ゲームとかでの心理学は出来るがリアルでは無理ゲー過ぎる
2011年5月18日(水)
巽が家に帰っていないらしい。
それは彼の行方を心配して探しに訪ねてきたおばさんから聞いた話だ。
顔を青くさせた状態で本屋にやって来た事によって知ることとなった。
別に夜帰ってこない日が、過去に無かった訳ではない。
だから、そこまでの心配は無いけれど。しかし、ここ最近の稲羽市には未だに解決していない連続殺人事件の犯人が身を隠している可能性が多大にあり。
最悪の可能性というものが一度、浮かんでしまえばその思考の沼から抜け出すのは容易ではない。
警察に行方不明の届け出を出した方がいいだろうかと、おばさんは冷静さを少し欠いている様子だった。
そんな様子の彼女を四目内さんは落ち着かせながらも、一緒になって警察署に着いていくことになった。
俺は本屋で留守番をする事になった。
まぁ、店は普通に開いているからな。
こう言っては何だけれども、あの昔懐かしの大和撫子な見た目をした天城が行方不明になったという情報よりも、もっとずっと早く俺はそれを知ることが出来た。
そこに何の差があるのかまでは分からないけど。
ただ、巽が今年入学した学校での素行の悪さから評判はまぁ想像していた通り。お陰様で本人のいないところでの悪口などは結構辺りで広まっていた。
……だからなのか、それとも家に帰っていないという情報を即座に得たからなのか。おばさんと四目内さんが店にいている間、軽く少しだけ商店街内で巽の行方を聞いてみたが、らしい情報というものは何一つとして得られなかった。
何だったら完全初対面のスーツを着たサラリーマンなんかは、実に人をムカつかせる様な事を口にしていたが。今は、まぁ、いい。
この何とも言えない気持ちというか、もにょる感覚に陥るというか。
そもそもの話だが、俺と巽の仲が良いとか、そもそも歳が違うとか。普段外を歩いていて八十神高校に通っている生徒達から彼の評判を尋ねるとかそんな高度な事を実行に移すわけが無かった。
だが、結局のところ俺の言い訳は、そこまでだ。
いつまでも、いつまでも。
現実逃避とかをしている場合じゃあないという事くらいは、流石にちょっと理解しているつもりではあったけれど。
テレビ画面の向こう側の話が、身近にやってきて漸く現実味を感じるというのは。
無責任な奴というか。
頭がお花畑な奴というか。
それが最近の少年少女なところだというか。
案外、それが普通なのかもしれないと。やはりどうしてか、俺は他人事の様に捉えてしまって。
でも、巽は今日家に帰っていない。
断言するには早いし、証拠も証明出来るものも今の俺の手元にはないが。彼は行方不明になった。
なって、しまった。
「昨日の夕方頃に会ったばっかじゃねぇか……」
巽が気に入りそうな雑誌を三種、一昨日に購入して。
変なのとちょっとした追いかけっこをしていたと、眉間に皺を寄せていた彼に元気付けとか諸々を込めてプレゼントをしたのがつい昨日の話だ。
その時に、手先が器用で編みぐるみとかを巽本人の口から聞くことが出来た。それは少し恥ずかしそうに、あまりたくさんの人に知られたくない雰囲気だったから、からかうなんて事は当然せず。
むしろ俺自身はそういった事に関しては不器用を極め尽くしているからこそ、エネもびっくりするくらいに素直に巽を褒める言葉が口からポロポロと零れ落ちたもんだ。
そんな他愛もない会話の中で、俺は巽と一つの約束事をした。俺が、と言うよりも巽がしてくれたのだ。
どういった経緯でそうなったかは、正直に言って彼が家に帰っていない。行方不明の話でこう、色々と動転とかしてすっとんでしまったけれど。
俺が元の世界で、部屋で飼っていたエネよりも先の同居人。
白い毛並みのうさぎ。
性別はメス。
名前は殿 。
俺の精神的支柱となっていた存在であり、今でもたまに寝ぼけてエア殿に対してエア撫で撫でをしてしまう位には頼りになった奴である。
流石にそこまでの事を彼には言わなかったが。
ただ、その時に今は全く会えなくて、一人暮らしのマンションでの暮らしが物凄く部屋が大きく感じると伝えると「じゃあ、そのうさぎの特徴教えてくれないっすか。キーホルダーサイズのヤツなら直ぐに作れると思うんで」などと言ったのだ。
