> 叫ぼうか、アイの言葉を





「愛してる」
 甘ったるい言葉で、蕩けるような笑顔で、何の変哲もなかったある日を境に臨也はそんなことをほざき始めた。毎日毎日飽くこともせず、俺を見ればそれが当たり前のように愛の言葉を放っていく。猫撫で声で囁かれても嫌悪感しか抱かねぇってのに、あいつは何が楽しいのか、挨拶代わりに、喧嘩の最中に、掃除してる時に、下校途中に、とにかく好きだと俺に向かって叫んでた。

 それが、一週間前の話。


***


「気持ち悪ぃ……」
 時刻は昼。天気はいいくせに無風のせいでちっとも爽快感のない窓側の席で、俺は飯も食わずに机に突っ伏してた。食欲がないわけじゃねぇけど、なんつーか目の前に広がる教室の景色を見たくない一心で、机のフックに引っかかっているコンビニ袋からパンを取る気になれずにいた。
「珍しいね、静雄が体調不良なんて。どうしたのさ? 何か変なものでも食べた?」
 ぎぃ、と前の椅子が引かれる音にほんの少しだけ顔を上げれば、俺のこの状態を興味津津に観察してくる新羅と目が合った。
 違ぇよ、とだけ返事をして、黙りこくる。新羅はいつもとあからさまに違う俺の態度の理由を訊かず、俺の頭が乗ってるせいでわずかにしか空いてないスペースを勝手に使って弁当を広げていく。そしてごそごそとした音と共に、セルティの惚気話を嬉々として始めた。
「本当に、なんであんなに素晴らしいんだろうねセルティは……! この世で最も魅力的な女性だよ! 生まれ変わっても彼女に会いたいね。あぁでも僕が必ずしも日本人になるとは限らないから、出会うためには異常な確立を打破しなければならないだろうけど。セルティには死という概念が存在しないから、……しないのかな? とりあえずそう仮定するとすればまずアイルランドに探しに行くべきかなぁ。それともまだ池袋にいるのかな。うん、兎にも角にも人生の半分もかけずに探し出すとここに私は誓おう。いや、待ってくれ、そうすると残り半分しか一緒に過ごせないのか。無理だ。自分の生活にセルティがいないなんて考えたら気が狂いそうだよ。そう言えばセルティ昨日帰って来なかったんだよ。あぁセルティの話をしていたらますます会いたくなってきた。一日千秋の思いとはまさにこのことだよね」
 永遠と続く文字の羅列に、いつもは切れるか眠くてそれを子守唄代わりにやり過ごすかのどちらかを取る俺だったが、今日は少し感じ取るものが違った。
「……なぁ、新羅。そのセルティって奴、好きか?」
 さっきまでとは打って変わり、さぁ、と吹き込んでくる風が、痛んだ髪を撫ぜる。仄かに初夏の香りがした。視界を遮断してたせいで太陽の眩しさに自然と目が細まる。
 セルティの話をする時――その内容は置いておくとして――いつも新羅は嬉しそうに語る。きっとそいつの姿でも思い出してるんだろう、目を閉じて気色悪ぃことに頬まで染めてそいつへの愛を語る新羅に、俺はべらべら喋られて苛つくと同時に、羨ましさ、みてぇなものを感じてた。
 人を愛するってのは、何だ?
 好意が実らなきゃ、虚しいだけじゃねぇのか? セルティと新羅は同棲こそしてるものの付き合ってるわけでもないみてぇだ。なのに新羅はいつも楽しそうにそいつの話をする。
 ……訳分かんねぇ。
 だけど、一番訳分かんねぇのは自分の方だ。


『大嫌い』


 一週間前の臨也の声が、頭にこびり付いて離れなかった。冷たい、これ以上ないほど嫌悪と憎悪を交えた声に、いっそ清々しさすら見せる歪んだ笑顔。
 それまではどんなに嫌がっても四六時中「好きだ、愛してる!」とかぞっとするようなことを言ってやがったのに。いつも言われてたはずの「大嫌い」の言葉が、偽りにすら感じるほど、こっちの都合も考えずに告白してきやがったくせに。
 あぁ、胸糞悪ぃ。
「なんだい藪から棒に。勿論僕はセルティのことを愛しているよ! それ以外の感情を向ける理由が分からないね。というか、向けられないよ。だってあんなにパーフェクトな女性なんだよ!?」
 うんうん、と首を縦に振ってから、おかずのハンバーグを口に入れる。ちくしょう、旨そうな弁当食べやがって。
 俺はやっぱり教室内を見ないようにしながら、ゆっくりとあらかじめ買っていた焼きそばパンに手を伸ばした。新羅の弁当から良い匂いが立ち上っていて、いい加減腹の虫が鳴って仕方なかったからだ。
「…………臨也ならさっき門田君と出て行ったよ?」
「!?」
 ビニールを破いてまさに口に入れようとした瞬間だった。思わず落としそうになって、ぐしゃりとパンを握り潰す。気付いた時にはパンは手の形に変形していた。
あー、やっちまった……。
「うわっなんか具が飛んできた」
「手前のせいだろうが」
「静雄のせいだろ。僕は臨也のことしか言っていない」
「だから……っ!」
 がたん! と椅子から立ち上がった俺を捉えたのか、ざわつく教室にいた何人か――特に女子が、机に広げていた昼飯を置き去りにまでしてすばやく廊下へと避難していった。それをちらりと新羅は視界の隅に収めながら、俺に向き直る。
「とりあえず……座れば?」
「……っち」
 盛大に舌打ちしながら、潰れた焼きそばパンをぐいと口の中に突っ込んで咀嚼した。
 苛々する。けどそれ以上に、一週間前から胸の痛みが止まらなかった。じくじくじくじく、執拗に痛み続けるそれが治らねぇ。しかも少しでも臨也を視界に入れようもんなら心臓を突き刺すようなどうしようもない苦しみが突き抜けてく。
 まさかこれが世に言う風邪ってやつなんじゃねぇかと思って昨日は九時に就寝したし、今朝は飯も目一杯食って牛乳も倍飲んできた。なのにまだ、治らねぇ。
 臨也の名前を聞いただけで、こんなにも痛みを発する、その理由も正体もさっぱり分からなかった。
「新羅……俺まじで心臓痛ぇんだけど……なんだこれ、風邪なのか……?」
「え、風邪じゃなくて恋の病でしょ?」
 ぴしりと目の前に突き出された箸に目の焦点が寄る。もぐもぐと。可愛い音すらつきそうなほど旨そうに米をほうばっていた新羅に、
「…………………………………………………………………………………………は?」
 思いっきり間抜けな声で応答した。
 なんだそれ。なんだそれ。恋の病? 誰が、誰に?
 今度は手に何も持ってなかったから二回目の惨事がなかったものの、俺は目を丸くして新羅を見つめ続けた。
「は? じゃないよ。だって君、臨也のことが好きなんだろ?」
「………………」
 平然と言ってのけられる驚愕の事実に、肩がぶるぶると震え始める。
 考えてみりゃ、確かにそうなのかもしんねぇ。
 心臓が痛い=恋。
 数日前から胸がじくじくする=出来事は最近。
 臨也を見てるとひどくなる=相手だから。
 全部、つじつまが合う。恐ぇほどに合う。
 あんまりな事の顛末に、黙り込んで全身を小刻みに震わせる俺の異変にやっと気付いたのか、新羅はとぼけたような顔から引きつり笑いを起こしてた。
「え、待って。待ってくれ。静雄、もしかして気付いてなかった……とか?」
「………………」
「怖い! 逆に沈黙が怖い! っていうか止めて手を振り上げないで全力で謝るから! 何で謝らなくちゃいけないのか分からないけど謝るから! ちょ、まっ――!!!」





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