> ハリサケソウナ、ココロノソコ。





***


「ひあぁ、あ、ぁ……はっ」
 ぐち、くちゅ、とシズちゃんが動く度に結合部から卑猥な音が広がっていく。部屋に反響するその粘着質な水音が耳を犯していくと同時に、今俺はシズちゃんに抱かれているんだという事実を頭に刻んだ。
 服も肢体も、心にある消えない矛盾も何もかも投げ出してその行為を始めたのは夕日が沈む頃。ベッドの上で絡み合ってからどれくらいの時間が経ったかなんて快楽に落ちた頭では判断できなかったけれど、カーテンの隙間からは人口の光しか差し込まなくなった。部屋にある時計を見ようにもシズちゃんが余裕をくれないせいで確認できやしない。そもそも涙で歪んだこの視界では、針が示す数字を目視することは不可能だろう。
 外出時に使用している時計代わりの携帯は、服と一緒にベッド下のフローリングに転がっていて、時折思い出したかのように無機質な着信音を流す。ああ、この間の報酬の件かな、と頭の片隅で考えつつ、今シズちゃんに抱いてもらって熱を共有しているこの瞬間だけは他の奴のことなんて思い出したくもなくて、すぐに意識の外へと追いやった。
 高級なはずのセミダブルのベッドからは通常なら聞こえないようなスプリング音を出していて、それは自分のものとは思いたくないほど甘ったるい俺の声と呼応していた。
「うんぅ、……はぁっあ、や、触んな……で」
 律動に合わせて大きな手の平に包まれるようにして、ぐちぐちと自身を扱かれれば肌が戦慄いた。的確に前立腺を突いては限界まで引き抜かれて、挿入される度に擦れる内壁に腰が砕ける。シズちゃんの腿の上に座り込んでいるというのに、脱力してしまえばまた奥深くへと入っていって、悪循環の快楽に気が狂いそうになった。
「も、も、止め……でなぃ、ってば……あ、あぁああああ!」
 急に尿道口を引っ掻かれて、紫電のような痺れが背筋を駆け抜けていく。びくんびくんと大げさに身体を震わせて、今日何度目か分からない絶頂を迎えた。抱き抱えるように俺を支えてくれていたシズちゃんの背を加減もできずに引っ掻く。意図せずともきつく締め付けてしまう内壁に、耐えるように唸る小さな声が耳元で聞こえた。
「は、急に締めんな……っ」
「ムリ、ムリだぁっ……から、……ひぁっ」
「手前は自分から誘うくせに、『止めて』だの『無理』だのうるせぇんだよっ……!」
 余韻に浸る暇すら、シズちゃんは与えてくれない。一度抜かれて安心したのも束の間、強引に押し倒されたと思ったら再び挿入されて、律動を開始させられた。
 シズちゃんに触れられている肩や繋がった部分が熱い。火傷しそうなほどに火照った身体は熱を逃がしてはくれなくて、冷たかったはずのシーツは二人の体温で温まっていた。
 嫌だ無理だと言いながら与えられる熱を従順に受け取って善がっている自分を滑稽に思う。相手が自分のことを想っていないことなんて百も承知のはずなのに、その辛さよりもこの悦を選んでしまう自分が嗤えた。たかがヒトの三大欲求、されど、ってやつだ。しかも行為の相手が自分の好いている人間なら尚更だ。全てが終わった後、ひどく惨めな気持ちになることを毎回学んでいるのに、情事の最中に時折見せる優しさが恋しくて、その肌にまた触れたくて、学習能力のない生き物のように望んでは誘ってしまう。
 それでも、いや、それだからこそ、逞しい腕に抱かれて、爛れた快楽を与えられてもココロが満たされることはなかった。
 恋人同士なんかじゃない。一度だって想いを告げたことはない。
 始めて身体を重ねた日から年月が経つにつれ、行為に及ぶ回数は増えてくばかりで、変わらないのは与えられる狂いそうなほどの快感だけだ。情報屋という稼業ができるほどに物覚えのいい頭なのに、いつからこんな関係になったのか覚えてない。否、思い出したくない。その始まりの日の記憶には考えてもその場所に到達できないよう、厳重に幾重もの鍵がかかっているようだった。
 ねぇ、でも、
「シズちゃ、手、繋いでっ……、ね、繋いで、お願いっぁあ……!」
 人の感情の操作なんて容易にできる俺でも手に入らないものだってあるんだ。
 多少面食らったような仕草を見せながらも、武骨で大きな手が俺の手を包み込んでくれる。その優しさが嬉しくもあり痛くもあった。五指を絡め合わせて、まるで恋人のように甘い時間を過ごしているのに、密着して互いの熱を伝えあって深く繋がっているのに、どうしてもココロが手に入らない。
 こういう関係になればもしかしたらちょっとは意識してくれるかもしれないと、身体から好きになってくれるかもしれないと一縷の希望に縋った時期もあった。
 でも、それはすぐに甘い考えだと気付かされた。だって何回繋がろうとも、君はこんなにも遠い。
 何がいけなかった?
 なんでこんな風になった?
 ただ一言、最初に言えばよかっただけなのに。それすらも怖くて、言い出せなかった。
 拒絶、されたくなかった。
 否定が、この上なく怖かった。
 歪んだ性格をしていると自負できるこんな俺に、真正面からの愛をぶつけてくれる人間なんてそうそういない。皆一様に持つ感情は憎悪と畏怖と恐怖だけ。
 この容姿を持ってすれば、人から好かれるのは至極簡単だった。手の平で転がすのも、お手の物だった。ただ笑顔で物腰の柔らかそうな青年を演じればいい。それに騙されて破滅へと進でいった人間をもう何人も見てきている。外見より性格だと人は口を揃えて言うけれど、そんなのこの結果を見れば嘘にしか聞こえなかった。でもそんなところも全て含めて人間が好きだ。これは嘘じゃない。
 けれど、人間に向かってアイシテルと言わなくなったのはいつだったか。ここにもやはり鍵がかかっているようで思い出せはしなかった。
 だけど、これだけは言えてしまう。人間が好きだなんだと声高らかに言っているくせに、ちゃんとした愛を一人に向けることは恐ろしく下手で苦手で、ストレスを伴うものだった。
 怖かったんだ。
 その手を振り払われたらと思えば思うほど、竦んで何もできなくなった。だから思い出したように人間を愛してると言った。愛してるあいしてるアイシテル。人間全員を好きなんてレベルじゃなくて、深く深く愛せば、きっともっと上手に想い人に愛を向けることができると、そうと思った。それなのに。
「っ臨也、……中に出すぞっ……!」
「い、ぁあ、あああああ、っ……!」
 鼻にかかった、女のような浅ましい喘ぎ声が止められない。熱い飛沫が中を満たしてく感覚に眩暈がして、意識を飛ばしそうなほどの快楽に俺もまた達した。薄くなった精液が腹の上に掛かる。確かに背中はベッドに触れているはずなのに、どっちが上でどっちが下かも分からなくなった。そのちょっとした恐怖にシズちゃんに抱きつけば、優しく抱きとめられる。
 それが嬉しくて、悲しくて、どっちの感情からかも分からない、もしかしたら生理的なものかもしれない、涙をまた零した。
 こんなにも一人の人間を愛したのは、初めてだった。
 だけど気付いた後にはどうすればいいのか分からなくて、焦燥感だけが募った。
 きっと普通の人間だったら、そこそこの不安と期待を滲ませながらも日々充実した生活を過ごせたんだろう。
 けれど俺は、……できなかった。胸を掻き毟るような感覚に吐き気がして、食べ物は上手く喉を通らなかった。睡眠ですら短時間しか取れず、だけどこの想いを逃がす術を俺は知らなかった。いっそ憎みたいくらいの恋情は日に日に増し、苦しい以外の何物でもなくて、かと言って同性であるシズちゃんを愛してしまったことを誰かに相談するなんて高いプライドが許さなかった。
 そうして二ヶ月も経てば、もう肉体的にも精神的にも限界だった。体調を崩すばかりになった俺の元に来たのはあろうことか……。
 いや、もう何も考えたくない。ただ快楽に落ちるだけでいい。俺は何も知らない、思い出したくない、過去を掘り起こすのは止めだ。
「臨也、こっち向け」
「ん……、んぅ」
 重い倦怠感に包まれてぼんやりとしていた俺は急に顎を掴まれて固定されると、そのまま口づけられた。うっすらと唇を開けばそこから舌が侵入してきて、すぐに絡め取られる。口内を蹂躙されれば脳が蕩けていくような、緩い快感がぞくぞくと腰に溜まっていった。それが分かっているかのようにシズちゃんは俺の腰を厭らしく撫でまわしていく。
「ふ……ぁ」
 シズちゃんがキスを終わらせようとしても、頑なに拒んだ。痛んだ金糸に指を絡ませて唇を食むように迫れば、一瞬呆れたように肩を落としながらもちゃんと応答してくれる。どちらのものかも分からない、飲み込めなかった唾液が顎を伝って落ちていくのをシズちゃんのものかもしれないと思うだけで勿体なく感じた。
「ふ、んぁ………」
「は、……いざ」
 息継ぎの合間に名前を呼ばれそうになって、慌てて口を塞ぐ。ひと段落つけようとする時、シズちゃんは必ず俺の名前を呼ぶから。
 まだ、終わりになんてしたくない。確かに何回もイって身体はぐったりとしていたけれど、もっとくっついていたかった。体温を感じていたかった。
「シズちゃん、もう少し……」
「さっきまで『もう止めろ』っつってなかったか?」
「ん、前言撤回。……あと一回でいいから、しようよ」
「っ……壊れても責任取らねぇぞ」
「あはは、それはいいジョークだね」
 いっそ壊れて責任を取ってくれたら、俺の傍にいてくれたら、どんなにいいか。
 可笑しいね、シズちゃんは俺のこと、これっぽっちだって想ってないのに。
 あぁ、でも、そしたらなんでシズちゃんは俺のことを抱いてくれるんだろう……? 本当に君は分からない。俺の理解の範疇を超えている。
「あ、ぁああぁああ、……はぁあ、っ、……」
 もう、いいや。このまま流されて、身体だけでも繋がっていられたならシアワセなはずだよね?
 だって、俺は。

「シズちゃん、シズちゃん、もっと、……ねぇってば……!」
「……かってるよっ!」

 ココロは貰えなくても、好きな人に触ってもらえているんだから。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -