空気がしんとしている。
先週末に到来したとニュースで伝えられていた寒波は、ローマの街を白く染めていた。
夜の光がきらきらと辺りに散らばっていて、月並みではあるけれど、宝石箱を開けたようという形容がよく似合う。赤や青や白の光。日本に比べて夜間営業の少ないこちらでは、オレンジのぼんやりした街灯の明かりが、なかなか目立つ。


飛行機はまもなく着陸しようとしていた。機内の空気は静かにかき混ぜられている。斜め前の席で、時差に追い付けずに眠たそうな目をした日本人が、カフェモカ色の毛布を引っ張って窓に凭れていた。多分ツアー客か何かだろう。誰か起こしてあげるだろうか、思っている間に、隣から細い腕が伸びてきてゆるりと彼を揺さぶっていた。手つきから察するに、新婚だろうか。嫌味じゃなく、平和で、いいと思った。新婚旅行にクリスマスのイタリアなんて、洒落ている。勝手に、この夫婦がずっと別れないでいてくれたらなあと思った。それと、これがいい旅行になりますように。



俺は仕事で1週間ほどイタリアを離れた帰りだった。血を見るような物騒なものではなかったけれど、あまり気持ちの良いものでもなかった。肩が凝るタイプ、と個人的には認識している。正直苦手である。しかし仕事に気持ち良さを求めたら負けだ、とも思っていた。求めたが最後、暗い方に引き摺りこまれてしまう気がする。その一線だけは、絶対に越えない。
書類を渡して仕事内容の説明をする間、ツナは何度も謝っていた。何かと思っていたら、イヴが潰れるかもしれないから、と最後に申し訳なさそうに付け足した。確かに俺はイベント事は好きだけど、別にクリスチャンでもないし(親父は一応浄土真宗派だと公言している)、クリスマスの1つや2つぐらいは何でもない。それに、ツナみたいに結婚していて一緒に祝う相手がいる訳でもなし、気楽なものである。気にしないでくれていいのに、と思いながら聞いていた。ツナは結婚してから益々やわらかく(小僧に言わせればれば、ふやけた)なった気がする。


飛行機は眠い空気を押しやりながら降下していった。クリスマスのイルミネーションが所々に見えてきた。店はもう殆ど閉まっているだろうが、ライトアップだけ健在らしい。普段から上がる時間がやたらと早いのに、クリスマスとなれば尚更なのだろう。商店街の彼らだってきっと、聖なる日を家族と祝いたいに決まっている。明日から恐らくクリスマス休暇に入る店が多いだろうなあと思って、果たして冷蔵庫に食べ物を残してきたかどうかふと不安になった。もしかして、最悪明日から俺の食事はないかもしれない。ちゃんと年を越せるだろうか。


鼓膜を軽くノックするようなポンという音の後に、流暢なイタリア語のアナウンスが入った。無事に空港に着いて、辺りの席がざわつき始める。俺も伸びをして立ち上がった。スーツケース以外荷物なしで、身軽だった。唯一持っていた荷物(らしきもの)、機内食についてきたパネットーネは先程隣に座っていた男の子にあげたばかりだった。おもくて食べる気になれなかったのだが、横からちらちらと視線を感じていたので渡した。案の定、男の子は俺をサンタか何かのような目で嬉しそうに見つめてきて早口にお礼を言った。その子の母親らしき人も笑っていた。小さい子どもを連れて旅行かなあと詮索しながら、やっぱり平和で、いいと思った。たまにはサンタも悪くない。
その親子ともここでお別れだった。軽く手を振ると、男の子はやはりきらきらした目で跳び跳ねていた。母親がそれを制しながら首にマフラーを巻きつける。外はよほどの寒さだろう。俺もトレンチコートの襟を詰めて、気合いを入れ直した。
手ぶらのまま通路を行く。日本人のあの客も、ちゃんと覚醒しきって彼女の荷降ろしを手伝っていた。新婚だと思った勘は当たりだった。2人とも薬指に指輪をしている。お幸せに、と無意味に肩を叩いて行きたくなった。結局のところ俺は、正直、あの男の子みたいにちょっと浮かれている。




早く帰りたそうな無愛想な係員からスーツケースを受けとって、やっと空港の外に出た。上から見ていたように、辺り一面が白い。息がもやりと空気中に溶けた。

「すご…‥」


「ねぇ、置いてくつもり?」


振り向くと、何故か、柱に凭れて雲雀が立っていた。何で?一瞬頭が本気でフリーズしてしまって、黒いピーコートを着てマフラーまで巻いているその姿を、まじまじと見つめた。こんな夜更けに、何で、わざわざ。雲雀は特にその視線を気にする風でもなく、袖についた雪を軽く払った。温度に触れて水になって、きらきら光る。

「あと5分で凍死するとこだった」
「それこの国で言うと洒落にならねぇ‥。っていうか、何で」
「仕事帰りにちょっと寄ってみたら、なかなか君が来ないから。腹立って、意地でも待ってやろうと思って」
「はぁ…。え、お礼言うべき?」
「さあね。おかげで大量の群れを見させられた」
「ま、クリスマスだからなー」

スーツケースを道に乗り上げた。雪で白くなった道に、小さな轍が出来る。持つよ、とも何とも言ってもらえなかったけど、雲雀が俺の歩調に合わせてくれるのは分かった。分かったら、嬉しくなった。

「何か君、にやけてる‥」
「ふふ、クリスマスだから。嬉しくて」
子どもだね、と雲雀は口を弓形にして笑った。目を伏せてぽつりと落とすような、この笑い方が俺は好きである。今なら雪なんて溶かしつくせる、と思った(俺は、浮かれているから)。雲雀の髪の毛一本までも愛せる、かもしれない。


「帰りの飛行機でずっとさ、もし俺が結婚してて子どもいたら、どういうクリスマスかなって考えてた」

「‥‥へぇ」

「でも独り身だからやめた」

「ふうん」

「そしたら、ヒバリがいた」

おもちゃ屋の店先で、青いライトがちかちかした。ブリキの汽車と赤いリボンのテディベアが俺たちを見ていた。雲雀の肌が染まって、光っている。鼻と指先が赤い。寒かっただろうに。嫌な群れを見ながら、光る街を見ながら、ずっと俺を待ってくれてた。俺のために時間をかけてくれた。share、分け合うこと。雲雀の持っている大きな時間のなかの一部を俺のこと考えて、俺のために使ってくれた。それは奇跡みたいに幸せなことだと、思う。



「待っててくれてありがとう、ヒバリ。Buon Natale」

「…Buon Natale」






砂糖菓子の星を捕まえに




2009.12.24
※イタリア(ローマ)の記述は適当です
※パネットーネ…クリスマスシーズンのイタリアの焼き菓子。パン生地にざっくりドライフルーツ






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