三界繋ぎ〈後章〉

 どこまでも広がっているように錯覚させる雲海。曇天に曇る空から射し込む陽光で作られた天使の階段。
 その中にぽつんと浮かぶ半円状の台地の上で、マーシャは巨大な浮遊生物を見上げ、瞳を爛々と輝かせていた。
「ワーオー! モンスターデース! 3Dのモンスターが遂に現実に実装されたデスカ!? 勝てる気がシネーゼ!」
 小型の携帯端末で撮影しまくりだすマーシャに、ファンタジーな装備を纏っている三人の青年は互いに目配せした後、ウォルトが徐に声を掛ける。
「えーと、誰さん?」
「ハラショー! ――ム? ボクデスカ? 通りすがりのニンジャデスヨ!」
 携帯端末を下ろして、握手を求めてくる謎の女――マーシャに、ウォルトは「ニンジャ……?」と疑問符を頭に浮かべて応じる。「僕はウォルト。えーと、ニンジャさんは一体何故あんな所に……?」
「あんな所?」きょとん、と小首を傾げるマーシャ。
「あんな所」とヤマツカミの口の中を指差すウォルト。
 四人でヤマツカミの口の中に視線を転じた後、ヨダレでベトベトになっているマーシャに視線を向け直す。
「まさかボクってば、異世界転生したって事デスカ!?」ハッと口に手を当てて驚くマーシャ。
「いや何を言ってるのかさっぱり分からんのだが」ニッコリ笑顔でバッサリ切り捨てるウォルト。
「このツッコミの鋭さ……! 刃蒼サンを連想させマスネ……!」ガタガタと怯える仕草をするマーシャ。
「誰だか知らないけど僕と気の合いそうな人だと言う事は分かった」一つ頷き、ウォルトはヴェントに視線を転じる。「ヴェントさん、この子、頭は大丈夫じゃなさそうだけど体は大丈夫そうだし、早くネーヴェさんを救出しよう。ベトベトになって相当嫌な感じになってるかも知れない」
「ですね。ただ、彼女の様子を見るに長時間口の中にいても問題無さそうにも思えますが」
 ヴェントの視線の先にいるマーシャは、ヤマツカミの口の中に長時間いたとは思えないほどしっかりした服装だし、怪我らしい怪我も無いように見える。寧ろ有り余る元気を放出するように、写真を撮りまくっている。
「いやらしい液体で全裸になるとかじゃないんだね!」
 不意に檻夜が指を鳴らして悔しげにしている様子を見て、ウォルトとヴェントが「「檻夜さん……」」と仏のような表情でハーモニーを奏でた。
「えーと、それじゃあニンジャさん、一緒にヤマツカミの討伐を手伝って貰っていいかな? 今は少しでも戦力がいてくれると助かるんだが」
 ウォルトの申し出に、マーシャは「特命デスカ!? 了解デスヨー! バスターズ・レディ・ゴー!」とポーズを決めてカッコ良く応じた。
「何だろう、凄い親近感が湧くね!」ビシッと親指を立てる檻夜。
「あー、うん、そうだね。何か残念な所とか凄く似てると思う」爽やかな笑顔で首肯を返すウォルト。
「――ッ、ウォルトさん、檻夜さん! ボディプレスが来ますッ!」
 頭上を気にしていたヴェントの宣告に、二人が素早く動き始める。
 併し意味を解していないのか、マーシャは相変わらず携帯端末を弄りながら「これ後で刃蒼サンに描いて貰わナキャ! 世界は広かっター!」とパシャパシャし続けている。
「危な――ッ!!」
 ウォルトが喚声を上げた瞬間、ヤマツカミが全身を広げ、落下。マーシャは完全にその下敷きに――
「ライダァァァァッッ、パァァァァンチッッ!!」
 ヤマツカミの下顎を正確に捉えたアッパーに、巨体が僅かに揺らぎ、マーシャは無事に下敷きを免れた。
 眩暈を起こしているヤマツカミの顔の前で、マーシャがポーズを決める。
「ここからはボクのステージデスヨー!」
 そう言って太股からクナイを引き抜き、双剣の要領で顔を切りつけていく。
「……どうやら達人級のハンターだったようだね」
「えぇ、私達と同等……いえ、或いはそれ以上かも知れませんね……!」
 感嘆の声を漏らすウォルトに、瞠目し感動すら覚えているヴェントが続ける。
「ともあれチャンスじゃんっ! 私の片手剣が火を噴くぜ! うおりゃーっ!」
 そんな二人を置いて行かんとばかりに倒れ伏しているヤマツカミに突撃していく檻夜。二人の弓使いも目配せし、再び攻撃を始めた。