最初は当然遠慮したさ。
だが、勉強を教えてもらったからとか。
今回みたいに気にかけて貰ったんでとか。
そんな事を熱弁されてしまうと、謙虚はソレを通り越してただの卑屈に成り下がる。
結局はその勢いに俺は折れて、言葉に甘えるようにして頷いた。実際の所、巽が買っていく編みぐるみ系の雑誌はどれもこれも初心者向けとかではなく、上級者向けとかそういった系統だった。
だから、今のところ彼の実力というものは目にしたことがないけれど。
それでも普通に彼の作るうさぎの編みぐるみは、楽しみだったのだ。
そんな約束をしたのが、昨日の夕方頃の話。
そして、おばさんが家に帰ってこないと掛けてきたのがついさっきの話。
稲羽市の四月早々に起こってしまった連続殺人怪死事件。
俺にとってはそれは、自分が今住んでいる場所の圏内で起こった事件なのにも関わらず。どうしてか、それをテレビの向こう側に起こった出来事だという認識が確かにあった。
その事に自己嫌悪が生まれてくる。
自己嫌悪というのは、嫌という程ぐるぐると繰り返し続けてしまうんだよなと思うと。
様々なものが綯い交ぜになった溜息というものが、これでもかと胸の奥の方から湧き上がってくるのだった。
◆◆◆◆◆
ざざーん。
ざざーん。
場所は海。
打ち寄せる波にさらわれて、白い砂浜が濡れて、押し寄せると繰り返す。
ざざーん。
ざざーん。
ざっぱーん。
視線を海からそらして、横に向けて見れば崖になった岸壁があって。
そこでは打ち付けれた波が大きな音をたてている。
激しい音はそれだけで、ほかはただただ静かだった。
波は絶えず煩すぎず、静かすぎない音をたて続ける。
そんな中、ぽつんと俺はただ一人。
浜辺に突っ立っていた。
◆◆◆◆◆
マヨナカテレビに巽完二が映ってしまった。
ノイズが強く入ったシルエット姿ではなく、はっきりくっきりと。崇高なる愛を求めてとか、イマイチ良く分からない事(何なら深く理解してはいけない気配を感じる)も言っていたが。
そんな状態で、花村達とここ最近でいつもの事と化したジュネスの家電売り場に置かれているテレビから向こうの世界で集まっていた。
眼鏡が無ければ一寸先も見えない程の濃すぎる霧は相変わらずの様子。
俺達がテレビの外で学生らしく中間テストにうめき声を上げていたり、出来る限り犯人の目論見とか目星をつけるために調査を出来る限りの範囲ではあるけれどやって。
犯人の次の狙いが巽完二ではないかという考えに俺達は行き着いた。
テレビのドラマみたいな、ちょっとした張り込みもした。まぁ、巽本人にそれがバレて追いかけっこが始まったりもしたが。
結果はご覧の有り様。
予想は当たっていただけに、当然俺達は悔しかった。
そのままただ茫然とするだけならば、カカシでもできること。
すぐ様行動に移したはいいものの、ここ最近では特に強く自分自身とは何なのか。自身の存在に対する疑問感を強くしたクマが、早く巽の所に行って救助しようとはやる俺達に宣告した。
「カンジの居場所が分からない」「カンジの事がよく分かるようなヒントになりそうなものが欲しい」と。
以前ではそんな事言ってこなかったのに、そんなにも調子が悪いのかと花村達共々クマを心配したが。
そもそもの話。クマが天城を探す時、同じクラスメイトである俺や花村。そして幼馴染である里中なんかは特に天城の匂いが染み付いていたから、聞くまでもなかったし。天城という人がどういった人なのかということも、尋ねるまでもなく俺達が矢継ぎ早に、キーワードのパズルピースの様に言っていたから困らなかったとのこと。
そこまで言われてしまうと、俺達は何も言えなかった。
「ってなわけで、一旦元の世界に戻ってきたわけだが……」
「クマくんにとって、完二の事が分かりそうなヒントって言っていたけど。どんなのがいいんだろ」
「でもクマくんの言う通り、私達って今の完二くんの事知らないよね」
「しゃあねぇ、一旦町に戻って色々と聞き込みしてみようぜ。ほら、この間なんかは帽子被ったヤツと喋ってたりしたじゃん?」
「確かに、ただ普段から見かける人という訳ではなさそうだから。その人がいるかどうかも聞き込みの中に入れてもいいかもな」
「じゃあ、とりあえずは。完二に詳しい人と最近話していた帽子を被っていた少年の居所だね」
現実世界に戻って来て、一度落ち着く為にと自然と集まったジュネスの屋上にあるイートインスペースの一角。
放課後などに集まりやすく、またエレベーターで一階分下に降りたらすぐ目と鼻の先に家電売場のスペースに着くので色々と便利だった。
そんな中で行われた俺達の作戦会議。
テレビの中に完二が入れられている。それはマヨナカテレビに映っていたし、その事に関してはクマも何処からかうっすらと気配を感じるらしいので確定事項だろう。
だが、救助する為に彼の元へと案内してくれるクマが案内できない状態となると、俺達はすごく困る。自分の存在というもんおに疑問を抱いてしまっているクマではあるが、あのテレビの中の世界を誰よりも長く理解しているのは他でもない、クマなのだから。
そんな訳で、今できる事。
というか俺達がやらなければならない事は決まった。完二の事をもっと理解することと、つい最近彼と話していた帽子の少年を見つけて話をすること。
おまけで、誰が何処で聞き回るかというのもある程度は決めた。
花村はジュネスで働いている人達から。
里中は学校生徒や中学校時代の友人達あたりから。
天城は実家である旅館で働く従業員や来館してくる客人から。
対して今年の四月に転校してきたばかりの俺はというと、素直に完二の実家もある商店街を中心に聞き込みをすることになった。
行動方針が決まったところで、一度解散する事になった。
進捗の報告は学校に登校した後でも十分なのだから。
「あぁ、あの巽屋の一人息子か。昔はあんなにグレてなかったんだがなぁ」
「完二くんかぃ? あの子は昔っからあたし達に優しい良い子だよぉ。この間も買い物袋を持ってもらったからねぇ」
「帽子を被った男の子かぃ? そういや最近ここいらで姿を見かける様になったね。え? 何処にいるかかぃ? いやぁ、そこまでは……」
仕事の休憩の合間なのかぼーっとしていたスーツ姿のおじさん。
神社周りの生け垣に水をやっていたお婆さん。
大きくジュネスの看板マークが印字された手提げの買い物袋を持った通りがけのおばさん。
他にも色んな人に話しかけて、完二と帽子の少年の所在に関して色々と聞いてみたものの。最初こそは完二のその見た目と相反した意外な話を聞けたりはしたものの、途中からは似たようなものばかりになってしまった。
帽子の少年に関しては、そもそもこの町に昔から住んでいる子という訳ではないらしく。町の人達の中での印象はそれなりに強かったようだ。
まぁそれは、刑事である堂島さんが都会からやって来た甥。つまりは俺も人々の中でそれなりに印象があるらしいのだが。今はそれはちょっと棚に上げておこう。
頭上にあった太陽も山の向こうへと姿を隠し始め、青い空も茜色に染まり始めた頃。意外な話を聞くことが出来た。
曰く、巽完二は四目内堂書店の店員と仲が良いという噂話。
「正直、意外だった」
漫画の様なひと目見て分かる不良少年と四六時中赤いジャージを着た気の弱そうな本屋の青年店員。
この二人組が一緒にいる姿の目撃情報が多いのはここ、稲羽市中央通り商店街。
ビフテキコロッケ等をメインとして売っている惣菜大学前のベンチでだったり。つい最近では辰姫神社で二人して仲良く喋っている様子の目撃例もあったくらいだ。
思わず口からこぼれ落ちてしまったが、本当に意外だった。人は見かけによらないとはよく使われる言葉だし、実際その通りだった。
商店街内に位置する小さな本屋が何時に閉まるのか。生憎と俺は知らなかったので、気持ち早足で商店街を歩いた。
以前行った時、手持ちが足りなくて買うのを諦めたものと。今月入荷された店長さんセレクトを買うついでで話を聞けるかもしれない。
どうやって巽の事に関して話題にしようかと考えながら歩いていれば、いつの間にか店の玄関前に着いていた。
少し息が切れていたのをここで漸く自覚して、深呼吸を一つ。
気持ちを落ち着けて中に入ってみれば、相変わらず繁盛しているという訳でもなくガランとしている。
だが、客を歓迎していないとかそういう訳ではなく。世間で取り上げられた人気の小説から、小学生の子供達に人気な作品の本も取り扱っている。
店特有として『店長さんセレクト』というものもやっており、何でこれをセレクトしたんだろうというものから意外にもタメになったものまで。
