竜の攻撃は苛烈を極めるだろう。
 それを、たった二人の人間が、飛竜の猛攻をいなし、更に隙を衝き、挙句狩猟せしめる。その常軌を逸した現実を実現し得る存在――それが、ハンターだ。
 デザートストームに通常弾LV2の弾丸を装填する。遊底を引き、弾丸を入れて、――戻す。薬室に弾丸が装填された事を確認すると、リオレウスを視野に納めながら、迂回するように接近して行く。ライトボウガン及び遠距離で攻撃するガンナーは基本的に剣士の纏う防具よりも装甲が薄く、機動性を優先するあまり防御の面では劣っているため、大型モンスターの攻撃は極力受けずに済まさねばならない。
 無論剣士も攻撃を受けずに済めばそれに越した事は無いのだが、剣士は大型モンスターと肉薄して攻撃せざるを得ないため、相手が足踏みするだけでも掠り傷を負ったり、或いは尻餅を突く程度のダメージを負ったりする。如何に最小限のダメージで済まし、最大限のダメージを叩き出すか――それが剣士に課せられた命題である。
 リオレウスがまず襲いかかるべき対象と見做したのはトルクだった。まだ様子見の段階なのか、ガンナーのようにリオレウスから距離を取り、ハンマーも抜かずに走っている。王者の意識が自分に向いたと知るや否や、攻撃圏から逃れるように全力疾走で駆け出す。手足を思いっきり振り上げ、胸を弾ませて走る姿は――やはり緊張感が強い。
「ガァアアアアッ!!」轟々と雄叫びを上げて走り出すリオレウス。
 その二本ある後ろ足は、一本だけでも軽く人間を超えるサイズだ。隆々たる筋肉の塊である足で緑地を踏み荒らすと、支えている巨大な生物の超重量で地面がズンズンと鳴動する。たった一歩で人間の何十倍の距離を進むリオレウスの突進。一瞬でも回避に躊躇すれば容赦無く轢死に至るだろう。
 トルクはハンマー使いだ。他の武器種である片手剣やランスなどには盾が備わっているし、大剣に至ってはその幅広な剣身を盾代わりに使用する事も可能だが、ハンマーには盾が備わっていないし盾として使用する事も不可能だ。故に竜のあらゆる攻撃は防御せずに回避する事を要求される。どんなに危険な懐に潜り込もうとも、絶えず避ける事を念頭に置かねばならない。
 ハンマーを抜いていればその歩みも当然、ハンマーの重量を吸って鈍化するのだが、彼はハンマーを背中から下ろさずに走っている。普段と変わらぬ速度で走行が可能なトルクは、危なげ無くリオレウスの突進を回避する。
 突風を引き連れて頭から緑地に突っ込んで行くリオレウス。飛竜種の前脚は翼膜として進化し、後ろ足だけでは突進を抑止する事しか出来ない。つまり全身を大地に投げ出して突進を制止する。巨大生物ならではの大胆な挙動だが、巻き込まれれば当然命の危険を伴う。盾を有する武器種でも出来る事なら回避しておきたい攻撃の一つだ。
 頭から大地に突っ込んだリオレウスがゆっくりと両翼と後ろ足を巧みに使って立ち上がる。後ろ足を捌いて振り返る頃には既に体勢は完全に整っている。緩慢な動きでトルクに振り返ると、大きく鎌首を擡げた。
「――ブレスだよ!」
 一連の動作から察したリオレウスの次手を叫ぶテス。彼女自身は既にリオレウスの斜め前に陣取り、デザートストームで射撃を開始していた。装填した通常弾LV2がバスンッ、バスンッ、と銃声を奏でて飛翔する。狙点は腹――がベストなのだが、角度的に無理があるため、次点の頭に狙いを定めた通常弾LV2が正確に着弾する。
 ガンガンッとまるで鉄の壁にでも着弾したかのような音を立てる弾丸にも怯まず、リオレウスは口角から火の泡を噴き出しながら、狙いを定めたポイントへ業火を吐き出す。
 リオレウスの狙点であるトルクの姿は既にその場所に無く、巨大な口腔から吐き出された灼熱の火球は緑地を軽く焦がしながら宙を擦過し、遥か彼方の岩壁に衝突――軽い震動が地面を伝ってテスの体を震わせる。トルクはと言えば、リオレウスが火球を吐き出すラグを利用して更に移動し、リオレウスの斜め前――ハンマーの間合いとしては外れるポイントで立ち止まる。
「…………?」射撃に集中しながらも、意識の隅にトルクの状況を捉えるテス。
 ハンマーの間合いはガンナーと比べ極端に小さい。柄の長いハンマーなら未だしも、トルクの扱っているハンマーは通常のリーチしかない。攻撃に移るつもりならもっと間合いを詰めなければならないところを、彼はその一回り外で行動している。端から攻撃するつもりが無いのか、ハンマーを抜いてさえいない。
 先刻のトルクの状態を思い出す。過度な緊張感を帯びていた。リオレウスに対する恐怖心が露わになっていたと言い換えてもいい。だとしたら現状の奇異な行動にも説明が付く。――“怖くて近づけない”。ハンターとして、これまた致命的な性分だ。
 緊張感を解くだけならまだ許容できない事も無い。併し根本的に体の髄から大型モンスターに対して畏怖の念を懐いているとしたら――幾ら勇敢な戦士であったとしても狩猟になり得まい。攻撃する事が出来ないハンターに竜を相手にする事など不可能だ。
 トルクがハンターに向いていないのは、彼が言わずとも理解できるほどに明らかだった。熱くなると周りが見えなくなる、咄嗟の時に道具を使い誤る、恐怖心でモンスターに立ち向かえない。一つ一つだけならまだ改善の余地は有るかも知れない。併し全てを同時に体現する彼は、なるほど致命的にハンターとして素質が無いのかも知れない。
「……だけど、」
 ――だけど、それが即ちハンターを辞めるべき選択には繋がらないと、テスは信じている。
 勿論、ハンターには他の職と同様に向き不向きは厳然と存在している。併しそれが即ハンターを続ける、辞めると言う話に至るのなら、現在ハンターの職に就いている人間は過半数が別の職に就かねばならなくなる、とテスは考えている。
 ハンターだって皆人間なのだから、何かしら欠点を抱えている。足が遅かったり、体力が少なかったり、頭が回らなかったり、中には当然、狩猟そのもののセンスが無い者だっているだろう。それでも皆、思い思いにハンターとして生きている。彼らは彼らなりに、ハンターとして生きる事に意義を感じているのだ。
 トルクもそういう意味では大いなる欠点を幾つも抱えている。だとしてもハンターを辞める程ではない筈だ。挽回できる余地を残しているし、何より命が有る限りハンターは狩猟を続行できるのだから。
 今はまだ恐怖心でマトモに動けなくたって構わない。道具をマトモに使えなくたっていい。熱くなって周りが見えなくなったって何だと言うのか。それだけ狩猟の状況と自分の状態を鑑みる知力があり、気を急くほどに状況を改善しようとしている証であり、仲間を思いやる心が人よりも大きい証明ではないか。
 テスはそう思いながら、戦況を見守りつつ射撃を続けた。無理に突貫して怪我をするよりも、様子見に徹してリオレウスがどんな攻撃を行ってくるか、どんなパターンでアクションを起こすのか、どのタイミングが攻撃を仕掛けられるチャンスなのか――全てを見届けてくれるだけでも、テスは構わなかった。
 微力でも彼の力になるのなら、一人で火線を切り開くのも吝(やぶさ)かではなかった。先日知り合ったばかりの男に何故そうまで肩入れするのか、テスは自分でも判らなくなってきたが――それでも、構わなかった。
 せめて誰かの役に立てるのなら――ハンターとして腕を振るうのに何の躊躇いも生じなかった。

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