◇――◇――◇

「うわぁー! ば、化け物だぁー!」
 ネーヴェの眼前でボコボコと湧出した黒い虫状のエネミーに対し、ヴァネットと猟玄が素早くテクニックとフォトンアーツを繰り出して撃滅していく。
 絶命すると同時に赤黒い霧となって散っていく怪物を見届けると、ネーヴェはふるふると体を震わせてヴァネットに近づいていく。
「怖いよ怖いよモンスターだけどモンスターの域を超えたモンスターだよう怖いよう!」
 ヒシッとしがみついて怯えるネーヴェに、ヴァネットは聖母のような柔らかな微笑を浮かべて頭を撫でる。
「大丈夫よ、ダーカーは余さず私が吹き飛ばしてあげるから♪」
 泰然自若の態で応じるヴァネットを見て、猟玄は感心の念を禁じ得なかった。
 ダーカーの巣と言う孤立無援に等しい環境下でも余裕を持ってダーカーを駆逐し、更に保護対象を安心させる言葉を発する……一流のアークスであっても中々難しい振る舞いと言える。
 それを悠々と行えるヴァネットは、やはり師匠・逸姫の旧知の一人なのだと思い知らされた。
 ただ、彼女――ネーヴェと名乗るアークスと思しき存在には謎が多過ぎた。
 ファンジのトラップを解くために駆けつけたヴァネットと猟玄が見たのは、見知らぬ少女がカタナでダーカーを撃滅している光景である。
 初めは彼女もアブダクションされたアークスの一人なのではと勘繰っていた猟玄だが、どうにも様子がおかしい。
 アークスなら、何故斃すべき対象であるダーカーに就いてさえ無知なのか。アークスの一員なら、記憶を喪失したにしてもダーカーの事まで忘却してしまうものだろうか。
 ヴァネット自身も感付いてはいるようだが、猟玄に対して見せた仕草は“経過観察”だった。
 怪しいと思っても、思い始めたら際限が無い。もしかしたら本当にあらゆる記憶を喪失しただけのアークスかも知れないのだから。
「目的地はもう少し先ですわ。そこまで辿り着けたら、迎えのキャンプシップが来てくれる筈」
 ネーヴェを一頻りあやした後、遠くに見える何らかのモニュメントを指差して告げるヴァネット。
 それまでの道程に現れるダーカーは残らず殲滅する必要が有る。それにはネーヴェとやらにも戦って貰わねばならない状況が起こり得るかも知れない。
 ダーカーに対しアレだけのポテンシャルを発揮した彼女が、何故そのダーカーに恐怖を懐いているのか謎でしかないのだが……何らかの不安でも抱えているのだろうか。
「私の予想が正しければ、もうそろそろ……」
 行動を再開したヴァネットが不意に小声でそう囁いた瞬間だった。
「無事、奥まで辿り着いたようですね。回収用のキャンプシップもそちらに向かっています」
 突然オペレーターのブリギッタからの通信が入ったのだ。
 猟玄が驚いて応答しようとした頃には、ノイズが激しく入り、音声がぶつ切りになっていく。
「間もなく到着予定ですので、その……乗り…………出を……」
「ブリギッタさん? 応答願います、ブリギッタさん!」
「……………………」
 猟玄の声が空しくダーカーの巣に溶けていくだけで、通信機はそれ以上何の返答も寄越してはくれなかった。
「それが一つの合図なのです、猟玄さん」
「え?」
 ヴァネットが真剣な眼差しで奥を見やったまま呟いたその言葉に、猟玄は言い知れぬ緊張感を懐く事となった。
 それはネーヴェも同じだったのか、怯えた様子の彼女は奥を見据えたまま、ポツリと言を零す。
「……うぅ、何かこの先に嫌な予感がする何かがいる気がするよう……行きたくないよう……」
「ごめんなさいね、ネーヴェさん。嫌な予感がしても、行かないといけないの。……生きて、皆でここから脱出しましょう?」
 そう言ってダーカーの巣に踏み入って行くヴァネットに、ネーヴェが「ふえぇ……べんちゃん……ねーべ、絶対に帰ってみせるからね……っ!」と半泣きの様相で続き、猟玄は「……師匠、どうか私にダーカーを退ける力を……!」と瞑目してここにはいない師匠に祈りを捧げるのだった。
 そうして最後のエリアに足を踏み入れた一行が見たのは――
「ファルス・ヒューナル……!」
「ふ、ふえぇー!? ね、ねーべがいるよう!?」
 ダークファルス【巨躯】の人型形態と共に、三人のクローンが待ち受けていた。
 当然クローンはヴァネット、猟玄、そして――ネーヴェの三人である。
「さァ始めるぞ、猛き闘争をな!」
 ファルス・ヒューナルの宣言に呼応するかのように三人のクローンがこちらに向かって駆け出して来る。
 屠る以外に生き残る道は無し。猟玄はすぅっ、と呼気を吐き出し、第三の瞳に意識を集め、全身にフォトンを行き渡らせる。
 いつかの師匠が乗り越えた壁に、己の全力をぶつける。それが礼儀であり、正義だ。
「ネーヴェさん、貴女にも戦って頂きます。どうか、ご健闘を」
「ふぇ!? たっ、戦うって、ねーべと!?」
 自分のクローンを指差して問いかけるネーヴェだったが、その頃には既に猟玄は戦闘に入っており、ヴァネットに至ってはファルス・ヒューナルと己のクローンを同時に相手にすると言う窮地に至っていたため、彼女の質疑に応答する者は誰もいなかった。
「よーしっ、ねーべも頑張っちゃうよーっ!」
「それねーべの台詞だよーっ!?」
 ネーヴェのクローンがネーヴェの台詞を奪って襲いかかってくる。愛刀の軍刀【雪乃舞】を容赦無く、躊躇無く、過たず急所を狙って振るってくる。
 対するネーヴェも躊躇などしていられず、遮二無二軍刀【雪乃舞】で応戦する破目になった。
 ギンッ、キンッ、カッ、と小気味良い硬音を立てて白刃が火花を散らす。
 同じ姿をした、同じ武器を持つ、偽者の自分が敵になるなど、予想すらしていなかったネーヴェにとって、晴天の霹靂以外の何物でも無かったし、そもそもモンスターではない人間を斬りつける事など出来る訳が無かった。
 更に言えば、相手はどう見ても自分なのである。偽者とは言え自分を斬りつける事など、不可能だった。
「ふ、ふえぇー! だ、誰か助けてぇー!」
 ネーヴェの泣き声は空しく響き、赤黒い世界に沈んでいく。

◇――◇――◇

「――捕捉した。長得物を持つその女がそうなんだな?」
「あぁそいつだ! 早く何とかしてくれッ、俺が殺される!!」
 スコープ越しに捉えた少女は確かにマーシャを連想させるコスプレを身に纏っていた。
 長得物――長槍と呼ばれる武装をした少女は、一切の迷いを感じさせない動きで臥堂を追走している。
 狙撃可能な距離から観測しているヴェルドでさえ、彼女が懐いている感情が友好的ではない事ぐらい察しが付く。
 寧ろ病的なまでの敵意・殺意しか感じられない。何が何でも臥堂を討とうと言う強靭な意志を感じ、また頭の痛くなる案件が増えたな、と思わず目頭を押さえてしまう。
「どないするん? ヴェルドさん。このままやとターゲットは空港に入ってまうで」
「おいッ!! 俺を見殺しにするなよ!? 早く助けてくれよ早く!! あんな訳の分からねえ女に殺されるとか絶対嫌だからな!?」
 冷静に状況を説明する刃蒼の声に被さるように喚き散らす臥堂。
 臥堂が逃走している方角と、脅威となっている長物で武装した少女、そして作戦の推移を鑑み、パズルのように素早くピースを組み上げたヴェルドは、改めてスコープに視線を向け、通信機に指を触れる。
「――臥堂。お前はそのまま空港に向かって走り続けろ。決して追いつかれるな」臥堂の反論など聞く耳を持たず、そして発言の余地を与えずに指示を続けるヴェルド。「――刃蒼さん。臥堂の逃走に手を貸して欲しい。条件が揃い次第、追跡者と目標を同時に爆殺できればそれに越した事は有りませんが」
「また無茶言いよるなー。まぁええけど、被害が拡大するかも知れへんで?」
「構いません、最優先事項は目標の殺害、次点で脅威の沈黙です。追って指示を出しますので、頼みました」
「ほいほい、任されたで、っと」
 通信機が沈黙した瞬間、臥堂が吼え始めた。
「おい!! ちゃんと援護してくれるんだろうな!? あの女マジヤヴェえんだよ!! 殺され――」
「スライドエンドッ!!」
 一瞬早く壁を蹴って跳び上がった事で、直前まで頭の有った空間を鋭利な刃物が切り裂いていく。その斬撃はコンクリートの壁を豆腐のように切り裂くに留めず、ビルを傾がせていく。
「おいおいふざけるなよクソッタレッ!!」
 壁を蹴り、無人の雑居ビルの窓ガラスを割って二階に転がり落ちる臥堂だったが、そこで休む暇など無く、下階から斬撃だけが走ってくるために透かさず駆け出し、雑居ビルの中を駆け巡った後、適当な場所から窓ガラスを突き破って飛び降り、再び逃走劇に身を投じる。
 当然数秒と経たずに背後には常軌を逸した速度で走る少女が現れ、一瞬の隙でも見せようものなら即斬首しようとするギラギラした殺意の奔流に襲われるのだった。
 臥堂自身何度か応射を試みたが、全て謎の力によって防がれたのか吸収されたのか、珍しく着弾自体は確認できたのに損傷は一切見受けられないと言う、何が起こっているのか杳として知れない恐怖に冒されつつあった。
 走る速度も尋常じゃなく、全力疾走している臥堂に容易く追いついては洗練された斬撃を見舞ってくる。
 間一髪で直撃は避けているものの、全身切り傷だらけで、出血が酷い有り様を呈している臥堂としては、いよいよ意識が空転し始める頃で、段々と自分がどこに向かっているのか、何をしているのか虚ろになりつつあった。
「おいッ、そこの不審者! 止まれッ! ここから先は立ち入り禁止だぞ!」
 臥堂が逃走する先――三十メートルほど離れた地点に立つ民警と思しき男達が、一斉にサブマシンガン・レプスの銃口をこちらに向ける。
 その瞬間臥堂は“閃いた”と言わんばかりに口唇を凶悪に歪め、大声を張り上げる。
「助けてくれーッ! 刃物を持った通り魔に襲われてるんだッ、助けてくれェーッ!」
 全身血だらけになり、且つ悲愴感溢れんばかりの表情で悲鳴を奏でる臥堂である、その絶叫の信憑性は言わずもがなだった。
 民警の男達は臥堂の背後より迫る悪鬼に意識を傾注し、レプスを構えたまま「止まれッ! 止まらねば射殺も辞さないッ!」と大音声で警告を吐き出す。
「ダークファルスの仲間……? いや、眷族かも……」ポツリと呟き、トライデントクラッシャーを握り直すシエル。「きっとダーカーの巣の中枢が近いんだ……!」
「止まれと言ってるのが聞こえないのか!!」
「助けてくれッつってんだろ!!」
 民警の怒号に構わず、臥堂は全力で街路を駆け抜け、民警の前へと躍り出る。
 最早最終通牒すら終わったと言わんばかりに、民警は遂にレプスの引き鉄を引いた。
 弾雨が街路を破砕していく。街路樹に弾痕が穿たれ、路面に反射してガードレールを裂き、路上駐車していた乗用車のタイヤをパンクさせガラスを砕く。
 弾幕の嵐の中、それでも減速を一切せずに走り抜いた臥堂は、民警の頭上を飛び越えるように跳躍――包囲網を通過すると、更に空港へと向かってひた走って行く。
「おいッ、止まらんかァ!!」
 民警の怒号に振り向く素振りを見せず、臥堂の姿が交差点の影に消え去った時、もう一人の危険人物を民警は捉えた。
「構わん、撃ち殺せェ!!」
 隊長格と思しき民警の男の号令が下された瞬間、シエルに向かって四方八方から銃弾の雨が降り注ぐ。
 大量の眷属が配置されていると言う事は、やはりこの先に重要な拠点が有ると見て正しい筈だ。
 そう確信したシエルは、群がる雑魚は無視して飛び越え、更に加速して少年を追いかける。
 ここでダークファルスを一網打尽にすれば、アークスにとっての平和がまた一歩実現に近づく。
 それは、仲間達が傷つかなくて良い世界になると言う事でも有る。
 ヴァネットや猟玄が近くにいる気配は無いが、これが大規模なファンジであるなら、必ずどこかに外壁があり、それを破壊すればこの謎の空間からの脱出も叶う筈なのだ。
「待っててくださいね……!」
 ぎゅ、と口唇を引き締め、街路を駆け抜けて行くシエルの足取りに、迷いなど微塵も無い。
 交差点を曲がり、少年との距離を詰めるために更に加速しようとしたその時だった。
 轟音と共に爆風が視界を覆い、爆炎が全身を舐め、――トラップだ、と気付いた時には、視界がブラックアウトしていた。

