> Because, it’s sweet sweet tears.





 “全ての人間を愛してみせよう”という想いは、なんの悪戯か新羅がきっかけで打ち砕かれた。
「彼が平和島静雄くん」
 来神高校の校庭で、あまりにも簡単に紹介された人間に、一瞬にして俺の世界が壊されるのを確かに感じた。夕闇の中、地に伏せる多くの他生徒、無残な形になったサッカーゴール、彼の手に握られている歪な形の標識。紹介された平和島静雄という男は、人間というに分類にいながら人間ならざる力を持っていた。
 こいつは、俺が愛を向ける対象に入るのか? こんな化け物みたいな力を揮う人間を、俺は知らない。
『化け物みたいな』
 紫電一閃、とはこのことをいうのだろうか。一瞬にして、俺は平和島静雄を愛してはいけないと悟った。ここでこの男に愛を向けては今までの行いが全て無に還る。妹たちに肉親の情を向けなかったことも、人間を理解し愛すためと言って多くの人を罠に嵌めたことも、新羅を見返すことも、全部全部全部。
 潜ませていたナイフで、初めて人を切りつけた。肌身離さず身に付けていたけれど、使うのはこれが初めてだった。目の前の男は俺の不意打ちに反応できず、見事に血を流した。深く切りすぎたと思ったのに、うっすらとしか傷ついていない。やっぱり化け物だ。
 化け物は、化け物のことは、

 愛してはいけない。

「君は人間じゃないから、嫌いだよ」
 初めて嫌いになった化け物は、俺のことを気に食わないという。それじゃお互い様だね、と嫌悪の塊を吐き出した。その時横目で新羅を見れば、彼はいつもと同じように――レンズ越しに揶揄すような色を浮かべていた。


***


 俺は自分の不安定さを知っていた。昔を思い出しても仕方ないと理解していても、引き金が引かれたように次々と過去が蘇る。

「臨也はさぁ、結局静雄のことをなんだと思っているんだい?」

 煩わしい幻聴が俺を苛んでいく。いくら頭を振っても、新羅の面白がる声が消えない。

「君は私を羨んでいただろ。人間に興味がない僕だってそのくらい分かるよ。僕がセルティを愛して人間に無関心だったから、君はそれに対抗するように人間を愛しているんだろう? でも静雄がいた。君はいつも静雄を化け物だから大嫌いだと吐き捨てているけど、それなら罪歌や罪歌の子はどうなるんだい? 彼らだって人間という分類に入るか微妙なラインだ。それなのに、君はあえて静雄だけを嫌いだと声に出す。君の中で静雄だけがイレギュラーな存在として刻まれているんだ」

「うるさい、黙れ――」
 頭の中で反響する声、声、声。消えない、煩わしい、五月蠅い、気持ち悪い、吐き気がする。

「なんで無関心になろうと思わなかったんだい? 君くらいの頭があれば、こんな簡単な方程式くらい、とっくに気付いているだろうに。僕が人間に無関心なように、君も静雄に無関心になればいいじゃないか。やっと見つけた化け物なんだ。存分に関心を失えばいい。なのに何かと言うと君は静雄に対して刺客を差し向けたり自分で罠に嵌めたりして遊んでいる。少し矛盾しすぎだと私は思うんだよね。肉親――九瑠璃ちゃんと舞流ちゃんですら歪めてしまった君が、なんでそんなこともできないのか考えたことあるかい? そもそも考えようとしたことがあるかって聞いた方がいいのかな? ねえ、静雄は君にとって何なんだい?」

「黙れ!」
 たまらず、空気を全て吐き出す勢いで、怒鳴った。ここまで大きく声を上げたのは久々だった。一呼吸置いてたっぷり酸素を吸い込むと、知らず強張っていた身体を弛緩させる。あとに残ったのは濃い倦怠感だけだ。
「………………お前に、言われなくても」
 なんで名前を呼ぶだけでこんなにも辛くなるのかずっと前から分かっていた。そうだ、分かっていた。
 だって、あまりにも早く瓶から溢れ出ていくから、必然的に気付いてしまったんだ。誰よりも中身が早く溜まってしまった瓶を落として割ってしまいたい。でも割った先に待ち構えているのが何なのか、この回転のいい頭でも考えることができない。シズちゃんに会ってから闇雲にしか走っていない自分が惨めで、解放されることのないこの生活が辛かった。
 本当は、シズちゃんに気付いて欲しかった。俺が動けないなら、向こうから近寄ってきてくれればいい。身勝手な話だ。命がけの追いかけっこに意味を見出しているのはきっと俺だけだろう。彼が俺の名を叫んでくれるあの瞬間だけが、冷えた心の温度を取り戻す唯一の方法。怒りでもいい、憎しみでもいい、なんでもいいから名前を呼んで欲しい。その瞬間だけが、矛盾の中で生きている俺の唯一の――

「――――死ねよ、化け物」

 とうに瓶から溢れ出しているのは、きっと混濁した甘い甘い涙。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -