> 殺したいほど、×××××。





 池袋に轟音が響いた。
 原因はシズちゃんが自販機を投げたから。もの凄い勢いで放たれたそれは、地面をバウンドする度にがんごん、と鈍い衝撃音を立てながら、最初の地点から数十メートルも離れた場所でようやく止まった。まったくもってその怪力には理屈が通用しないから苦手だ。
「いーざーやーくーん? だから何度も言ってんだろうが池袋にはニ度と来るなってよお……!」
「そんなこと言われても俺だってここで仕事があったんだから仕方ないだろっと」
 次に何が飛んでくるかなんて分からない。標識かもしれないしガードレールかもしれない。つくづくなんでもありだと思う。だからシズちゃんが次に投げるものを発見す前に逃げるのが一番だと判断して、俺は僅かな壁の凹凸に指を引っ掛けた。とん、とん、とそこらじゅうにある出っ張りを掴んだり蹴ったりと、効率よく筋肉を動かし逃亡する。傍から見れば不可思議な現象に見えるのだろう。背後に野次馬の視線を感じる。同時にシズちゃんの殺気のこもった視線も感じたからとりあえず大まかな逃走ルートを考えていると、都合のいいことに長いこと使われてなさそうな錆びれたビルが見えた。
 振り返れば当然のようにシズちゃんは俺についてきていた。パルクールの技術なんか持ち合わせてないはずなのに、馬鹿力に物を言わせて追いかけてくる。
 あぁ、もう本当にしつこいな。
 追いつかれないようにスピードを上げながらビルの屋上まで登り切れば、流石にここには何も投げるものはないだろうと見越した通り、柵と貯水タンクがあるだけで荒廃していた。
 後ろから人の着地する音が聞こえた。振り返れば、ちょっと呼吸が荒くなった程度のシズちゃんが俺が登って来たルートを塞ぐようにして立っている。
「まったくなんなのさ、少しくらい諦めの精神を持とうよ」
 肩を竦めて息を吐く。シズちゃんから逃げる度にいらない体力を使わされてる気がしてどうにも気分が悪い。
 けど、同じくらい気分がいいことを、きっと君は気付いてない。
「手前を仕留められるんなら地の果てだろうが追いかける」
 サングラス越しに見えた目がぎらぎらと殺意に燃えていた。あー、毎回毎回どうしてそう殺意が増すのさ。
「まだ根に持ってるわけ? 器が小さいな、シズちゃんは。それって男として一番最低な部類に入ると思うんだけど」
「手前の意見は聞いてねぇんだよ、さっさと大人しく死ね」
 ひゅん、と風を切る音がすぐ傍で聞こえた。ちょっと前まで俺の顔があったその場所にはシズちゃんの拳がある。殴ろうとして拳をつき出した、ただそれだけで野球ボールが突き抜けたような風を感じるなんて、一体時速何キロのパンチなんだと問いたい。
 愛用している折りたたみ式のナイフを付き出して、じりじりと下がっていく。俺だって肉体は一般人のそれと変わらないんだから、シズちゃんの攻撃を受けて無事で済むわけがない。できることなら一発も食らわずに帰りたいんだよ。
「本当に俺のことが嫌いなんだね、シズちゃんは」
「あぁ大嫌いだ、死ね」
 立て続けに振るわれる拳ををひょいひょい避けながら、俺は喋る。
「でも知ってた? 好きの反対は無関心なんだけど、あ、この言葉は有名なマザー・テレサが残したものなんだよ、覚えといて損はない。話を戻すけど、好きの反対を嫌いだと仮定して、でもそれってさ、不思議だと思わない?」
 とん、と貯水タンクの上に登りながらも余裕の笑みを崩さないで問いかけた。ビルといっても精々四階くらいしかないのか、周りの建物が高くてあまり夕日は差し込んでこない。一筋だけ、シズちゃんが立ってる場所だけがオレンジ色に染められいた。
「何がだ?」
 今にも襲いかかってきそうなのに手が出せないのは、投げるものがないからか、タンクの上に乗れるスペースが一人分しかないからか。どちらにしても好都合だった。
 俺は両手を広げて熱弁してあげる。シズちゃんが気付いてないから、気付かせてあげる。
「だってシズちゃんは俺のことが嫌いで、だから殺す殺すって毎回飽きもせず捻りのない暴言を吐いたり物を投げたりしてるわけだけど、愛情も殺意を湧かせるんだよ。愛は人を殺せる。その人が好きだから、一人占めしたいから、愛する人の周りにいる人間を殺す。重症な人になれば一つになりたい、誰にも見せたくないなんて狂気的ともいえる愛で想い人すら殺せちゃうんだ」
「……何が言いてぇんだ」
「だからさ、好きと嫌いは紙一重ってこと。無関心なら誰も人を殺さないよ。だけどシズちゃんはほら、俺のこと嫌いだろ? 嫌いで殺したいほど憎くて今すぐにでも死んで欲しいんだろ? 好きも同義ってこと。好きです貴方を人目に晒したくありませんだから死んで下さいもありってこと。殺したいほど大好き、ってのと同様に殺したいほど大嫌いだってあるんだよ」


「つまりさ、シズちゃんて、もしかして俺のこと好きなんじゃないの?」


 にやり、と意地の悪い笑みを浮かべて俺は問う。ずっとずっとしたかった質問をする。
 池袋という街の一部分の景色しか見えてないとはいえ、夕焼け色に染まったその街並みは幻想的で、貯水タンクからシズちゃんを見下ろすのはとても気持ち良くて、なんだか全てに陶酔しそうだった。
「……は?」
 シズちゃんはと言えばぽかん、とした表情で俺を見上げていた。何を言ってるのか分からない、って顔かな、それは。まさか俺からそんな言葉が出てくるとは思わなかったんだろう、急に突き付けられた話題についていけないのか、キレることすら忘れて立ち尽くしていた。少なくとも、数秒は。
「んな、わけあるかふざけんじゃねぇぞノミ蟲いいいいいいいいいいいいいい!!」
「だよねぇからかっただけだよ。間に受けるなんてシズちゃんも馬鹿だなぁ」
 屋上の柵をむしり取ったシズちゃんを見て俺はまっすぐ飛んだ。シズちゃんの方へ。
 予想外だったのか、一瞬だけ動きが止まった隙を付いて口づける。触るか触れないか位のキスは、シズちゃんの思考を止めるには十分な威力だった。そのちょっとの時間を利用してシズちゃんの横を通り過ぎると、ビルからビルへと飛び移った。


***


 見事逃走に成功した俺は、すっかり暗くなった池袋の街を歩いていた。向かうのは駅。シズちゃんと鉢合わせたのは用事が済んだ後だったから、あとは帰るだけだった。

「俺はシズちゃんが大嫌いだよ」

 殺したいほど、大嫌い。
 だからシズちゃんにいくら大嫌いだって言われても俺はなんとも思わない。だって好きも嫌いも最終的に行きつくのは「殺したいほど」の感情だから。
 だから気にしない。俺はシズちゃんの想いを受け止めよう。俺と同じ「殺したいほど嫌い」という想いを。



 殺したいほど、大嫌い。
 だから俺はシズちゃんのこと、殺したいほど愛してる。
 人間を愛してる。けどシズちゃんは嫌い。その正当性に、果たして君は気付いているのかな? 俺の嫌いは、愛してるよりも深いってことに。
 だからさ、ほら、シズちゃんも俺を愛してよ。


 殺したいほど、俺を愛して。





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