カーテンが風にはためいてる音がする。遠くから校歌が聞こえた。あぁ、何で校歌なんて流れてるんだろう。意識の底で不思議に思った。顔の下には、恐らく皺の寄っているはずの数学のプリントがあった。補習課題として出されたやつ。1問目だったか2問目だったか、そこまで解いて力尽きてしまった。怒られるなあと思いながら、起きられない。どろどろと眠りに吸い寄せられる。

ぱたり、誰かの靴音がした。…誰だろう。先生だったらこの状況怒られるなあ、いっそ寝たふりを続行してしまおうか。ぼんやり考えながら目を閉じた。駄目だ、耐えられない。あと数分だけ、もう少し、寝よう。‥‥



「…君、何してんの」


一気に覚醒した。聞き覚えのある、低い声。間違いようなかった。いつも聞いてる、から。

「‥おはよーございます、ヒバリセンパイ」

「もう下校時刻とっくに過ぎてるんだけど。鍵閉めていい?」

「え、うそ、ちょっと待って」

慌てて黒板上の壁掛け時計を見ると、下校時刻を30分は優に過ぎていた。そういえばこの教室もぜんぶ茜色のゼリーに突っ込まれたみたいな色をしているし、グラウンドも廊下も声がしない。運動部も帰りきったということか。自分の熟睡っぷりに呆れた。俺ってば、ちょう健康優良児。

「ごめん、今すぐ準備する。…っていうか、まさか30分ずっと俺のこと待ってた?」

「誰がそんなこと。さっきまで応接室で書類の整理してたよ」

「あ、そっか。まぁそうだよなあ…」


淡い期待はきれいに打ち砕かれてしまった。雲雀がそんな時間の使い方をするなんて有り得ないぐらい知っている、けれど。好きな人相手に夢見るのは何も女の子だけの特権ではないのである。苦笑しながらロッカーを漁りに席を立った。教科書を捜索しなければいけない。自慢ではないが、俺のロッカーは汚い。教科書とプリントとノートが積み重なって複雑な地層(まがい)を作り上げている。たぶん古生代くらいからの。
背後から雲雀の視線を感じて、ちょっとは掃除しとけば良かったなあと後悔した。呆れられている気が、すごくする。何かちょっと恥ずかしい。雲雀が俺の教室にいて、教室での、2−Aでの俺を見てる。その感じがこそばゆい。

「いま、こんなとこなの?」

「え、何?」

「プリント。字死んでるけど」

気付くと、腕を組んで机に放置していた俺の皺まみれのプリントを眺めていた。ロッカーを見られるよりはマシ、だろうか?あっちも寝ぼけた字しか書いてないけど。


「へぇ…君はこんなのも解けないの」

「もう正直ぜんぜん分かんねー。授業も寝てたし。ヒバリ、そういうの得意?」

「‥‥‥得意だけど」

その間は何だ、とは聞かなかった。俯いてこっそり、口元に上ってくる笑いをこらえる。雲雀は嘘をつくのが下手だ。そういう素直でまっすぐなところが、可愛くて仕方ない。本当は雲雀の得意教科が現国とか英語で、数学はあんまり好きじゃないのも知っているけど、黙っておいた。可愛いなあ、この先輩。今度教えてって頼んだら、どんな顔するだろうか(たぶんちょっとびっくりして、それから、不機嫌な顔でいいよって言う。それで陰でこっそり勉強する。意地っ張りだから)。
そんな妄想をしてた俺を知ってか知らずか、雲雀は学ランをばさりと翻して唐突に言った。(というより、宣告した)


「飽きた。あと30秒以内に完全に用意しなかったら閉めるよ。早くして」

「さんっ…?!早くねーかそれは」

「きっちり計ってあげる。靴履いて廊下出ないと、校門閉めるからね」


閉じ込められたくないなら早くおいで。言い捨ててあっさり廊下へ出ていってしまった。つれない、とか言ってる場合じゃない。やばい。とりあえず急いで目についたものを鞄に突っ込んだ。机の上のプリントも、ちょっと迷ったけれどしまった。ますます皺がついた気がする。もういいや、明日怒られよう。


「あと10秒」


声につられて駆けるように廊下に出る。踵踏んでてもいいなら靴は履ける、たぶん間に合う。考えながら靴箱を開けた。右の方から雲雀のカウントが聞こえる。きゅう、はち、

「うぉわっ‥…!!」


ばらばら、開けた靴箱からは、グラウンドシューズと体育館シューズとスニーカーが絡まって降ってきた。忘れてた、俺は靴箱の中も汚いのでした!!


「ヒバリっ、ちょっと待って…!」

屈み込みながら振り向いた。そして、言いかけの言葉は宙に浮いた。口を「て」の形に広げたまま、右手で黄ばんだ靴ひもを持ったまま、固まって雲雀を見た。窓の外で街灯が揺れる。西の空の端は赤紫になって、雲雀の上靴の先を染めていた。ていうか、センパイ、何してんの?



「…何、僕の顔に何かついてる」

「いや…ていうか、カウント」

「あ。‥忘れてた」


教室の時計を見るために反らされた背骨の辺を見ながら、俺はざわつく胸を抑えた。
靴が落ちてきて、思わず振り向いた瞬間。
雲雀は、全身茜色に染まって、逆光にきらきらしながら、俺を見ていた。俺が自分で「待って」なんて言わなくても、当たり前に、俺のこと待っててくれた。
てかてかと光る冷たい廊下に、細長い影が伸びる。もしかしてこの人、本当はさっきまでの30分間も待ってたかもしれない。俺の寝顔見ながら、ばさばさ揺れるカーテンを見ながら。この人やっぱり、本当はすごくすごく、


(何だこのセンパイ、可愛いなあ。…)



「山本。休んでいいとは言ってない」

「あ、はい、今やります」

「片付けられたら、‥帰るよ」

センパイ、主語を言わないのはわざとですか?


「ヒバリ、商店街の鯛焼き買って帰ろうか」

「…下校中の買い食いは原則禁止だよ」






可愛いあの子と×××







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