1.

 ――多くのハンターが拠点とする巨大な街、ドンドルマにある大衆酒場は昼夜を問わず人間と熱気に溢れ、今日も無数のハンターが狩猟に出発し、祝勝会や反省会を繰り広げている。
 木材を切り出して組み上げられた酒場は数多の料理の匂いと酒気、紫煙、そしてハンター達の臭気が縦横無尽に駆け抜け、独特の空気を作り出している。活気に満ち溢れた店内は野次や喧騒が飛び交い、ともすればケンカや笑声が弾けたりする。
 混沌とした世界――そう形容するに相応しい騒々しさと賑やかさが混在する中、影に当たる隅の席で一人寂しく晩酌している女がいた。
 一見してハンターだと分かる装備を身に纏っている。頭に乗せている黄土色のカウボーイハットは普通の帽子に見えるが、これは“バトルキャップ”と呼ばれるれっきとしたハンターが用いる頭用の装備だ。淡い緑色の鱗状の表面のレジストも、胸元と肩口に弾丸用のポケットをあしらわれている“バトルレジスト”と呼ばれるガンナー用の胴装備だし、ホットパンツのようなレギンスとブーツも纏めて“バトルレギンス”と呼ばれる、これまたガンナー用の足装備である。
 武器こそ背負っていないが、女がハンター……それもガンナーである事は、ハンター業を営む者であれば一見して判断できよう。女が纏っている“バトルシリーズ”は、初心者が好んで使うタイプで、比較的ハンター歴が浅い者が用いる事が多い。生産に必要とする素材が鉄鉱石や陽光石などの比較的手に入り易い鉱石類や、カラ骨と言うモンスターの脊椎(せきつい)を利用した骨の薬莢など、大型モンスターを討伐せずとも手に入る物ばかりであるため、新米のハンター及びガンナーに成り立てのハンターにとって有用な装備なのである。
 二十代半ばと思しき女は周囲の喧騒から隔離したかのような静寂を纏い、静かにジョッキに注がれた麦酒(ビール)をチビリチビリと胃袋に納めつつ、オンプウオのソテーを突付いていた。顔を見ると中々の美人であり、哀愁を漂わせる姿は世の男性の心を鷲掴みにしかねない魅力があるにも拘らず、彼女に近づこうとする人間は誰一人いなかった。
「こんばんはっ、テスさん! 今日もお一人ですかっ?」
 近寄り難い雰囲気を醸し出しているにも拘らず彼女に声を掛ける存在がいた。女――テスはそんな彼女が来るのを待ち望んでいたように幽かな微笑を浮かべ、振り仰いだ。
 淡いグリーンのメイド服を纏った女性――この大衆酒場を切り盛りしている給仕の一人である。無論、広大な敷地を有する大衆酒場で彼女一人が給仕をしている訳ではなく、無数のメイド姿の女性が立ち働いている姿が散見できる。淡い赤茶色のポニーテールの娘――セァラは給仕達の中でもよく声を掛けてくれる娘だった。
 振り仰いだそこに太陽のような笑顔がある。両手に銀色に輝くお盆を乗せ、その上には無数の食器が見える。食器を運ぶために、わざわざこんな隅っこまで寄る必要は無いのに、彼女はガンナーの女――テスに声を掛けるためだけに来てくれたのだろう。テスはそんなセァラの気遣いが嬉しく、はにかみ笑いを返す。「うん、今日も一人かな」
 テスのはにかみ笑いの裏にある弱音を見抜いているセァラは「テスさんは積極性が足りないんですよっ! もっと自分からガンガン攻めないといけませんね!」と笑いながら両手に持つ盆を上げる。
 テスはいつもと変わらぬセァラの言葉に曖昧に頷きながら、ジョッキに視線を戻した。その横顔に寂しげな色が浮かんでいるのをセァラが見逃す筈も無かったのだが、彼女はそれ以上茶化そうとはせず、それでも笑顔を浮かべたまま言葉を続けた。
「いつかテスさんにぴったりのパートナーが現れますよっ! そんな寂しげにしてないで、もっとほらっ、明るく明るく!」ニコニコ笑顔のまま頬に指を差そうとして皿を落としてしまうセァラ。
 甲高い破砕音が弾け、周囲の視線を纏めて受けたセァラは「いっけないっ!」と慌てて皿を拾い上げながら「すっみませーんっ! 気にしないでお食事続けてくださーいっ!」と四方八方に頭を下げながら皿の破片を広い集める。
 すぐにテスが破片集めを手伝い始めるが、「出たよ不幸が」――と小さいながらも幻聴ではない確固たる誰かの声に、ビクリと指が止まってしまう。テスの反応に即座に気づいたセァラが「気にしなーい! 無視無視!」と笑顔を貼り付けたまま告げ、ササッと破片を集めてしまう。
 皿の破片を乗せた盆を持ってセァラは立ち上がり、「あんなの気にしなくていいんですからねっ!?」と念を押すように告げると、キビキビとした動きで立ち去ってしまった。
「ごめんね……」と、蚊の鳴くようなテスの声は、きっと聞こえていない。
 酒場は普段どおりの喧騒に戻り、何も無かったかのような空気が蔓延していく。
 一人、その空気に馴染めずに俯く女を除いて――――


 ――もう帰ろう。
 出された料理を全て胃袋に納め、ジョッキの中身も空になった。酒場にはゲストハウスでの寂しさを紛らわすためにやって来たようなものだ。ゲストハウスの管理を任せているアイルーが愛想を尽かす前に帰宅しよう――そう思って立ち上がろうとして――
 ドカッ、と音を立てて隣の椅子に男が腰掛けてきた。驚いてテスの動きが固まってしまう。
 最近では自分に近寄ろうとするのは給仕ぐらいだったのに。そう思いながらテスが視線を向けると、男はテーブルに突っ伏して――「うぐぐ……どうして……」と何やら変な呻き声が聞こえてくる。
 男の格好はハンターのそれだ。“イーオス”と呼ばれる小型の鳥竜種の素材を基礎とした“イーオスシリーズ”の剣士用の装備を纏っている。小型の鳥竜種であるイーオスは初心者なら狩り易いモンスターなので、それを纏うハンターも新米やそれに類するランクの者と言える。
 外見だけで言えば、テスと同レヴェルのハンターと言えよう。初心者であるために自分の噂をまだ知らないのかな、と思いながらテスは暫く男を見つめていた。
「うぐぐ……うぐぐ……」苦しげな呻き声を絶えず上げ続ける男。
 テーブルに突っ伏したまま動かない男を見て、段々とテスは不安になってきた。怪我でもしていて動けないのだろうか。それとも料理を喉に詰まらせて辿り着いたのがここだったとか……
「あの、大丈夫?」と声を掛けながら男の背中を摩るテス。「人を呼ぼうか?」
「だっ、大丈夫だぁ!」ガバァーッと起き上がり、丸顔をこちらに向ける男。
 顔を見て気づいたが、男の年齢は背格好から年上だと思っていたが、どうやらテスより年下――十代後半と思しき少年のようだ。幼そうな丸顔に潰れた鼻、糸のように細い目と、ちょっと肥満気味の顔立ち。その表情を見る限り、肉体的な辛さは感じていないように映った。
 テスは呆気に取られながらも少年を見据えていたが、やがて彼に異常が無い事を確認すると「そっか、ならいいんだ」と胸を撫で下ろしつつ席に着き直す。
 少年はテスの反応に暫くキョトンとしていたが、やがて落ち着きを取り戻すと「はぁぁ……」と盛大なため息を落としてテーブルに突っ伏してしまう。「またやっちまっただぁ……」と酷く罪悪感に満ちた声が腕の隙間から漏れ出てきた。
 狩猟でも失敗したのだろうか? とテスは考えながら、席を立つ機会を失った事を後悔した。あのまま立ち去ってしまえば良かったのではないか、と。だが――「もうダメだぁ……はぁぁ……」――鬱々とした空気を撒き散らす少年は見過ごそうにも見過ごせなかった。
「……えっと、何かあったの?」
 出来るだけ刺激しないように声を掛けるテス。少年はテスの声を耳聡く聞きつけたのだろう、丸顔を上げて悄然とした表情を向けた。
「聞いてくれるだか!?」本人は必死の形相をしているつもりなのだろうが、テスから見れば子供が泣きそうな表情をしている風にしか見えなかった。
「うん、私で良かったら聞くよ」対してテスは落ち着き払って応じる。少年に向き直ると、少年が落ち着くのを待って更に声を掛ける。「取り敢えず麦酒でも頼もうか?」
 テスの大人の対応を受け、少年の糸目の端がキラキラ輝き始めた。コックリと素直に頷き、テスもそれを笑顔で返して遠く離れていたセァラに声を掛けるのだった。


 少年はトルクと名乗った。ドンドルマを拠点に活動しているハンターで、使用する武器はハンマー。装備を見れば判る通り、まだ初心者の域を脱していないらしい。
「俺なぁ、皆から言われるんだがなぁ、バカなんだぁ。いっつもいっつもヘマばっかりしちまうんだぁ」
 項垂(うなだ)れながら語り始めたトルクの話は、確かに初心者らしい――否、それすら通り越す程の“失敗談”だった。
 大型モンスターが移動を開始する前にペイントボールでマーキングする行為は、ハンターなら基礎で習う事柄だ。それはトルクも理解しているのだが、ペイントボールを投げたつもりで捕獲用麻酔玉を投げてしまい、再び大型モンスターを探す破目に陥ったのだと告げた。
 無論、ハンターでもそういう基礎的な失敗を犯す者は少なからずいる。常に完璧を目指しても、毎回一度の失敗も犯さずに狩猟を熟(こな)せる訳ではないのだ。犯してしまった失敗を如何に挽回するか。ハンターとしての腕は寧ろそこに掛かっていると言っても過言ではない。