◇――◇――◇

 一度落下して来たヤマツカミが、再浮上する事は無かった。
「あれ? もしかして討伐できちゃった感じ?」
 動かなくなったヤマツカミを片手剣でツンツンする檻夜に、一切の反応を返さないヤマツカミ。
 その瞬間、ヴェントは膝から崩れ落ち、四つん這いになって項垂れた。
「ネーヴェは……ネーヴェはどこに行ったんだ……」
「そりゃ、あの口の中じゃないの?」
 ウォルトの冷静な指摘に、ヴェントは「ですよねー」と仏のような顔で返すのだった。
「お疲れ様デシター! って、ン? このモンスターの中に誰か取り残されてるデスカ?」
 ガッツポーズを決めてクナイでヤマツカミの素材を剥ぎ取ろうとしていたマーシャが不意に動きを止める。
「あぁ、ニンジャさんと入れ違いに吸い込まれてった子がいるんだ。ネーヴェって言うんだけど、知らない?」
 ウォルトが手振りを交えて説明するも、マーシャは難しい顔で頭を捻るのだった。「ネーヴェ……いえ、知らない子デスネ……」
「いや寧ろ知ってたらおかしい気がするんだが」冷静にツッコミを入れる檻夜。
「檻夜さんがツッコミ入れるとかいよいよネーヴェの生死が定かじゃなくなってくるのですが」檻夜の肩に手を置いて爽やかな表情を見せるヴェント。
「どういう事だコラァ!?」カンカンの檻夜だった。
「よしっ、そういう事ならボクに任せるデスヨ!」ポンッと胸を叩くマーシャ。「ちょっと探してくるから待ってナサイ!」
 そう言ってヤマツカミの口の中にひょいひょい入って行くマーシャに、三人の青年は「「「すげぇ……」」」と感嘆の吐息のハーモニーを奏でるのだった。

◇――◇――◇

 己のクローンは強敵以外の何物でもなかった。
 同じ武装、同じ思考回路、同じ攻撃パターン、同じ姿……全てが自分と瓜二つで、一瞬の隙も見せられない、全身全霊で挑んでも歯が立つか怪しい次元の戦闘を強いられていた。
 逸姫にクラフトして貰ったガルド・ミラで絶えず銃撃を浴びせても、クローン猟玄はそれを容易く回避し、更に同じ武装でフォトン弾の弾幕を張ってくる。
 一進一退。過去に逸姫と戦った事が有る猟玄だったが、その時と比較して気付く。己のクローンはまだあの次元――本気の逸姫の領域には到達していない。つまり、今の己が敵わない次元ではない――と。
 クローン猟玄の一瞬の隙を見極めると、渾身の力を加えたエルダーリベリオンを叩きつける。
「オオオオォォォォッッ!!」
 全力のフォトンを行使した一撃に、遂にクローン猟玄の肉体が爆ぜ飛び、ダーカーのように赤黒い粉末を撒いて霧散していく。
「彼女の領域に到達できなかった、か……」
 辞世の句を残し、すぅ――と泡沫のように消えたクローンを見届け、猟玄は膝を突いた。
 自分のクローン如きに遅れを取るなど有ってはならない。己はかの誇り高き逸姫の弟子なのだ。この程度で慢心など出来る筈が無く、また一歩高みに近づいた事だけを噛み締める。
 そうして一息吐いた瞬間、ハッと我に返る。ネーヴェの事をすっかり失念していたのだ。
 慌てて少女の影を探す。ファンジのトラップを難無くクリアしていた彼女の事だから易々とやられてしまう訳は無いと思ったが、あのダーカーに対する恐怖感と言い、致命的な記憶の欠損と言い、不安材料は画然と存在している。
 まさか――と視野を広げて探す……と、見つかった。見つかったが、その瞬間、猟玄は言葉を失った。
「べんちゃんって弓を撃つ時かっこいいよねぇー! ほら、あの、しょぴょって、あの瞬間が凄い良いんだぁー」
「わかるわかる! 流石ねーべっ、ばっちり見てるじゃんー!」
「えへへー♪ でしょでしょ〜?」
 ネーヴェと、クローンネーヴェが、信じ難い事に、和気藹々と談笑に耽っていた。
 その光景を遠巻きに眺めた猟玄は、やはりこのネーヴェと言うアークスも尋常ならざる存在の一人だったのだと改めて確信した。
 ダーカーの一種であるクローンと談笑に興じるなど、通常有り得ない事だ。それを何の疑問を持つ事無く行えるなんて、常軌の逸しようが分かると言うものだ。
 一旦ネーヴェから視線を外し、ヴァネットはどうなったのかと確認すると、クローンは既に倒し終えた後で、ファルス・ヒューナルとの戦闘が繰り広げられていた。
「よもや終わりではあるまい」
 拳を打ち鳴らして挑発するファルス・ヒューナルに、ヴァネットは涼しげな微笑を刷くと、「あら、それはこちらの台詞でしてよ?」とテクニックであるサ・ザンを起動する。
 エリュシオンに溜められたフォトンが放たれ、無限に撃ち続けられるサ・ザンで、ファルス・ヒューナルの全身がカマイタチでズタズタに引き裂かれていく。
 にも拘らず泰然とした態度のファルス・ヒューナルを見て、流石はダークファルスだと、猟玄は生唾を呑み込む。
「無為!」踏み込みだけでヴァネットへと肉薄したファルス・ヒューナルは、ダーカーの力を漲らせた拳を振り抜く。
 ヴァネットに拳が直撃した――と思いきや、フワリとした挙動で残像が消え、ファルス・ヒューナルの背後に現れる。「残念、そっちはハ・ズ・レ……です♪」
 次元の違う戦闘に、猟玄は見蕩れている事しか出来なかった。
 両者の攻撃は白熱していき、やがて気付いた時にはネーヴェとクローンネーヴェの近くまで場所を移していた。
「お菓子食べよー!」
「食べよ食べよー!」
 ネーヴェもクローンネーヴェも全く気付いた様子は無く、のほほんとお菓子を取り出してわいわい楽しんでいる。
 その時になってようやく猟玄はネーヴェに危険が迫っている事を察し、声を上げようと手を伸ばした――まさにその時だった。
「応えよ深淵、我が力に!!」
 ファルス・ヒューナルが、ナックルのフォトンアーツである“クエイクハウリング”のような攻撃を繰り出し――衝撃波がネーヴェとクローンネーヴェを巻き込んで消し飛ばした。
「ネーヴェさん――ッ!?」
 猟玄の絶叫は空しく、ネーヴェは断末魔の叫びを上げる事も無く、視界から消え失せた。

