奇妙な共闘《ジンクス》(下弦の中編)


1:483:37

            

  1. ここ最近、HLでとある噂がまことしやかに囁かれていた。
    この二、三日の話である。
    猫やネゴが、人間の子どもサイズの子蜘蛛の姿が大量に目撃されるようになったというのだ。
    ただ、その事に関して何かしらの被害が発生しているという噂話は一切浮上していない。
    ただ、目撃情報が圧倒的に増えたというだけの話である。
    路地裏に入り込んで覗いてみれば猫が蜘蛛を喰い殺してくるという事もなく、面と向かい合っている奇妙な光景。
    まるで相談しているかの様に。
    何か、情報を交換し合っているかの様に。
    ひそひそと。
    こそこそと。
    隠れて二種の生物達が顔を見合わせているのだ。


    ◇◇◇◇◇


    食屍鬼グールのキミタケによって齎された、蛇人間の野望。
    旧き時代に支配していたモノの一柱をこの現代のHLの街中に招来させようとしているのだ。
    今からおよそ五十年程前に、日本の東京で同じような事をして何の力も持たない一般人探索者達の手によって防がれたというのにも関わらずである。
    しかし、もとより人類がこの星の地上における絶対の霊長類の頂点となった時より地下の奥深くに引っ込まざる負えず。
    更にはそこからも追われて山林に隠れ住み、時には息を殺して人界に紛れ込んできた。
    ひっそりとひっそりと。
    隙を伺うかの様に。
    再び地上に君臨する為に。

    つまりは何が言いたいのかというと。
    連中はたかが五十年程前に一度失敗したからといって、諦めるようないい子ちゃんではなかったという事である。
    でなければ、再びこうして。それもHLで邪性存在を水面下でこっそりと呼び出そうとしないだろう。
    蜥蜴の尻尾切りという訳ではないが。きっと、日本での事件は蛇人間である彼等にとっては似たようなものだったのかもしれないと今ならば思える。
    更におまけで言うと、実は日本よりも土地的な縁で考えるとHLの方が圧倒的だったりするのだ。
    例えば、HLはアメリカの元ニューヨークである。その為、実際にそこにある訳ではないが架空都市として有名なアーカムが直ぐ傍にある。
    神秘が直ぐ傍にあるし、HLの周辺の海に出没している蛸型の巨大な神性存在についてもいつもは居眠りをこいている筈のとある神話で有名なあの邪性存在そのものだったりするし。
    今の所触手でHLに正規方法以外で侵入しようとするものを手当たり次第で触手で木っ端微塵にしている程度で済んではいるものの。いつ完全にその醜悪を極め切った全貌を現すか……。その瞬間色々と面倒臭いの一言では済まされない事態が確実に起こる事だろう。

    様々な縁と要因が絡み合い正に渾沌カオスと呼ぶに相応しい地での邪性存在の招来作戦。
    邪神大戦なるものが起こっても可笑しくない。
    それがギリギリ薄氷の上で防がれているのにも関わらず、それに一石を投じてぶち壊し。それに乗じて地上における蛇人間が制圧権を手に入れる。

    「そう、それがお前ら蛇人間の今回の作戦の目的だ。人間に苦汁を飲まされた日々はそれ程までに辛かったかい?」
    「当然だ。我々は貴様等人類ヒューマー共に宣戦布告を今度こそしかける。罠だと分かっていても食いつかざる負えない哀れな魚以下畜生共にこれ以上好き勝手さ……せ……?」

    ズルりと蛇の頭が首からズレてそのまま重力に従って地面に落ちた。
    場所は地下鉄セントユニオンスクエア消失駅から徒歩で歩いて三十分程の少し開けた場所。
    以前と同じように地下に巣をはっているかもしれないと思って、ヘルモンドは態々駅員に化けて潜ったのだが簡単に当たりを引いた事に嗤わずにはいられない。
    あまりの学習能力の無さに。
    ポケットの中に隠し持っていたハーモニカを手にとって、蛇人間が喋っているのにも関わらず一音だけ鳴らした。
    それだけで、今蛇人間達が立っている地面が隆起し、触手の様に伸びたかと思った途端ヘルモンドの視界にはいっている蛇人間の内取り敢えずといった感じで喋っていた蛇人間の首を落としたのである。

    「ま、私らも人間を辞めてから何十年と既に経ってはいるがな。それでも元人間である事にはなんら変わらんし、今この街は飽きなくってなぁ」

    そう呟きながら、口元に笑みを浮かべながら古ぼけたハーモニカを近づけて行く。
    それに危機感を覚えない程、蛇人間共は平和ボケしてはいなかった。

    「殺っちまえ!」
    「我々、蛇人間を舐め切った人間風情が目にモノを見せてくれるわ!」
    「我々の何百年もの研鑽の秘法を喰らうがよい!」

    等々と口々に叫び散らかしている。
    現在この場にいる蛇人間達は先程首が落ちたのを除いて計十一名。
    即座に仲間に敵襲が地下に現れているという連絡が一人。
    戦闘要員であろう武装している蛇人間五人が一斉にヘルモンドへサブマシンガンの銃口を向けて、引き金を引く。
    残りの五人はなにやらぼそぼそと凡そ地球上の言葉とは思えない言葉を紡いでいく。
    タンというサブマシンガンから音が発するのとほぼ同時にハーモニカから再び一音鳴った。

    交響曲シンフォニア第九番―――新世界」

    場所はHL地上から何メートルか地下を潜ったところ。
    それは蛇人間が百の貌を持つ無貌むぼうの神とも呼ばれる邪性存在の一端に、容赦なく鏖殺される話。
    生憎、毎日が騒動や喧騒と言う名のパレードが行われている街では彼等の絶命時における絶叫は雑音にもならなかった。


    ◇◇◇◇◇


    地下で蛇人間が我らがリーダーによて容赦無く殺されている頃。残り四名は、地上で更に二手に分かれて行動していた。
    今回の依頼人でもある食屍鬼グールのキミタケに教えてもらった蛇人間の拠点inHL支部。その数は計五件。
    本部ともいえる場所を叩けばそれで終わる。普通ならば。
    しかし、厄介な事にこの蛇人間という面々はしつこいに定評がある神性存在の末端の一端だ。
    人間の首を切り落として蛇をくっつけて、全身に蛇の鱗を生やしただけの雑な存在だが、わずかながらの神性存在としての等級を有している。
    あんなのだけど。
    が、悲しいかなその存在としての力はなりそこないの食屍鬼グール以下である。
    その理由はまたいつかの機会として。

    兎にも角にも、しつこさに関しては天下一品レベルの蛇人間の野望という名の面倒事を叩き潰す為に必要な事。それは、HL入りした蛇人間を例外無く殺し切る事。この一言に尽きるのだ。
    ともすれば、これに関してでいうと拠点街にいる蛇人間も仕留めなければいけないが故に探し出す為の目や足といった数が億必要でもあったりする。
    そして、HLに住まう住民達が蛇人間が残している実験結果や魔導書等の数々を全て廃棄処分する事。今回の依頼内容は大まかに言えばこの二点だ。
    そうなると、本部でする仕事の方が実は細かさが圧倒的に多いのと"燃やす"という余計な作業が増える為、先程二手に分かれたとは言ったものの面子は固定されているのである。
    そんな訳で、地上で蛇人間を掃討しきる為の数を用意できるキプロスとエアリエル。特に魔導書を始めとする資料系が数多く仕舞われており世に残しておく方のリスクが集中している本部に足を運ぶのが決まっているパイルとロール。
    地下で現在進行形で大暴れしているヘルモンドを除いた四人はこのようにして二手に分かれていた。

    そんな訳で最初はキプロスとエアリエルの掃討組。
    時刻はヘルモンドが地下に向かっている頃。
    猫又の獣人種であるキプロスは同族の猫達に、エアリエルは自身が契約している邪性存在の眷属である蜘蛛達を使ってHL中に潜んでいる蛇人間を探し出し見つけては丁寧に殺しまわっていた。
    こういう時にかのライブラに所属している愛すべき探索者の持つ義眼が欲しくなってしまう。
    全てを見通し見渡せる、目にまつわる事であるならば何でも出来てしまう神々の義眼。
    アレがあるならば、態々眷属たちが街中を走り回らずともラクに見つける事ができる。
    まぁ、色々とキツめのグロ画像グロ動画をお届けする事になる為にお願いするなんて流石になけなしの良心が疼くというもの。特にパイルが許さないだろう。

    HLを住処とする猫と蜘蛛は実は人が思っている以上に生息しており、それが幸いして二人は街中を彼等の目を借りて見渡す事ができている。
    資金調達の為に、人間に化けて紛れ込んでいるモノ。
    モルモット欲しさに裏で暗躍しているモノ。
    本来の姿とは違うモノに対して、自然により近い生き物ほどそれは異質に視えてしまう。そして、本能がアレは違うといったものを目安に二人は人間や異界人ビヨンドに擬態している蛇人間を特定しているのだ。
    ただ、悲しいかな。
    混ざっているモノも同じように違うと猫や蜘蛛は反応してしまう為に、生体銃なんかもそれに含まれてしまうのが難点か。
    そして何よりも数が想像以上だったのが問題であった。
    それが現時点で不味かった事案である。

    「いや、割と結構これ"入れ替わって"いるにゃ」
    「ふふ、一体どれだけが目の前の人が、隣人が、身内がモルモットにされてしもうてんのか……。入れ替わられているのか、分かっとるんやろうね」
    「少なくともかなり悲惨にゃ事には変わりにゃいよ」
    「モルモットは多分本部やろうね」
    「まぁ、多分ロロロが上手い事やるにゃ」

    場所はHL内のとある路地裏。
    こいつら何時の時でもよく路地裏にいるなとか言わないで上げてほしい。彼女達だって普通にショッピングとかを楽しむ女性の一人なのだから。
    こうやって、路地裏でこそこそとしているのはあくまでも仕事の一環の所為なのだということを理解していてあげて欲しい。
    で、そんな路地裏だが壁にはよくある誰が描いたか分からない落書きアートがあったのだが、その上に綺麗に飛び散った赤い血が台無しにしていた。
    キプロスとエアリエルの足元には血の水溜りが出来ており、今も尚グチャグチャと何かが骨ごと肉を咀嚼している音が響いている。
    普段はもう少しおしとやかに済ませたりするのだろうが、蛇人間という生き物は例えるならば研究職によく就いている程度には実験や魔法、魔術などにゆおく手を出している。
    その中でも厄介なのが『支配血清』と呼ばれるものだ。
    字を見ての通り。摂取した者を蛇人間の思いのままに操れるものだ。

    「いっそのこと、支配血清をHLPDとかライブラに流してみるにゃ?」
    「別にうちは構へんけど……。製造方法とか知らんし、生きた蛇人間も渡す事になるで?」
    「あー……、蛇人間を渡すのは、めんっどくさいにゃ」
    「コッチに無理矢理引き込むようなもんやし、それに今回で一度に蛇の大掃除をしてる訳やし?」
    「言い当て妙にゃ、悲しい位に」

    現時点ではまだ街の四割程度の蛇人間しか殺し切れていない。
    まだまだたくさんの蛇人間が潜んでいるだろうし、中には此方の動きに気付いて街の外へと逃げ出そうとする輩もいるだろう。
    彼等にとって、逃げとは手段の一つでしかなく。簡単に選べる選択肢の一つでもあるのだ。何故なら、また準備等を整えて街に繰り出せばいいのだから。

    だからこそ、数と速度が今回は大変重要であり。そのどちらもを可能とするとなると、どうしても面子というものは固定されてしまうものなのだ。
    本日の行動は午前八時から開始されて、現在は太陽がもう少しで真上に来るあたりである。まぁ、HLは常に濃霧に包まれた街の為、お日様の姿を見ることは出来ないのだが。
    本来ならば、お腹が良い具合に空腹を訴えるところなのだが、今回は朝から蛇を次から次へと注ぎ込むかの様に飲み込み続けている所為でその影響を二人はある程度受けていた。
    つまりは未だにお腹は減っていないのである。
    やれる内にやりまくって一気に追い込むのが何よりもベストだと二人はお互いの目を見合って頷いた。

    ちなみに今回二人はペアを組んではいるものの、常にずっといる訳ではなく。二時間おきくらいに顔を合わせて情報共有等をしてはまた別れてを繰り返している。
    時には地下に潜って追い込む事もある為、どうしても電波が圏外になってしまう事があるからだ。
    次に会うのは、三十分後にお昼を兼ねる為にサブウェイで。
    いくらある程度共有されているといえども、あくまでもそれは感覚のみ。実際彼女らの胃の中は空っぽのままなのだ。

    「そういや、最後に一つ気になった事があるにゃ」
    「ん? 何や言うてみいや」
    「今さ、猫達と蜘蛛っ子達に蛇人間を喰わせてるにゃ?」
    「せやねぇ、それが一番ラクやし、何よりもそうでもしないと今日中には終わらんからなぁ」
    「これって、クライスラー・ガラドナ合意に抵触するのかにゃ?」
    「……"蛇人間"とはいうけど、これらは明らかに"人間"やないんとちゃう? あの合意はあくまでも食人の禁止やし」
    「それもそっか……。じゃあ、大丈夫か!」

    にゃはは〜と気の抜けた笑い声をあげたところで、漸くキプロスは風に攫われるようにしてその場から消えた。
    ついでに蛇人間を食べていた筈の猫やネゴの姿も一緒に無くなっていた。
    ジュルジュルと地面に流れた血を大量の蜘蛛を眺めていると、まだ残っているのにも関わらずワラワラと道を開けるように散らばっていく。
    路地裏の奥の方へとエアリエルが視線を上げれば、奥の方に鈍く光る紫色の人間の子どもサイズの子蜘蛛。
    レン高原の谷を住処とする邪性存在の一種である。協調性が皆無な所為で割と頻繁に共食いをしてしまうのが彼女の頭痛の種なのだが、そこは彼等の生態性の一つとして諦める努力をしている。
    それに今は蛇人間という餌を大量に与えている為、暫くは大丈夫だといいなぁという願望も実は持っているのはここだけの話。

    そんな紫の子蜘蛛が触肢と口器をギリギリと動かして音の無い言葉を発する。
    それに相槌を打つのはエアリエルだけ。
    内容は、今いる一帯の蛇人間は全て食べ終えたとのこと。そして猫達の移動先を聞いて大体の位置を把握すれば、此方の行き先の大体が決まる。

    「ほな、ウチらはキティ達とは少しズレた所に行こか。ちょいと速度をあげて、ね」

    よっこらせと、紫の子蜘蛛の腹部の上へエアリエルは優雅に座り込む。
    定位置に座ったのを確認すれば、振動も最小限に抑えられながら蜘蛛は八つの脚を動かして路地裏の闇の方へと消えていった。


    ◇◇◇◇◇


    カンッカンッと甲高い音をたてながら堂々と薄暗い階段を下りていくフードを目深に被った人影が一つあった。

    場所はHLの街中にある、とあるオフィスビル。
    真っ白な外壁の高層ビルが空へ向かって一本突き絶っているその風景は中々に壮観だ。
    これが濃霧が絶え間なく立ち込めるHLでなければ、の話なのだが。

    フロントの中に一度入ってみれば、大理石などお金をかけれそうな所には一切の手加減をせず手が入っている。中央部には白蛇の大きく立派な銅像が待ち構えており、全体的に外からの来訪者を出迎えるスタイルだという事が一目瞭然である。
    ただパッと見で意外に思えるのが外から見ればオフィスビルでしかないのに、中に居るのはスーツに身を包んだ一般的なサラリーマンから私服姿の老若男女。
    スタッフらしき人影はだぼだぼでフード付きの白の法衣を身に纏っている。
    そう、ここは見た目はオフィスビルではあるもののただのオフィスビルには非ず。
    日本を拠点とする『白蛇の家』という宗教団体のHL支部。その中でも一番大きな『白蛇ビル』と呼ばれる建物なのだ。
    が、そんな明るい農村みたいなノリの宗教ビルのフロントとは打って変わり、地下へと続く階段は薄暗く、鼻につく鉄錆の様な臭いと時折聞こえてくる小さな悲鳴と絶叫が地下から轟いている。
    ちなみにこれは蛇足だが、下の階からする鉄錆の臭いよりも上から漂ってくる何かが燃えたかの様な臭いの方が現在キツイ。
    本来ならばその時点で何かしらの騒ぎがあって当然の筈が不思議かな。
    上の階は酷く静まり返っており、聞こえる音は階段を降りる際の音と先程よりも鮮明に聞こえて来た地下からの悲鳴。そして、地上のそれも外の方から微かに耳に届くサイレンの音だけだった。

    地下五階に位置するところでようやっと最下層に到着したらしく、フードの人影は一息ついた。
    下るだけとはいえ、地上一階から地下五階まで休憩なしというのはそれなりに疲れるものなのである。決して、運動不足とかそういうわけではなく。
    目の前には防火性の鉄扉とその直ぐ横の壁に現在地を表す為の『B5F』の標識。
    そして珍しく今回は結構暴れたらしい。
    ヒビだらけの壁の隙間からは蔓が生えてこんにちはと言わんばかりに顔を出している。

    「一人パーティ並に随分と盛り上がっとんなぁ……」

    意味が無いと分かってはいるものの、取り敢えずは扉にノックを二回。
    返事は何か沢山の喚き散らかした声が中から聞こえてくるけれど無視だ無視。
    ドアノブを回してドアを押して開けようとしたものの、少しの引っ掛かりを覚えた。随分と重く感じる鉄扉は見た目の割に歪んでいたらしく思わず口元が緩む。
    足も使って開ければ、樹海の入り口と言っても何ら謙遜のない廊下らしき道が一本、眼前に続いていた。
    壁からは種類問わず、何なら本来ならば生息地が正反対であろう樹木が所狭しと生えている。当然樹木なのだから、葉っぱも沢山生えている。
    天井に備え付けられていたであろう青白く光る蛍光灯はまだ生きてはいるものの、覆い尽くさんばかりに生えた葉っぱによって隙間から僅かに確認出来る程度である。
    床は此処より更に地下から樹木が生えている所為か、根っこによってタイルが持ち上げられており正直に言って歩きにくい状態だ。
    ここまでの惨状をつくりだした本人は一体全体どこにいるんだか。普段しか知らないヤツが見れば到底信じられない光景だろうが、彼女もまた立派なコンダクターなのである。
    だから、彼女からしてみれば研究者である蛇人間を母体にして木を生やすなんて事は、実は朝ご飯を作るよりも簡単な所業だったりするのだ。

    「……ぉ」
    「ん?」

    フードの人影が好き勝手生え伸びている木の根っこに足を引っかけてしまわない様に気を付けて歩いていると、壁側から微かな呻き声が上がった。
    声がした方を見下ろしてみれば、苗床にされた哀れな蛇人間が一人。
    背中が完全にパックリと花開いて中から大きな樹木が我が物顔で生えている。ついでに伸びた根っこによって足のあった部分が完全に潰れており、隙間から僅かに赤黒い液体が見えている。
    そのまま無視して進むのも良かったが、それでも足は止まった。
    虫の息で今にも死にそうにな状況であるのにも関わらず文句の一つを文字通り命をかけて口にしようとしているのを眺めてみるのも悪くないと思っての行動だった。