 にも拘らずトルクが狩猟に於いて犯すミスはそれだけではなかった。寧ろ今述べた失敗など可愛く思える程のミスを連続して犯すのだ。
 トルクの扱う武器はハンマーである。大型モンスターと戦う場面になれば主戦力と成り得る火力を秘めている。特に大概の大型モンスターの弱点である頭部を集中して殴る事により、大型モンスターを眩暈状態に出来る武器でもある。無論頭を狙わない戦法を取るハンマー使いもゴマンといる訳だが、トルクはその戦法を常に他のハンターに指摘されているらしい。
 曰く、頭を狙いに行くと噛みつかれ、足を狙いに行くと弾き飛ばされ、尻尾を狙いに行くと薙ぎ飛ばされる。マトモにモンスターにダメージを与える事無く、トルク自身がダメージを被り、否応無く戦線を離脱してしまうのだそうだ。
 トルクの立ち回りに問題があるのだろうが、テスが話を聞く限り、トルク自身もその事には気づいているのだが、何度同じ事を言われても過ちを犯してしまう。それ故に被弾率は下がらないし、最前線で立ち回る事も儘ならない。そしてそれが原因で仲間のハンターも痺れを切らし、トルクをパーティから外してしまったのだそうだ。
 無論トルクをパーティから外した理由はそれだけではない。大型モンスターを捕獲しようと罠を仕掛けて、それをトルク自身が視認して了解したにも拘らず、彼が執った行動は大型モンスターにこやし玉を投げつけたのだ――大型モンスターを見す見す逃がすような真似をした事も起因している。
 トルクとしては石ころなどを投げつけて自分に意識を向くように仕向けたかったらしいが、ここでも基礎的なミスを犯し、モンスターを追い払うために使う道具であるこやし玉を投げつけると言う致命的なミスに繋がってしまった。
 結局そのクエスト自体は失敗に終わり、トルクは仲間のハンターから散々罵倒を受けた挙句パーティから外されて――今に至るらしい。
 一通り話し終えたトルクは若干スッキリしたような顔で「ごめんなぁ、こんな話に付き合わせてしまってぇ……」とイーオスヘルムを外した頭をポリポリ掻き毟る。丸顔に七三分けの黒髪を見ると、お坊ちゃんのような印象を受けてしまうテス。
「ううん、気にしないで」テスは新たに頼んだ麦酒を小さく呷ると微笑を返した。「言ってスッキリする事もあるしね。……それに、今回の事を教訓に次から頑張ればいいじゃない」
 テスの激励に対し、トルクは浮かない顔をしてジョッキに視線を注いだ。
「…………もう、ハンターを辞めようって思ってんだぁ……」
 涙が滲みそうな声で、トルクは小さく弱音を吐露した。それはテスの心を抉るような言葉だった。ハンターを生業としていて、一番聞きたくない言葉でもあった。
「――どうして? 怪我もしてないし、歳でもないのに、ハンターを辞めるなんて勿体無いよ」
 思わずトルクに掴みかかりそうになる手を抑え留め、表情と声だけで挑みかかる。向き直って見たトルクは悄然としていたが、その中に妙に冷静な部分があるように見え、更にテスの心に亀裂が生じる。
「……オラの実家なぁ、小さな村で工房さ開いてるんだぁ……」ジョッキを見つめたまま動かないトルク。「もう親父もお袋も歳でなぁ……いつか誰かが工房を継がなきゃいけねえんだけども、……オラァ、ハンターになりたくて飛び出して来ちまったんだぁ……」
 さっきまで悔しげに語っていた失敗談とは裏腹に、彼が語る昔話は寂しげだった。その眇められた瞳がジョッキではない別の何かを見ている事が、テスにも伝わってきそうだった。
 テスが無言のまま話を促すと、トルクは太くささくれ立った指でジョッキを強く握り締め直した。
「……いつか継がなきゃならねえなら、もうこれでハンター辞めて、継ぐのも悪くねえかな、って思ってなぁ……」
 そう締め括るとトルクは寂しげな微笑を零し、テスを振り返った。――瞳に涙を湛えた、テスを。
「っ!? ど、どうしただぁ!?」オロオロと狼狽(うろた)え始めるトルク。ヒジがジョッキに当たり、麦酒がテーブルにぶち撒けられる。
 テスは嗚咽を堪えるように口に手を当てて苦しんでいた。瞳に並々と湛えられた感情の水が幾重にも頬を伝っていく。
 どうして自分は泣いているのか、その理由にまだテスは行き着けなかった。ただ茫漠と浮かぶ感情の原点は――“羨望”。トルクの何を羨んでるのか、テスはまだ自分の心の底を直視できなかった。

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