> Part3.新羅 行動は闇の中 |
*** 『臨也と静雄が大変な状態なんだ! 早く来てくれ……!』 僕が駆け付けた時は、もう事は終わったあとだった。携帯の着信画面は滅多に表示されることのない名前――『門田京平』と記されていて、不思議に思いながらも出てみれば、切羽詰まった彼の声が僕を迎えた。 場所と簡単な状況を聞かされた後、持ち運べるだけの医療器具を手早くまとめて雨の中を駆け出して行った。本当はセルティに乗せて行ってもらうのが一番だったけれど、生憎その時セルティは出掛けていて、僕は自分の脚で走るしかなかったんだ。 着いた現場は、酷い有様だった。 都会である池袋には場違いとも言える古びた倉庫の中で、血だらけの臨也と静雄が自らの血溜まりの中に沈んでいた。二人の周りには捨てられた鉄パイプや金属バット、手錠や縄なんかが散乱していて、それがどういう意図を持って使われたかは想像に易かった。 「岸谷さん、こっちこっち!」 「こっちっすよー!」 発見者である門田君たちは傷だらけの彼らをどう動かしていいかわからなかったんだろう、とりあえずそのままにして、目に見える裂傷や痣にだけ緊急用の湿布やガーゼが当てられていた。 「救急車も呼んであるが、お前の方が早いと思ってな」 「あと何分で来るって?」 「渋滞のせいで十分はかかるだと」 俺を呼んだ張本人は臨也の手当を行っていた。有り得ない角度に曲った足が痛々しい。ぎゅ、と唇を噛んだのは一瞬で、僕はすぐに鞄を開けて医療器具を取り出した。 「そうだね、臨也はとりあえず……」 適当な手当ての指示を出しつつ僕自身も応急手当に入ろうとしていた、その時だった。 「し、……ら……ドタチ…………、」 うっすらと、ナイフにでも刺されたのか、出血がひどい臨也の目が開いた気がした。掠れてひゅーひゅーと空気が漏れる、口の端を切った臨屋の唇が確かに動いていた。 「臨也! 気付いたのか」 「しず、ちゃ……が…………てあて、しな……きゃ」 「おま、馬鹿野郎動くな臨也!」 痛覚が既に麻痺しているのか、ぐちゃぐちゃに潰された目にも無関心なまま、視えないはずなのに這って静雄の元に行こうとしている臨也を必死になって引き留める。門田君も焦ったように無傷の場所を探して押さえつけた。 「いっぱい、……クスリ、注射…………あれじゃ、……し、じゃう!」 「分かったからそこにいてくれ臨也! あぁもう!」 なんで救急車は早く来ないんだとか、軽く職務放棄しながらも微量の麻酔薬を取り出して臨也の腕に刺した。痙攣して身体が悲鳴を上げているのに、それでも尚俺たちに何かを必死に話そうとしている。 「けて、たす……けて、し……ら………ズちゃ、を助けてくれ……!」 縋るように白衣を掴まれて、唇をきつく噛んだ。自分の心配を先にしない馬鹿を見下ろしながら、拳を握る。 「大丈夫だから、落ち着くんだ。静雄は死なせない。だから君もそこで安静にしているんだ」 痛々しい。あまりにも痛々しすぎて、見てられなかった。目を逸らすようにして、逃げるようにして臨也の処置を門田君に任せると、今度は倒れたままの静雄の方へ向かう。 「ずっと意識がないの」 狩沢と名乗った真黒な服を着た女性が簡単に状況説明をしてくれた。静雄の方はナイフが通らなかったのか、目に見える出血こそ少ないものの、打撲痕が多く存在を主張していた。この分だと頭を重点的に殴られているかもしれないと考えて、静雄の方は救急車が来るまで絶対に動かさないで欲しい旨を彼女に伝えた。 「さっき臨也が薬と投与されたって言っていたけど……」 何を投与されたのか分からないし、また調べる術もここにはなかった。とりあえず専門家が来るまでそちらは待つことにし、出血を止めるべくバッグを開けて包帯などを取り出していく。 「大丈夫、助けるから」 呟いた言葉は小さかったのに、やけに倉庫内に反響した。 *** 僕らが緊急の処置を取った後すぐに、救急車が駆け付けた。二人は早急に病院に搬送されて、僕と門田君たちはワゴン車で病院まで後を着けていった。何時間もの手術の後、医師から一命を取り留めたことを告げられた時は本当に安堵した。 それは、束の間のものだったけれど。 二人の状態を告げられて、目の前が真っ暗になった気がした。医者だからこそある程度の予想はできていたはずなのに、それでも現実味がまるでなかった。そういうことになった人たちだって少なからず診てきたはずなのに、それが友人になっただけでこうも衝撃が違うのか。 二人のこれからのことを考えるだけで気分が重くなった。第三者でこの重さなら、当事者たちはどれほどの苦痛だろうか。 「とりあえず、静雄が起きたら病院側に知らせるように伝えておいた。あいつが暴れたら向こうは手に負えないだろ」 「そうだね、静雄には僕たちから説明をしよう」 ワゴン車の中での約束は早くも翌日に果たされることになるけれど、その時の僕たちは知りもしないことだ。 二人共当分は起きそうになかった。静雄は薬の投与分を間違えられて昏睡状態だったし、臨也に至ってはショック状態が続いていたから、仕方ないことなのかもしれないけれど。 ひとしきり涙を流した後は大分落ち着いて、目の前に置かれた、すっかり冷めてしまったコーヒーを啜った。 「さてと、俺はそろそろ行く。他の奴らも下で待たせてるしな」 いつまでもこうしていても仕方ないと割り切ったのか、門田君がソファから身を起こした。「コーヒー上手かった」と簡素な礼をセルティに述べると、僕の方へと視線をやる。 その視線は今までの穏やかな彼を知っている人からは想像もつかないくらい鋭く厳しい――殺意の籠った視線だった。 「そういや、俺たちはこれからドライブに行くが、お前も来るか?」 「ふーん、どんなドライブ?」 「色んな人間に会いに行く」 その時、確かに唇は弧を描いていた気がする。凄絶な笑みを湛えていたと思う。隣にいたセルティが一瞬だけ怯んだのを、確かに肌で感じた。 「いいね、それ」 僕は僕自身を最低な人間だと自覚している。すぐに解剖したいとか言い出すし、民間人にとって多少なりとも危険な人たちを救っているし、正直愛しのセルティ以外はどうでもいい。恋は盲目ってやつさ。加えて僕とセルティの恋仲を邪魔する奴には容赦ない制裁を下すだろうことも自負できる。それが例え友達だろうとお構いなしだね。 それでも。 セルティを中心に世界が回っている俺でも、許せないことだってあるんだよ。 『し、新羅、どこに行くんだ?』 いつも持ち歩いているバッグの中に沢山の薬や医療器具、その他諸々を詰め込みながら、俺は答える。 「だから門田君が今さっき言ったばかりじゃないか。ドライブだよ、ドライブ。ごめんねセルティ、本当は君も連れて行ってあげたいんだけど、野郎が三人もいるワゴン車なんかに君を」 「置いてくぞ」 「少しくらい待ってくれよ! ま、だからとにかく――心配しないで。これはただのなんてことない、普通のドライブだからさ。それじゃあ、いってきます」 そうして俺は玄関の扉を閉めた。セルティがいなくなった世界で、俺と門田君の二人分の足音が廊下に響き渡る。 「で、本当に来ちまってよかったのか? お前」 じっと、まるで試すような視線が俺を射抜く。それを涼しげな笑顔でやり過ごしながら、僕らは階段を下っていった。 小学生の時に、静雄に会った。 中学生の時に、臨也に会った。 この二人には手を焼かせられっぱなしだったし迷惑も沢山かけられたし、それはもう大変な毎日を過ごすことになったけれど、 それが、心地良かった。 門田君も合わさってつるんでいた高校時代は、すごく楽しかった。もちろんセルティといる時が僕にとって一番の至福の時間だけれど、それでも大切な時間だったことに変わりはない。 そしてそれはこれからもずっと続くはずだったんだ。集まることなんて滅多になくて、各々がたまに顔を合わせるだけになっていたとしても、幸せな日常があったはずなのに。 それを全て、まったく知らない奴らがごっそり奪っていった。 そりゃね、臨也が裏で危険な情報を握っていることも知っていたし、静雄は根が優しいと言ってもあの短気な性格だから、二人共恨みを買うことが日常茶飯事なのも理解できていたけど。 だけどさ、こんな酷い終わり方はないだろう? 死ぬより辛い。僕ならきっと、そうだろう。セルティの姿が視えない、目視できないから満足に触れ合うことも難しい、コミュニケーションを取ることがぎこちない。 そんな世界は、地獄だ。 僕は怖がりだし、ヘタレだし、できれば危ないことになんか首を突っ込みたくはないんだけどさ。 この際、はっきりさせておいた方が良いと思うんだ。 一階まで下りると、門田君の制止を聞かずにざあざあと降り注ぐ雨の中に突っ込んでいった。途端に髪や服が肌に張り付いていく。早くも吸いきれなくなった水滴がぽたぽたと肌を滑り落ち始めた。 「ねぇ、門田君。自分で言うのもアレだと思うんだけどさ、これから会いに行く人たちは運がないと思うんだよねぇ。 ――だって、この俺を怒らせたんだからさ」 雷雨の中、傘も差さずに天を見上げながら晴れやかに笑う僕を見て、門田君はいつもの仏頂面を崩して不敵な笑顔を作った。 かくして僕らの行動は、決して表に出ることのない闇の中へと紛れ込む。 |