様々な工夫を凝らし、取り寄せなども積極的に行い、近場ならば配達までしてくれる。追加料金発生するけど。
「ん? あぁ、いらっしゃい」
「あ、どうも」
レジ台にて肘をつきながら本を呼んでいる店員さん、如月さんと目が合って、思わず声をかけてしまった。向こうは普通に店員としての挨拶をしてくれただけだけど。
店内に小さく響くラジオの音。チャンネルは音楽系を選んでいるのか、どこかのコマーシャルで聞いたことのある少女の声で歌が耳に入ってくる。
買いたいものは先に手に取っておこうと、レジ前を通る際に何を読んでいるのかと気になって、ついでにチラリと覗き込んでみた。
表紙にはブックカバーで覆われていてタイトルは分からずじまい。
内容はというと、量子力学の多世界解釈だとか宇宙論のベビーユニバースだとか書かれていてさっぱりだった。
里中達が勉強を教えるのが上手だったと言っていた通りなのか、俺の中で出来上がりつつある如月さんのイメージに更に補強するような感覚を受けた。
以前キープしておくよと言ってくれていた通り、目的地に到着するとそこにあった。『初心者向け釣り実践本』。一冊だけピンポイントで本棚に大切に仕舞われていた。それも、先月は表紙を向けて大々的に見つけやすくしていたのに対して、今回はじっくりと本棚を舐める様に眺めて無数に近い文字羅列がひたすらに陳列されている背表紙郡の仲から目的のタイトルを探さなければ見つけにくい様にされている。
何なら一回通り過ぎてしまった。目星に一回失敗して、ゲームマスターに懇願し続けた結果二回目のチャレンジを手に入れて漸く成功したような感覚だ。ここに来る前の学校内でこそこそと流行り始めているテーブルゲームの一つだ。
ちなみに俺はやったことない。
その他にタイトルの頭に『弱虫先生、』と着く明らかにシリーズものの一巻や、最近商店街の掲示板に掲載され始めて申し込んだバイトの事を思い出して『事務作業マニュアル』という一捻りの"ひ"の字もないタイトル雑誌も手に取る。
その他にもお眼鏡にかなうものはあるかなとおまけで店内をうろうろとしてみたものの、今後の事とかお財布事情の事、ここに来る前に仕入れた噂話の事などを考えて買い物は切り上げる事に決定した。
漫画や文庫小説ならば、一冊にそこまでの値段は無いのだがハードカバー小説とか雑誌系統はどうしてこうも値がするのか。
バイトとかしていない、いち学生ならば、月の小遣いの金額次第ではハンカチを噛み切らん勢いで悔しい思いをするかもしれない。
「今回も随分と奮発したな、バイトでも始めたのか?」
「はい。掲示板に貼ってあったので、ちょっと」
「都会から来たんだったら驚いたんじゃないか? バイトの募集がいち商店街に設置されている小さな掲示板に貼られているんだから」
「確かに、コンビニに言って雑誌を……じゃないんですよね」
「そもそも近場のコンビニが割と距離があったりするからな、こういうところは」
本の裏表紙に記載されているバーコードを専用の読み取り機械で読み取りながら、以前よりかは流暢になった会話を如月さんは披露する。
その中で、ネットはまだそこまで身近に迫ってもいないもんな、どこか近未来的な事も口にしていたけれど直ぐに話題は変わった。
「ほい、お釣りにミスが無いかきちんと確認してくれよ」
「大丈夫ですよ。ありがとうございます」
「こちらこそ、当店をご利用して頂きありがとうございます」
「……あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「ん? 何だ?」
買った本をビニール袋に詰めたり、広告紙を手に取っていたりと黙々と仕事をしている如月さんに今だったらいけるかもしれないと思い、思い切って話切り出すことにした。
「巽完二って知っていますか?」
「商店街の北側にある染物屋の息子さんだろう?」
「あ、えっと、はい」
「それがどうかしたのか?」
「……実は俺達、ちょっと巽完二の事で色々と聞いてまわっていて」
「ふうん……」
……どうしよう。
明らかに声色が変わってしまった。
さっきまでは普通に壁に向かって壁打ちキャッチボールをしていた感覚があったのに、突然ふわふわのサンドスライムにボールが吸収されてしまった様な感覚に一瞬で早変わりしてしまった。