◇――◇――◇

 爆破の規模は広く、街の一角を丸ごと地盤沈下させる程だった。
 そのギリギリの淵にぶるるっと体を震わせて走り去る臥堂の姿が有った。
「あのコスプレ女は確実に死んだ……と思うぜ。爆心地にいた事は間違いねえよ」通信機に手を触れ、二人の共犯者に向けて声を投げる。「ターゲットはどうなったんだ?」
「――ロストした。これで生存が確認されれば、ターゲットも謎の脅威も人間ではない可能性を憂慮せざるを得ないな」仄かに安堵した空気を感じさせる声で、ヴェルドが応じる。
「ホンマにコスプレしとったねぇ、アレってマーシャさんの友達とかじゃなかったんかな。どうしてここにいるのかって言われたらよー分からんけど」
 刃蒼の声に、臥堂もヴェルドも返答を発しなかった。
 マーシャが死んだ。その事実が再び浮上する。彼女と言う存在を失った今、戦力は大々的に低下したと言っても過言ではない。
 憂慮すべき事態が進行しつつある、とヴェルドも頭を悩ませていた、そんな時だ。臥堂の「――は? 何でお前こんな所にいるんだ……?」と、呆気に取られた声が聞こえてきた。
「アレ? モンスターの口の中に入った筈なのに、瓦礫の下に出て来マシタヨ? 不思議発見デスヨこれは!!」
 通信機から発生した死者の声に、然しものヴェルドも瞠目せざるを得なかった。
 刃蒼も驚きを隠せない様子で、「え、え、マーシャさん生きとったんか!? 死者蘇生!? 残機いくつ持っとん!?」と動揺も露わに声を荒らげた。
「勝手に殺さないで下サイ!! ちょっと異世界転生してただけダヨ!!」
 間。
「……何かよく分かんねえけど、間違い無い、このぱっぱらぱーな感じ、マーシャだこいつ」
「臥堂サン!? ボクだって怒る事は有るんデスヨ!?」
 刃蒼の「何や知らんけど良かったわー。マーシャさんいなくなったら詰まらんくなるし」と言う安堵した声に続き、ヴェルドからの「……えぇ、無事で何よりです」と言う言葉の裏に見える安堵感を投げかけられ、マーシャは「えへへっ、心配せずともボクは死にマセン!“根源”を討つまでは!」と胸を張って応じる。
「マーシャさんの無事も確認できましたし、改めて作戦を続行します」
 感情を引き締めたヴェルドの声に、三人とも緩んでいた表情を戻し、真剣な顔つきで空港を見やる。
「終わらせましょう、このゲームを」
「せやな」「おうよ」「了解(ポニョ)!」
 そうして四人は再び煉獄に身を投じる。己の命を賭けた、悪夢のゲームに……

◇――◇――◇

「……中々出て来ないな」
 一分以上経っても双剣使いのハンターが戻って来る事は無く、古塔の上は囂々と吹き荒れる風声だけが響いている。
 痺れを切らしたヴェントが「ちょっと様子を見てきます」とヤマツカミの口の中を覗き込んだその瞬間、「――ネーヴェ!?」と驚きの声を張り上げた。
 ヤマツカミの口の中――その中に不思議なお菓子を口にしたまま固まっているネーヴェの姿が有った。
「ふぇ?」と小首を傾げ、ヴェントを見やるネーヴェ。「べんちゃんだ!」とヴェントを指差し、「べんちゃーん!」と跳び上がって抱き着こうとして、ヴェントに軽やかに躱され、古塔の地面にべしゃっと倒れ込んだ。
「ふみゅぅ……痛いよぅ……」
 赤くなった鼻の頭をすりすり撫でながら涙目でヴェントを見やるネーヴェ。
 ヴェントは心配が杞憂になった事をどう表現していいのか分からない様子で嘆息を零すと、「あまり私に心配を掛けるな……」ぽんぽん、とネーヴェの頭を軽く叩いた。
「ふえぇ、ごめんねごめんね。ねーべも怖かったんだよぅ、変な所に放り出されて……って、あれ? もう一人のねーべがいないよ?」
 きょろきょろと見回しても、赤黒い世界はどこにも無いし、ネーヴェと瓜二つの存在もどこにも見受けられない。
 不思議そうに小首を傾げるネーヴェに、ウォルトが「まだ変な事言ってるな。よほど頭に大きな怪我を負ったと見える」腕を組んでうんうんと頷き始めた。
「むぅ! うぉるちーのバカ! 本当にいたんだもん! ねーべのそっくりさん!」
「てかさっきのニンジャさんはどこに行ったの?」
 檻夜がそう呟いた瞬間、遂にヤマツカミは溶解を始め、何の素材も残さないまま消えて無くなってしまった。
 その残骸の中には、どう見てもあの少女の姿は無かった。
「……ま、まさか、お化けさんとかじゃない……よね……?」ガタガタ震えながら呟く檻夜。
「おかしいな……僕まで幻覚を見るとかそんな訳……」ゴシゴシと目を擦るウォルト。
「私達は何か触れてはならないモノに触れてしまったのでしょうか……」今にも昇天しそうな表情で囁くヴェント。
 間。
「……ま、まァ、ヤマツカミ討伐できたし、良かった事にしよう、うん! そうしようぜ! そういう事にしようぜ! そういう事なんだよ!」
「そ、そうだな、そういう事に……していいんだろうか……」
「くッ、せめてあの尋常ならざる力の運用法だけでも聞き出しておけば……!」
「可愛かったなーねーべのそっくりさん……また逢えないかなぁ……」
 檻夜が無理やり纏めようとし始め、三人はどこか虚ろな表情のまま、帰途に着くのだった。

◇――◇――◇

 どう足掻いてもネーヴェは助からない――そう覚悟して目を開けると、ネーヴェとクローンネーヴェがいた空間に、一人の少女が立っていた。
 トライデントクラッシャーを携えた、師匠と同等の膂力を誇る少女――シエルが、何故かその場にいて、困惑した様子で辺りを見回している。
「あれ、ここ、は……?」驚きに目を瞠っていたシエルだったが、眼前に佇むファルス・ヒューナルの存在に気付くと、「――やっぱりダークファルスだったんだ……!」とトライデントクラッシャーを構え直し、渾身の力を込めたフォトンアーツを叩き込む。「スピードレインッ!」
 五段のフォトンを投射するその攻撃に、遂にファルス・ヒューナルは片膝を突き、「ふふ、ふははは!」と哄笑を上げると、「良き闘争だったぞ!」と捨て台詞を残し、闇の中に溶けて行った。
「勝っ……た……?」
 茫然自失の態で呟く猟玄の耳に、オペレーターの声が弾けた。
「……ください、応答してください!」
 最後に通信した相手であるブリギッタの声に、猟玄は慌てて、「はい、こちら猟玄。聞こえています、どうぞ」と若干舌を噛みそうになりながらも返す。
「あっ、良かった、やっと通じた!」安堵の感情が一杯に広がった様子が感じ取れる声だった。「ご無事ですか? いきなり通信が途切れてしまって……一体何だったんでしょう?」込み上げる安心感がそうさせるのか、猟玄の返答も待たずに送信を続けるブリギッタ。「通信が途切れる瞬間、人影のようなものが見えたような気もするのですが……いえ、まずは無事の帰還を喜ぶべきですね。これより回収します」
 頭上にキャンプシップが来ている事に気付いた時には、テレパイプも既に起動していた。
 やっと帰還できる。そう思うと、どっと疲労感が増した気がした。
「シエルさん、ご無事で何よりですわ♪」
 ヴァネットがそっとシエルを抱き締めて囁く。それを第三の目で見た猟玄も、「えぇ、ご無事で良かった」と小さく首肯を見せる。
「す、済みません……ファンジのトラップから中々抜け出せなくて……ご迷惑を掛けました……」
 悄然と応じるシエルに、ヴァネットと猟玄は顔を見合わせる。
「今までファンジに捕まっていたのですか?」と思わず問いかける猟玄。
「え、えぇ……初めて見るダークファルスもいたのですが、仕留められませんでした……ごめんなさい……」人差し指を突っつき合わせて無念そうなシエル。
 再びヴァネットと顔を見合わせる猟玄。
 何かが食い違っていると分かってはいたのだが、ここはダーカーの巣。何が起こっても不思議ではないし、訳の分からない現象が発生しても、それを理解できるだけの土壌がそもそも存在しないのだ。
 理解を諦め、猟玄は「そうですか……何はともあれ、貴女が無事だったのは幸いです。さぁ、帰還しましょう」と手を挙げ、テレパイプを示す。
「は、はい!」
 少しだけ表情を明るくして微笑むシエルに、釣られて微笑を浮かべるヴァネットと猟玄だった。

【完】

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風雅の戯賊領P

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