> 心恋





 綺麗にしたベッドに腰をかけて煙草を吸う。咥内に残る苦味を飲み込めば燻った欲をかき消してくれるような気がして、また一つ紫煙を吐き出した。
「あちーな……」
 額に浮かんだ汗を首にかけてあったタオルで拭いながら、がしがしと頭も乱暴に拭いていく。火照った身体のまま熱い湯を浴びたため、暑くてTシャツすら着る気が起きない。今の内に熱を下げておかないと、また始めちまいそうだ。
 悶々と煙草を吹かしていれば、ガチャリとドアが開いて寝巻姿の臨也が現れた。くぁ、と大きな欠伸をしながらベッドの中に潜り込んでいく。いつもなら自分の部屋で煙草を吸うなとか騒ぎ始める癖に、今日はそんな気分でもないらしい。電気を消して俺も布団に入れば、張りつめていたシーツに皴が寄っていった。
 やけにでかい枕に散らばった、まだ湿り気を帯びた黒髪を梳いてやる。髪を弄られるのは女になったみたいで嫌だ、と嫌悪感を丸出しにしていた本人は今、大人しくされるがままになっていた。
「もう少し髪乾かさねぇと風邪引くぞ」
「シズちゃんに言われたくないよ」
「俺は乾かした」
「まだ濡れてるじゃないか。シーツも湿ってるし」
「それは手前がドライヤーも持たせずに俺を部屋に突き返したからだろ」
 甘いピロートーク、なんて望んでない。なのにいつも以上に言葉の多い俺と、口数少ない臨也の姿に違和感を覚える。
 正直、なんで俺がこんなやつとこんなことをしてんのか分からねぇ。別に今も女に困ってるわけじゃない。臨也とヤるときは、元々受け入れるべき器官でないとこに突っ込むから前戯も時間をかける必要がある。入れてからも配慮が必要だ。元々気が短いってのに面倒臭い男の方を選んで抱いてる理由なんて、一つだった。

「抱いて欲しい」

 まるで何かに追われているかのように眉を寄せて、唇を震わせて、ただ一言。切羽詰まった声で臨也がそう懇願してきたから。本当は男を抱くなんて願い下げだったし、しかもそれがあの憎い折原臨也だとすれば尚更だ。当然の如く断るはずだったが、ふと気付いちまった。
 こいつを満たしてやれんのは俺だけだ。
 臨也直々の指名で、俺が、俺だけが、それに答えてやれる。そう思うと悪い気はしなくて、次の瞬間には頷いていた。
 そんな風に思っていた臨也を可愛いと思うようになったのは、いつ頃からだろう。猫みたいに擦り寄ってくる様は、俺の気分を高揚させるようになった。初めは優越感こそ感じても、女との時のような気持ちよさを感じられねぇから、一回抜くだけで終わりにしていた。それなのに、何度も交わるようになったのは大分前のことのように感じる。
 けれど、臨也は知っているはずだ。俺が今も色んな女と繋がりが合って、性別は違えど手前がその中の一人だということを。それを甘んじて受け入れるような玉じゃねぇと思ってたのに、何も言ってこない。そのことに少なからず苛立ちを覚えていた。
「ちょっと……痛いんだけど」
 苛々と比例して髪を梳いていた手に力が入ったらしく、講義の声が上がったが、簡素な謝罪すらせず黙り込む。元凶はこいつだ、なんで俺が謝らなくちゃならねぇ。
「こんなこと女の子にしたら嫌がられるよ。女って生き物はムードを大切にしたがるんだから、気をつけたら?」
 淡々と並べられる言葉にさらに煩わしさを感じた。あれだけ痛々しく訴えてきた奴の台詞とは思えない。手を止めて、じっと臨也の顔を伺う。奴は余裕な笑みでもなく、挑発的な目をするでもなく、ただ当たり前のことを告げたんだという、澄ました表情を貼り付けていた。
「俺はシズちゃんのこと好きだけど、シズちゃんはそうじゃないだろ? 練習でいいからちゃんと優しく扱ってよ」
 手前の方がムード壊してんだろ、と呟けば、そうだね、と綻びる。その笑顔を、やはり可愛いと思う。俺は臨也を好きだと感じたことはなかったが、こいつから好きだという単語を聞く度にくすぐったい気持ちになる。そう感じる回数は確実に増えた。相手に好かれるのは、むず痒い。普段感じないような感情に翻弄されて、どう対応したらいいか分からなくなる。
「特定の相手ができたら真っ先に俺に報告してほしいな。そうしたら、ちゃんとその人がシズちゃんのこと想ってるか調査するからさ。シズちゃんは変なのに引っ掛かりそうだからね」
 本気なんだかそうじゃないんだか見当がつかない。唇は孤を描いてはいるものの、表情は複雑そうだ。どう反応していいのか分からず、適当に相槌を打って流した。
 臨也は、抱いてくれ、と言ってきたくせに、何度も好きだというくせに、いつも俺に頓着のないような態度を取る。女が他にもいることを知ってても何も言ってこない。いずれできるだろう相手の話しも平気でする。そのくせ、行為の最中は縋るように求めてくる。その時だけ許されているみたいに、毎回。
 臨也に対する気持ちは未だはっきりしないままだ。俺はこいつを愛しているのか、周りの女たちと一緒なのか、好きだと告げられる度に感じる感情はなんなのか、これをどう形容するのか。もう随分と時間は経つのに理解できないことだらけだ。でも、必要とされていることを一度だって気持ち悪いと思ったことはない。
「なぁ、」
 そんな取り留めのないことを考えながら、腕の中にある温もりに問いかける。今はあまり喋る気分じゃないのか、生返事しか返ってこない。どうやらさっき自分で言った言葉が響いているらしい。少し強めに目を瞑ってるのか、睫毛はふるふると震えていて、アホか、と溜息を吐いた。
「――手前が俺を好きだと思うように、俺も手前を好きになってみてぇ」
 驚くほど、その言葉は素直に零れ落ちた。感情は正常、苛立ちの波もなし。ただあるのは、凪いだ心に一滴落とされた甘い液体が、じわじわと侵食していく心地良さだけだ。
 臨也は俺の台詞に物凄い衝撃を受けたらしく、紅い瞳は驚愕で見開かれていた。いつもは饒舌に言葉を紡ぐ口はぱくぱくと開閉するだけで、何も出て来ない。その代わりに、肌は首まで真っ赤に染まっていた。
 当然の反応を前にしながら、そういえばこいつを翻弄するのは久しぶりだな、と見当違いのことを考える。未だに恥ずかしそうにあーだかうーだか声を漏らしている臨也に優越感を得ずにはいられない。
 戦慄く唇に軽くキスを落とすと、思いの他すんなりもらってくれた。そのまま臨也の唇を何度か軽く啄ばむ。漂う香りはいつも臨也が使ってるシャンプーの匂いで、それが何故だか愛おしく感じた。
「だから、俺をもっとのめり込ませろ」
「……上等」
 そう言って不敵に笑った臨也の瞳には、涙の膜が張っていた。




(きっとあともう少しで、俺は臨也を好きになる)






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