    「……人類種ヒューマーなど、に……加担する。指揮者狂い共が……」
    「お、思っていた以上に人間の言葉が上手いやん?自分」
    「くくっ……、呪われて……あれ。呪……あれ、蛇のの……ろ……」

    呪詛に近い呻き声を僅かばかり発したかと思えば、元々限界だったのだろう。
    パキッという音がしたかと思えば、蛇人間自身の肌だったところが樹木化していく。
    足の方は既に委縮しきってしまっており、見るに堪えない有様。
    腕からは根っこが伸び始めて、お得意の実験等出来ることはないだろう。

    「……なんや、もっと頑張るかと思ったけどそんだけかいな」

    つまんないのと言い捨てて、完全に樹木と同化してしまった蛇人間への興味は完全に終わった。
    その後は結局一瞥もくれてやることはなく、そのまま森の中の様な廊下を歩き続ける。
    二、三分程歩けば研究室と思しき横穴から廊下以上の光源が漏れていた。
    そこにひょこりと覗き込んでみれば、この異様な森を作り上げた張本人が沢山の本に囲まれており。黙々とHLに移り住んだ蛇人間達の研究成果ともいえるレポートに読み耽っていた。
    パイル・ぺブリック。
    あだ名はパルプンテ。たまにクラシカルのメンバー以外の人に本名よりもあだ名の方が長いということに弄られる。
    『白蛇の家』の地下を混沌の森へと変貌させたその人である。

    普段時であれば、メンバーの誰よりも大人しく常識人なのだが彼女の多すぎる地雷を一つでも踏み抜いてしまえばコレなのだ。
    そしてコレをした後に本来の目的である魔導書と一応として、蛇人間達が一体何の実験を繰り返していたのかとかの研究成果を調べる為に熟読しているのだろうが……。
    彼女のそんな様子に溜息を一つ零してから、次はさっきよりも声を大きくして呼びかけた。

    「おーい、楽しく読書タイムに耽るのは構へんけど魔導書とかはちゃんと見つけたんか?」
    「え、あ、あれ? いつの間に来てたの? ローちゃん」
    「来てたんですぅ、てか生やしすぎちゃう? 歩きにくいんやけど」
    「ごめんごめん、モルモットにされてしまった人達を見てたらちょっと、ね」

    その"ちょっと"で、主に地下で研究をして過ごしていた蛇人間が全滅。
    結局のとことは、普段がどれだけ真面目で常識人の皮を被っていようとも。彼女もまたコンダクターの一人という訳だ。
    廊下全てを埋め尽くさんばかりに生やしたンガイの森の一端が出来上がっている光景というのは、ある種笑い話レベル。
    そう、誰も笑えないお話だ。

    「で?それは何?」
    「『屍食教典儀』の写本の一部を抜粋されたヤツをフランス語で翻訳したモノを更に蛇人間が英語にして書き直したと思われるモノ」
    「……はぁ?」
    「あっはは! そうそう、私もローちゃんと同じ反応したよ! あははは!」

    『屍食教典儀』とは、有り体に言うならば一七〇〇年の頭頃にフランス国パリで個人間に刷られて出回っていたカルト系の"本物の魔導書"である。
    空想されたものの妄想の落書き。
    記録として残らない筈だった現実に確かに行われた大義名分の下の凄惨な正義執行の数々。
    笑えてしまえる本当の話の数々。

    その他にも、ラテン語で書かれた『エイボンの書』のを一端。
    他にも、まぁ色々、いろいろと素敵で楽しい魔導書があった訳だけれども。
    どれもこれもが、普通の人間が一頁分でも読み込んでしまえば狂気の沙汰のあまりの加減に眩暈を覚えてしまうのは確実だろう。
    中には軽く発狂してしまう者が現れてしまうかもしれないし、深淵を僅か乍らも覗き込んでしまうという行為である事には変わりが無い為に。
    まぁ、クラシカルに所属しているコンダクターはそもそも深淵の底で好き勝手に寛いでいる連中ばかり故に。こういった魔導書の一端やノートにしたためたものとかを見ていても、他人の黒歴史をおかずに今日もご飯が美味しい状態なだけなのだ。

    未だにくすくすと笑いながら、パイルが英訳された屍食教典儀をペラペラとめくって読んでいるのを尻目にロールは改めて研究室の中を全体的に目星する。
    パイルがまだ本気で潰しかかっていない為か、研究室は廊下や道中で中を覗き込んだ時の他の部屋と比べたらまだ原型を保っている。
    巨木の根っこの一部や草叢が生えて虫が湧いてきている。こういった研究室特有の薬品臭が所狭しと充満しているのは床に落ちて割れた試験官やフラスコとかが原因だろう。
    何なら、それらのすぐそばに元が何だったのかよく分からない黒ずんだ肉片なども一緒に落ちているのだから、真っ当な場所では無かったのが素人目でも分かる事だろう。
    時折ピクピクと蠢いているのは見なかった事にして、そのままロールは敢えてソレを踏み潰した。
    あくまでもただの肉片だった為に、ゴキブリを踏んでしまったような感覚は足裏からは伝わってきていない。
    そのまま室内を散策していると、研究室の奥に窓枠一つすらない鉄製の重厚な扉が一つ。
    白を基調とされた研究室には似つかわしくないそれは、異彩を放っており別の世界を隔絶させる為にワザとそうしているようにも感じる。

    普通ならば、誰もその扉を開くどころかドアノブに手をかけることも。近づくことすらしないだろうそこにロールはお構いなしにドアノブを捻って開け放った。
    無謀と勇気を履き違えるという行為は、他者からは如何見えているのか。
    ドアを開けた途端一番に襲い掛かって来るのは、鼻を突き刺さんばかりの腐臭とその数を軽く想像させる鉄錆が混ざったそれ。
    絶妙なハーモニーを奏でるそれを香しいスパイスと喩える者がいるのであれば是非とも窺い知りたい程だ。
    思わず眉間に皺を寄せて、鼻を腕で覆いながらも一歩、二歩と中に入り込めばそこは正に"渾沌の樹海"。
    廊下で見かけたのと同じように木の苗床となった沢山の蛇人間だったモノとそれ以上の数の木製の十字架。
    それはパイルが作ったHLの住民達の墓。
    中には異界の住民だっているだろうが、まぁ蛇人間達からしてみればサンプルが増えた位の認識でしかないだろう。そこに大した差など無い。

    「(……はぁーん? 道理でパルプンテがやたらとテンション高い訳やわ)」

    パイル・ペブリックは、コンダクターしかいないクラシカルメンバーの中で唯一と言っても過言ではない程の常識人である。
    それは"人間としての常識を持っている"という事。
    例えば今回の様に、何の罪も無いHLの住民が蛇人間達に拉致監禁され実験用のモルモットとして利用された挙句に、魔術の媒体扱いを受けている理不尽な様を目撃してしまえば"怒る"。
    人間としての感性をクラシカルの中で未だに多く残しているのがパイルなのだ。
    だからこそ、より凄惨で悲惨で傍からみれば悍ましい光景を作り出す事が出来る。
    お陰様で暴走しやすく被害も甚大になりやすいというちょっとした欠点もあるのだが、それはそれ。
    "最悪"と比べれば、全てがマシになってしまうのが世の常である。

    「(別にこの程度の光景なんか、この街じゃあ特別珍しくもないやろに)」

    目深に被っていたフードを外して、胸の上で十字を切る。
    それでも、今目の前に広がっている光景を見ても"この程度"という認識と感想以外、何も思い浮かばないロールにはそれしか出来なかった。


    ある程度の目星は済み、更には他の部屋を軽く探索してみたものの邪性存在との接触を試みている怪しい邪教集団の域を出ない程度という認識を改めて設定し終えた。
    蛇人間の研究成果である超化学の結晶とも呼べる代物は、既に粉々に。
    研究室から続いていた実験室の他に、標本室というセンスの悪い部屋は中に入れないレベルで樹木が所狭しと生えまくっていた。これがギリギリ地上にまで姿を現していない辺り、パイルの必死な理性の努力が垣間見えた。
    ぐるっと地下を一周し終えたところで、漸く満足したのか両手いっぱいの魔導書を持ってパイルが研究室から出て来る。

    「もうええんか?」
    「うん、十分楽しんだわ」
    「ならええわ」

    腰からぶら下げていた小さな鐘を手に持ってカランと一つ音を鳴らした。
    それだけで、パイルが持っていた魔導書は全て青く燃えて灰となる。当然パイルの手に火傷なんて一つも無い。
    本来の目的である魔導書の焼却。
    蛇人間達が変な回りくどい翻訳、大半が正気を疑い失ってしまうような内容が書き連ねられた代物。
    誰にも読まれてはいけないモノならば存在している意味も価値もない。だったら早々に焼却処分してしまっても何も問題ないだろうというのが今回の仕事を請け負った際のクラシカルの判断である。

    「上の方ではどんな感じに暴れたの?」
    「燃やしただけや」
    「それじゃあ、裏口からしか外に出れないじゃん」
    「裏口は防火扉やったって、連絡入れたんはそっちやろ」
    「まぁ確かにそのつもりでグループで連絡は入れたんだけどね?全部丸コゲじゃん、判別とかつけにくそー」
    「木の苗床にした奴にそこまで言われたないわ」

    一拍。

    そしてほぼ同時に二人揃って、ぷって笑い出した。
    流石に三桁はこの場ではいかずとも、少なくとも今回の仕事で三桁近くの蛇人間は確実に殺されたというのにも関わらず。燃える建物のホールを背景に笑い合う。
    実に似つかわしくない爽やかな一時の風景。
    いや、本当に背景が実にミスマッチ過ぎるのだが。ついでに二人の会話の内容も実に物騒の一言である。
    地面に燃えながら倒れている黒い影には一瞥もせずにそのまま裏口の方へと歩いていく。
    他愛のない会話をしながら。
    天井からぶら下がっている非常口の掲示板の通りを歩いていけば、いつの間にやら目の前には裏口にもあたる防火性の鉄扉。
    建物全体を燃やしたというのもあって、流石に高熱を持っているであろうドアノブを捻るのは当然の如くロールである。その時にふと、気になった事を思い出した。

    「そういや、パイルって"委縮"の魔法なんていつの間に覚えたん?」
    「え? 私、"委縮"は相性が悪くてよっぽどな事が無い限り使わないよ?」
    「……うん?」


    ◇◇◇◇◇


    ここ最近、HLでとある噂がまことしやかに囁かれていた。
    始まりは今から二週間も前の話。
    爬虫類の蛇の姿の目撃例が先の猫や蜘蛛よりもずっと多く増えて来たという井戸端会議等で話題になり始めた時のこと。
    関連性にしては未だに確固たる情報はHLPDにはなく、また世界均衡を目的としているライブラでおそういった話がHLPDの方で少々話題になっている程度のものでしかなかったが。
    身体の四肢が委縮してしまうという事件が少しずつではあるものの増えて来ていた。
    被害にあった者は人間から異界人、果てには動物に至るまで区別なく。
    何かしらの呪いに限りなく近い魔術が原因と言う以外何も判明しておらず。何が原因で、きっかけでその様なことになったのか。
    関連性、統一性、目的の何一つをとっても不明過ぎて異界人が少しではあるものの減ってしまった程である。
    ただ言えるのは、明かな実害が起こっているという事だけか。

    噂は虚空に空しく響き囁かれる。
    口々に紡がれる言葉は絶え間なく解かれ霧散していく。
    そんな中で地面を這う蛇は二股の舌をいろりと出してうすら寒い笑みを浮かべていた。



- ナノ -