彼の地雷はどこだったんだろうか。いや、そんなもの悩む暇もスキも微塵も無かっただろう。だって、ここに来る前に噂話として聞いてきたんだから。
あの巽完二と如月さんは仲が良い、と。
その噂を聞いてやって来たんだ。ならば、それくらいの覚悟はつけておくべきだった。これは俺の純然たるミスだ。反省しなければならない。
「青年にとって、巽完二はどういった人間に見える?」
「え?」
「ただの疑問提示だ。質問はそっちからだが、回答はするから、その前に俺からの質問に答えてみてくれ。青年がどんな答えを返しても、必ず、何かしらの回答はする事を今この場で約束しよう」
取引のようにも聞こえる如月さんからの提案。
詳しくは分からない、現時点において仲が良いという第三者からの感想を人づてに聞いた事しか俺は分からない。
だから、その通りに、その時の俺の所感を、感想を、体感を答えた。
「何というか、最初は学校とかいつだったか放送されたニュースで見た印象が強かったんですよ。絵に描いたような不良。見た目もさながら相乗効果みたいになってますし。でも、商店街を中心としてなんですけど、小さい頃の彼を知っている人達からは今は見た目が怖いだとか、暴力的なところが目につくだとか、昔はあんな子じゃなかっただとか言いながら。不器用ながらもシングルマザーである母親思いなんだとか、手先が器用で細かな作業がとても上手なんだとか、力持ちだからそれを生かして買い物帰りのお婆さんの荷物を変わりに持って家まで送って貰った事があるとか」
シンプルな悪口とか表面しか見ていないといった在り来たりな噂話。表面をコーティングしているものというのは、簡単に手に入るレア度も低い情報というやつなんだろう。
だからいくらでも耳に入ってくる。中身のないガワだけの話。
それじゃあ、意味はない。
昔から巽完二と同様に暮らしているお婆さんお爺さん達から聞けたのは、今の表面的な巽感じと昔の幼少期の巽完二の話だけだった。
それは天城から聞いた一部の昔話と似た内容だった。みんな裏で口を合わせたのかと聞きたい位、口を揃えていた。
「昔はあんなんじゃなかったのに」と言う。
対して、昔はどうかは知らないが今の彼と仲が良いという如月さんならばきっと、他の人達とは違った答えが返ってくると思った。
「だから、今の俺にとって巽完二という人はちぐはぐで継ぎ接ぎみたいな感じなんです。正直、分からなくなってしまっているのが現状で。だから、どんな人だと思うと聞かれても、少なくとも見た目通りのヤツじゃあないってことくらいしか今の俺には言えないです」
一拍、二拍と無言の間。
読んでいた本にオレンジ色か、茜色ともとれる色の栞を挟んで閉じたところで漸く如月さんの返答があった。
「昔からのアイツを俺は知らない。だが、巽完二は優しい少年だ」
回答の切り口はその一言から始まった。
◆◆◆◆◆
ざざーん。
ざざーん。
白波は絶えず、飛沫は絶えず、そよ風は絶えず、絶えず俺は白浜の海岸の上をカカシの如く突っ立ている。
突き抜ける青空はあの頃の夏を彷彿させる。
劈くセミの鳴き声の代わりに心が穏やかな気持ちにさせる漣の音。
時折、鼓膜よりも更なる耳奥より、何なら脳みそを直接震わせているのか、
ゴポリ
と、水中の中を立ち上る空気の音が聞こえる時がある。
しかし、周りを見渡しても俺は変わらず白浜の上にいる。
あの頃の妹のように、父親共々海に拐われたりしていない。
ざざーん。
ざざーん。
でも、そのお陰様で、と言うべきだろうか。
ゴポリ……。
ゴボッ。
海は苦手なものとなった。
なってしまった。
ただ、浜辺に立つだけでこうも息苦しく感じるのだから、きっとそれは、俺自身が認識し、自覚している以上にトラウマというやつになっている。
◆◆◆◆◆
とても今更な話をしよう。
実に意外かと言われるかもしれないし、想像通りと言われるかも知れない話だ。
俺は未だにどうして、巽完二という一人の見た目不良な彼に懐かれているのか。俺自身普通に世間話とかで花を咲かせることが出来るレベルで仲が良くなったのかイマイチ分かっていないのだ。
頭が化け物だとその昔言われてきたこの俺が、このザマで実に馬鹿馬鹿しく腹が捩れてしまう様な話だと、そう思わないか?
少なくとも腹筋が割れる程ではないが、俺自身はそう思っている。
でも、それが巽が優しくて、意味なく無駄に吃りだす俺の事を特別気にすることなく会話をしてくれる奴なのだという事に変わりはないのだ。
夕暮れ時、黄昏時に鳴上少年が店にやって来た。
前回来た時に買えなかった本と今月の五月頭に発売したもの、計三冊を持って無事お買い上げ。
ちょっとしたバイトを最近始めたらしい。なるほどそれは財布の紐も緩んでしまうというもんだ。
で、要件はそれだけかと思えば意外や意外。
本日今朝方より行方不明になった巽の事を聞かれた。朝一の事もあって大人気もなく不機嫌な声を出してしまったから、申し訳ないことをした。
何故、彼が巽の事を聞いてきたのか。
それは何だか聞いてはいけないというか、今の俺にとって越えてはいけない一線がありそうな気がしてやめた。何ならシックスセンスが囁いていた気がしたので。
でも、こんな俺とも仲良くしてくれているのは事実だったから。だから、鳴上少年から巽との関係とか巽自身の事を聞かれたけれども質問内容では普通にそのまま答えてもよかった。
ただ。
ただ、何となくなのだけど。
俺が彼の質問に素直に答えて、何があるのかというのがちょっと気になったんだよな。
俺の元にやって来るよりも前に既に他の人達から巽完二という人の事を色々と聞いてきた筈なのだから。
だったら、俺が質問に答えるよりも前に先に鳴上にとっての彼の事を聞いてもいいだろうと思ったのだ。
お陰様で巽の表面通りの人間ではないという回答があったから、俺なりの満足感を覚えた。
「手先はとても器用で、実家が染物屋というのもあってか所謂そっち系には特に強いイメージだな。店を訪ねたことはあるか? 店内で売られているものの中には巽のヤツが作ったものも混ざっている。後は俺自身が言えた義理ではないが、年相応というか少し遅いかの反抗期的なものもあるな」
それでも家族思いの優しい子というのは変わらない。
そう言いながら俺の中での巽完二という少年のイメージとか、これまでの付き合いから見つけた [[rb:為人 > ひととなり]]の一部分を教えてやった。
それがどうなるのかは、生憎と今の俺には分からないけれど。
鳴上が一通り俺の話を聞き終えた後、「話してくれてありがとうございました」とお礼を言われたその時はイマイチピンと来なかったが。
「……"何か"をしているのか、高校に通う少年少女が」
それは、八月のいつかの時に集まった少年少女達が大人に内緒で始めた作戦を彷彿させる。
俺が稲羽市にやって来て早二年。つまりは作戦が実行されたのが二年前だという事なのだが。
……ははっ、涙が滲み出て来始めている感覚が若干あるぞこれは。
胸の奥から込み上げてくるこれは、この世界にとって俺はやっぱり異物なんだと。自覚させてくれる。
別にマゾじゃない筈なんだけど、それでも嬉しい痛みってやつだ。これは。
「はぁー……。息苦しいなぁ」
別に俺が何をしたという訳ではない。
ただ聞かれた事を、質問に俺なりの回答をして。
それで少しでも少年少女達の作戦の一助になれるのであれば、異世界で作戦をやったいち先輩らしさを見せれたのであれば。俺の心はほんの少しだけ軽くはなるって話だ。
◆◆◆◆◆
少年は目を逸した。
◆◆◇◇◇
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