> 矢印は一方通行の恋を指す





「ねぇ兄さん、俺、臨也さんの事が――」

 弟の口から出たのは、俺が心底嫌いな奴の名前。
 折原臨也。
 名前を聞いただけでも胸糞悪くなる。あいつの顔を見る度にキレて、キレて、そこらじゅうにあるものを手当たり次第投げつけて殺したくなる相手を。


「――好きなんだ」


 幽は、好きだと告げた。


***


「臨也ああああああああああああああああ!!」
 ドアを蹴り破って臨也の家に不法侵入した。家にいるとかいないとか、そういう面倒臭ぇことを今は考えてられなかった。ただ幽の言葉を聞いた瞬間、殴り殺してやろうとわざわざ新宿まで出向いたんだ。これでいなかったら家ごと破壊して待ってやろうと思ってたわけだが、どうやら今日は休日だったらしい。ひょっこり部屋から顔を現わした臨也は一瞬渋面を作ったものの、すぐにいつものむかつく笑みを貼り付けて喋り出した。
「うわぁ、シズちゃんだ。せめてチャイム鳴らして入って来てよ、いや入って来られても困るんだけど。ていうかさ、ここに来るまでオートロックの公衆玄関とか色々あったはずなのになんで辿り着いてるの?」
 むかつくむかつくむかつく。なんでこんな奴のことを好きになったんだ、幽の奴。
 いつも通りの無表情な顔、無感情な声で臨也のことが好きだと告げられた。全く濁りのない透き通った目で見られて本当なんだと悟ったが、よくその場にあるもの全部をぶち壊さなかったなと思う位、動揺してた。
 聞き返すことはしなかった。幽は嘘をつく奴じゃねぇ。言葉数も少ねぇし感情もまったく表に出てこねぇけど、そういう冗談を言うような奴じゃないことは小さい頃から一緒にいた俺が一番よく知ってる。
 だから臨也の家に乗り込んだ。質問してぇことはただ一つ。幽に何をしたのか、それだけだ。
 あいつは中学の時から折原臨也という人間がどういう奴か知ってる筈なのに好きだと言った。この臨也を。俺が心底嫌いなこの情報屋を。
 あぁ苛々する。臨也は幽に何をした、何を吹き込んだ。こいつに無数の取り巻きがいるのは知ってる。使える駒は全部あの話術で手中に収めて、自分の思うがままに扱う姿を何度も見てきた。だからきっと、そいつらみたいに幽にも何かしたに違いねぇ。じゃなかったらあいつがあんなこと言い出すはずがねぇんだ。
「あー、すっごいキレてるね。……の割に、手を出してこないなんて珍しい。シズちゃんが理性的になるなんて、面白くないなぁ。ま、ここで暴れられても困るんだけどね」
 傍目から見れば綺麗な顔なんだろうが、俺にとっちゃぐちゃぐちゃにしてぇ程いらつく面だ。こめかみがぴくぴく動く感覚がする。臨也の挑発に今すぐ乗りたかったが、理性を総動員させて止めた。殺すのは問い質した後だ。
「……幽に何しやがった。今度は何企んでやがる」
「……は? 幽君? 何、俺のとこに来て急に何言い始めるかと思ったら、弟君のこと?」
 んー、とわざとらしく考えて、腕を組んで臨也は何かを考え始めた。ドアを見て、俺を見て、口だけ動かして何かを呟く。読唇術なんてできねぇから、何を言ってるのか分からなかったが、
「手に入れちゃ、駄目だった?」
 細められた目が、嗤った。
 ただそれだけで、全ての糸が繋がった。
 あぁそうかそういうことかよ。やっぱり幽があんなことを言い始めたのは手前の仕業だったんだな。幽の正気を奪いやがって、俺を嵌めるだけじゃ飽き足らねぇのか。
 腹の底で濃縮されていたぐつぐつと煮え滾った怒りが急速に湧き上がる。今頭の中を浸食してる考えはただ一つ。
 手前はここで殺してやる……!
 そう決めた。今日こそは逃がさねぇ。今すぐこいつを殺さなきゃ、俺の怒りは止められねぇ。
 元々設置されてたとおぼしき靴箱を強引に持ち上げて、臨也に投げつけた。けどあいつだって伊達に長年俺と喧嘩して張り合ってるわけじゃねぇ。ステップを踏むように軽く左に避けてかわすと、その代償に背後の壁が粉砕されて土煙が舞った。
「幽君は優秀だよ。俺の言うことを忠実に実行してくれるし、言い付けもちゃんと守ってくれる。あれほどいい飼い犬はいないよねぇ」
 玄関のドアを引き千切って、まだ視界の利かないその中に突進する。声がする方にめちゃくちゃに振り回したが、当たる感触はなかった。臨也の声だけが不明瞭な世界の中で響き渡る。
「あぁ、でもちょっと惜しいけど手放してあげてもいいよ」
「あ゛ぁ?」
 臨也の考えてることはいつだって俺には未知数で、それになんの損得が付いて回るのか分かった試しがない。今だってそうだ。幽を手放すと言う。何企んでやがる。
「シズちゃんが、俺のモノになってくれるなら、ね」
 ドアを持ち上げる手を、下げた。
 俺が臨也の下に就く? ふざけんのも大概にしやがれ。その前に手前を殺す。殺して幽を自由にする。それが一番手っとり早いに決まってんじゃねぇか。
 土煙が晴れていく。さっきと変わらずににやにやと人を嘲るような笑みを浮かべて臨也は立っていた。
「ふざけんな、反吐が出る」
「うん、言うと思った。けど、それじゃ幽君死ぬかもよ? もしここでシズちゃんが俺のこと殺したら、今まで散々色んなところから買ってきた恨みが俺の取り巻きたちを袋叩きにするんじゃないかなぁ」
「……」
「残念だなぁ、幽君の顔、結構好きだったのに。あ、でも顔だけじゃ済まされないかもね。流石に命は取らないと思うけど、手足の一、ニ本は再起不能になるかも。悪いのは操ってた俺なのに、幽君はとんだとばっちりを受けるだろうね。可哀想に」
 どくん、と痛いほど心臓が跳ね上がった。
 幽に危害が及ぶのだけはなんとしても避けたかった。けどそのためには臨也は生きてなくちゃいけねぇ。歯を食いしばってドアを投げつけようとしてた力を抑え込めば、筋肉に変な力が働いてぎしぎしと鳴った。
 臨也はずっと笑っていた。俺の大嫌いな笑み。人を愛するとか言っておきながら人をおちょくってるようにしかみえねぇあの笑み。
 むかつくむかつくむかつく。
 けど。

「お前、俺が怖くねぇのかよ」
「怖くないよ」


 幽を失うくらいなら、大嫌いな臨也の下に就く方が100倍マシだ。
 手に力を入れすぎたのか、掴んでいたドアは指の形に窪み、左の拳は強く握りしめすぎたせいで爪が皮膚に食い込んで裂け、血が滴り落ちていく。
 唸るように喉を鳴らす。殺意と憎悪のせいで全身がカダカダと震えた。
 屈辱だ。これ以上ないほどの。
 それでも。
 それでも。

「兄さん」
「いつまでも続けられるように、たくさん買っておいた」


 大切な弟のためにできること。
 世話ばっかかけてきた幽のためにできることは。

「……分かった。手前の提案、乗ってやる」

 これくらいしか、思いつかなかった。





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