あだ名とは、呼ぶ人が呼ばれる人の印象を凝縮させた結晶である。


 物語とは人生に喩えられる事がままある。
 そして小説一冊を書くという事は、筆者の人生を書き起こすのと同義だと喩えられる事もまぁそれなりにあったりする。
 そのひ、人間でありながら特性が“ものひろい”なのではないかという男が人を一人拾った。
 それが何だときっと誰しもが思う事だろう。
 しかし私がその報告を聞いて思った事はただ一つ。
 ずっと、ずっと、気になっていてご飯に手を付ける事すらままならず、夜もロクに満足に眠れない程にお預けをされていた一冊の本の表紙を捲った時の様にして。
 その瞬間にこの世界の物語が始まったのだと、私はそう漠然と思ったのだ。
 
 
 ―――ジゼル・リンカーネイション。或る日の日記より抜粋。


   ◇◇◇◇◇


「『いいよカード』、ねぇ……」
 期間は半月と三日。
 世話になっている武装探偵社が拠点を置いているヨコハマから出張という名目で離れていた間に流れた月日だ。
 昔取った杵柄で、人よりも知っているだけだと何度も何度も口酸っぱく伝えていた筈の一般事務員である私は、何故か探偵社の中で神話的現象担当という不名誉な役によってヨコハマから離れていた。
 知識と今は異能力によって出現する異能獣と化した家族達がいなければ、私は手も足も出ない一般人の筈なのに。
 全くもって解せぬ。
 なのに付き人のつの字も無く。一人で行かされた始末。
 一般事務員として雇って貰っている筈なのに、何故に前線メンバーと同じ様に身体を張っているんだ私は。
 そんなくたびれた状態で、報告書だけは新鮮な内に済ませようと探偵社に足を運んだのが私の最後の運の尽きでもあった。
「そう、もう少ししたら『いいよカード』を持った新人が挨拶に来るだろう。そして、彼に何かしらの対価もしくは条件を要求する事になる」
「……私、別に新人に求める事なんてなぁんにも無いんですけど。つか、今現在進行形でへろっへろな状態なの分かって貰えます?名探偵さん」
「それは仕方がないよね。神話的現象と対峙した時に一番被害を抑え、更には無傷で帰って来れる社員ともなれば君位しかいないんだから、ねぇ?異世界旅行者トリッパーさん」
 わはははと私の口からは力の無い、棒読みに近い笑い声が。
 名探偵の乱歩は純粋に楽しそうに笑い声をあげる。
 対称的過ぎるだろ、ここだけ。温度差が激し過ぎて風邪ひくわ。
 眠いし疲れたしとっとと報告書を纏めて社長に提出しよう。新しく入社してきた後輩とカードの説明を受けはしたけれど生憎今の私には関係の無い話だし。乱歩の言う対価やら条件やらが本当に思い浮かばないし。
 何よりまだその新人君と出会ってすらもいない。
 ちなみに『いいよカード』に押す『いいよ判子』は社員それぞれがバラバラの可愛らしいポイントマークの判子だった。
 私はゲーム機のコントローラーみたいなマーク。
 これ、もしかして社員一人一人のイメージマークを探して買って来たのかな。だったら、少し面白い気がする。
「そういえば、今回の神話的現象はどんな感じで解決したんだい?」
「自慢の頭で既に推理済みなんでしょう?なのに一々聞く理由は?」
「そんなの時間稼ぎに決まってるでしょ、何を当たり前の事を」
「はぁ?……あ」
 乱歩の言っている意味をイマイチ理解しきれず、聞き返そうとしたタイミングで事務室の扉が開けられた。
 ここでとても今更な話をするのだが、武装探偵社は九時から始まって十八時で終わるのが定時である。そこから片付けやら掃除やらをして遅くなっても十九時頃にはほぼ全員が帰れる。余程の忙しくも面倒臭い案件が入って来なければ、の話だけれど。
 そして現在の時刻は、二十時過ぎ。
 というか、既に半を過ぎている。
 およそ殆どの社員は帰路についていて、未だに会社にいるのは駄弁るのを目的としたよっぽどの物好きか、疲労がピークに達して明らかに変なテンションで残業をしている馬鹿くらいなものである。
 名探偵江戸川乱歩は前者。
 私は圧倒的に後者である。
 でなきゃ、帰って来て挨拶も手短に済ませて報告書と睨めっこなんてしていない。
 今の私の心を癒すのは、机の隅で丸くなって眠っているピカチュウだけだ。
 私は夜遅くまで会社に残っている奇特な人種はこの二つだけだと思っていた。
 事務室の扉を開けたのは、まだどことなく幼さを感じる十代後半くらいの青年。いや、もしかしたら成人しているのかもしれないけれど、見た感じ明らかにモヤシだ。あの食べ物の。
 サイズが微妙に合っていない上に何処となく似合っていない砂色の長外套コート
 武装探偵社の世話になってから、未だ一年と経ってはいないもののこれだけは断言出来た。
 乱歩は私と彼を出会わせる為に、自ら時間稼ぎを買って出たのだと。一体何を餌にされたのやら。
 疲労困憊な私は今この瞬間になって漸くそれを察する事が出来たのだった。
「……あー、うん。君は何も悪くないんだろうしあったとしても責められはしない。だから敢えて聞くわ。どちら様?」
 ニヤニヤと嫌らしい顔をする名探偵が物凄く鬱陶しい。
 テンションハイにして何かしら猪突猛進気味なゴールドよりもそれの方が鬱陶しく感じるのは何でだろうね。あれか、宝である思い出は至高だからとかそんな現象なのかな。ああ愛しきかな輝かしいあの日の思い出みたいな。
 疲労感の所為で頭が寝ているし。
 瞼が非常に重い。
 これ報告書の文字大丈夫かな、ミミズになってたりしないよね。
やつがれの名は、芥川龍之介。お初に御目にかかる、先輩」
 これが、私の後輩となる彼との初の顔合わせ。


   ◇◇◇◇◇


 時は流れてゆく。
 何処か歪さを感じる白と黒が反転した壮大な喧嘩が終わってからというものの、常在戦場の如く常に張りつめて殺気立っていた後輩が少し丸く緩んだ様な気がする。
 やはりどこかの週刊少年雑誌みたいに、鏡の様な立ち位置の相手と殴り合うと何かしらの成長というものがあるんだね。
 生憎、彼が『ポートマフィアの白い死神』とどういった事があったのかは知らないけれど。
 異能力を発動させて作りあげたハンモックは、ものの二分で乱歩を眠らせる事に成功した。
「ジゼル先輩、コレを見てくれ」
 休憩時間というのものは、各々が好き勝手過ごす時間だ。
 お昼休憩も兼ねている為、コンビニや家からお弁当を持ってきていない者は外へと食べに出かける。
 私はコンビニで買って済ませるタイプだ。早々にお昼を済ませれば、いつもの様にゲーム機の電源を入れて遊ぶのだ。
 ヘッドフォンを耳にあてて、2Dのスライド式アクションゲームで隠しアイテム探しに性を出していれば、肩をぽんと叩かれて意識がそっちに強制的に引っ張られる。
 振り向いて見れば、芥川が一枚の紙を持って少し自慢げな顔をしていた。
「先日、与謝野先生による健康診断の結果だ。体重が著しく増えている」
「おー、やるじゃん?初めて会った時のモヤシやっつんの体重と比べたら白ネギやっつんに進化してるじゃん。平均とはまだまだ程遠いけど」
「一食と少しだった量も二食と半分にまで増えた」
 私が芥川に『いいよ判子』を押す為に出した条件は、簡単に言えば食生活の改善である。
 一日一食どころか、川縁に生えている蒲公英や無花果がその時その時食べる事が出来ればそれでいいという思考は、女医である与謝野の琴線を見事に触れた。チェーンソーを振り回す女医の姿はさながらクリスタルレイクで大暴れするあの大男を彷彿させる程のものだった。
 そして、まぁ私も妹を探すなり、浚った男を如何にかするにしても見た目モヤシな芥川には圧倒的に体力や力が不足しているんじゃあないかとは思ってはいた。
 そんな訳で先の条件を提示した訳だ。
 食生活の改善。具体的には日常的に一日三食食べれる様にする事とガリガリのモヤシ以下の体重を男性の平均年齢体重にまで増量させる事。
 ウエイトが無いから紙みたいによく吹っ飛ぶし、体力が無いせいでか少し走れば直ぐに息が切れる。何より私が言うのも何だが、そういったフォローを全て異能力で補ってしまっているのが問題じゃあないのかと思っての条件だった。
 ちなみに一緒に仕事をしない事が無いという事は流石に無い訳で。一緒に行く時はほんの少しの差でも先輩に位置するから、お昼は奢ったりしてたりする。
「これでまた、ジゼル先輩のヤドキングに吹き飛ばされても即座に反撃に出る速度が上がった」
「その時は頭上から大量の水でもぶちまけてあげましょうかね」
「おい芥川、この書類の山を悪いが細断しておいてくれ」
「呼ばれてるよ、シュレッダー大使やっつん」
「了解した。直ぐに刻み尽くしてみせよう」
 あ、ちなみに後輩少年とも最初の方こそは思ったけれど、少年って歳でも無い上に同い年だという事が判明したのでその特徴的な一人称から彼の事は『やっつん』と呼ぶ事にしました。
 ある意味誰よりも一番あだ名っぽくなったのは此処だけの話である。
 そんな感じで私は、新人の芥川が増えた探偵社で今日も生活している。




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